33.またね、の意味 ーfinー

 “出会えて良かった”。それだけ、分かり合えたなら十分。私たちは話すことが尽きたように、少し静かな時間を過ごしていた。すると、降谷さんは何かに気づいたような素振りを見せる。

「じゃあ、名前さん、最後にハグを!」

 安室さんだった頃のように、元気にそう言われるので、私は花束を右脇に抱えて降谷さんに近づいた。降谷さんの両腕が背中に回されると、私も片手を彼の背中に回し、とんとんとん、と軽く叩いてお別れの挨拶をする。

「名前、」

 すると後方から、秀一さんの声がして思わず身体を引く。

「秀一さん、っ」

 愛する彼の名前を呼ぶものの、降谷さんに肩を抱かれたままな状況に、私は戸惑う。ちらりと降谷さんの顔を見ると、その視線は秀一さんに向けられたままだ。秀一さんも降谷さんを見ている。

「え、っと……?」
「名前は気にするな。彼はわざとだよ」

 それはどういう意味……?と思っていると降谷さんは私の肩から手を離した。

「変な言い方は止めてください。僕たち、これくらい普通です。“いろいろ”あったんで、」
「えっ?ちょっと……」
「別に、咎めている訳ではないさ。“過去”のことなんて興味ないんでね」

 頭上で繰り広げられる会話の攻防に、何と言ったらいいか分からない。何を言っても正解ではない気がする。

 でも、こうして二人が対面しているのを初めて見るのは、とても不思議な感じだ。何より二人が本当に険悪という訳ではない気がして、少し安心する。

「名前、持つよ」
「あ、ありがとう」

 私の上半身が隠れそうな花束を見兼ねて、秀一さんが代わりに持ってくれる。

「綺麗だな……」
「ん、これ、降谷さんが」

 そう言うと秀一さんは、ああ、と返事をしながら花束を眺めていた。

「それは、名前さんに渡したものですから」

 まだ少し荒っぽく、降谷さんは言う。でも、秀一さんは花束に視線を向けたまま、何かを思うように目を細めた。

「礼を言うよ、降谷君」

 その時の二人は、真剣な表情だった。しばらく何も言わないまま、時間が過ぎる。

 きっと、二人の間には言葉では表しきれないものがあるのだろう。そんな雰囲気を感じ取っていた。私は静かに、その様子を見ていると、先に視線を外したのは降谷さんだった。

「名前さん、」
「えっ、は、はい?」
「……今ならまだ、引き返せますよ?」

 いたずらっぽく笑い、そんな冗談を言う彼に、私は少し呆気に取られる。でも、この感じが懐かしくて、私は笑った。

「ううん、私がそばにいたいの」

 そう言って、秀一さんの横に立つ。秀一さんも、私の腰にそっと手を回してくれた。

 降谷さんはそれを見ながら笑ってくれているけれど、「ではそろそろ行きますね」と言って、背中を向ける。

「あ!待って!」
「……?」
「……あ、あの、写真、撮っちゃダメですか?三人で」

 私はダメ元で二人にそう聞いていた。もう二度と、こうして会うことはないかもしれない。そう思ったら、この時間を、この時間があったことを残したかった。

「俺は構わないが、降谷君は」
「……名前さんが言うなら」

 無理だと思っていたけれど、思いもよらない嬉しい返事が返ってくる。私は思いっきり笑って、秀一さんを見た。彼も、優しく頷いてくれている。

 そうして私たちは、降谷さんの車をバックに……といってもほとんど映っていないのだけれど、写真を撮る場所を決めて集まった。

 秀一さんは、ピンクの花束を持って私の横へ。降谷さんは少し屈むように私の後に。そうして私は腕をいっぱい伸ばして、スマホの角度を調節するけれど上手くいかない。でも降谷さんがそれに気づいて、代わりに三人が入るように調整してくれた。

「じゃあ撮りますね」

 それだけ言って、降谷さんはサッと画面を押す。それは、「え、もう?」というくらい味気ない撮り方。私が抗議の声を上げると彼は少し面倒くさそうな表情を露わにしながらも、じゃあもう一度、と再度手を伸ばしてくれる。

 そのスマホの画面に映った秀一さんの表情は、あまりにも不愛想でクスッと笑ってしまった。降谷さんが、もういいですか、と呆れていてそれもなんだかとても楽しかった。そうして撮れた何枚かの内の一枚は、とっても自然な三人の姿だった。

「じゃあ写真、降谷さんにも送りま……」

 送ります、と思ったけれど、私は彼の連絡先を知らないんだった。先ほどの電話は非通知、つまり、今後も彼は連絡を取るつもりはないんだ。

 じゃあどうしようかと思っていると、彼は秀一さんを見ている。秀一さんは小さく頷くと、それを見て降谷さんが小さくため息をつく。

「全く。困りますね……」
「え?」

 降谷さんの言うことが分からず、首を傾げていると、彼はスマホを取り出した。それと同時に、私のスマホが鳴る。

「それ、僕の番号です。恐らく、今後も繋がるはずです」

 その言葉の意味を理解して、胸が熱くなる。降谷さんが、これからもよろしくと言ってくれている気がして、嬉しかった。それを察した秀一さんが、優しく背中を撫でつけてくれる。

 きっと、もう会うことはないと思う。それでも、繋がっていると、繋がっていてもいいと、言ってもらえるとことが嬉しい。込み上げてくる嬉しさを、隠すことができなかった。

「……では、僕はこれで」

 降谷さんは静かにそう切り出すと、車のドアを開ける。最後に軽く振り返り、“お幸せに” と残して。

「はいっ!降谷さんも、お元気で!ずっと応援しています」
「ははっ、ありがとう名前さん」

 そして私は、秀一さんに腰を抱かれながら、彼を見送った。本当に、いろいろなことがあったと、振り返りながら。これまで紆余曲折ありながらも、これからは秀一さんと生きていくんだ。そう、改めて実感していた。



 アメリカへ出発する日。空港の外は、タクシーや空港バス、そして送迎の車で賑わっていた。

 赤井と名前はタクシーを降りると、大きなキャリーケースを転がしながら国際線のターミナルへ向かう。名前は赤井に楽し気に話しかけ、彼もそれに穏やかに応えている。

 するとちょうど、フロアガイドの案内を見つけて名前は足を止めた。赤井もそれに合わせて、足を止めるが、ふと視線を感じて道路の奥を見る。

 RX-7だ。
 遠くて、車内は見えないが恐らく彼なのだろう。赤井は名前に教えようと、彼女に声をかけ道路を指さすが、振り返った時にはもうその車は走り出していた。不思議がる彼女に、彼は気のせいだと答える。

 一方降谷も、この日に空港へ来たのは偶然だった。運が良かったのか、二人が仲睦まじく歩く様子を見ることができていた。赤井もあんな表情をするんだなと、その姿を見て初めて知る。

 赤井と視線が合うものの、こちらが見えているのか、どうか分からない。そうして視線を他所へ向けていた降谷を、助手席に座る人物が不審がる。その言葉に彼は、視線を前に向けウインカーを出した。

「いいや……別に」

 そう言いながら、後方を確認し降谷はアクセルを踏んだ。その表情は、とても晴れやかだ。

「行こう、ーー。」

 そうして二人が乗った車は、空港を後にした。二人が乗った飛行機も、日本を発った。

 そして、それぞれの幸せを願いながら
 今日も、どこかで、生きている。

ーfin.ー