頬杖をついて、焦凍くんに貰った鍵を顔の前で揺らす。水族館に行った時に買ったペンギンのストラップも一緒にゆらゆらと揺れて、思わず頬が緩んだ。
何の変哲も無い鍵。
でも、わたしにとっては魔法の鍵だ。
本当に受け取って良かったのか、やっぱり返すべきなんじゃないのか。悶々と考え続けて、結局こうしてストラップを付けて大切に持っている。
合鍵。なんて甘くて特別な響きだろう。渡してくれた時の焦凍くんを思い出す度に、ごろごろと転げ回りたくなるくらい悶絶してしまう。
…………好き、だなあ。
焦凍くんの事を考えると溢れるこの感情は、もう抑えが効かなくなっていた。本気になっちゃいけない相手だって分かっているのに、どんどん心を占める割合が多くなっていく。焦凍くんの事を考えない日なんて一日もない。
駄目だと分かっていても「次はいつ会える?」って聞かれる度、この合鍵を手に取る度に自惚れてしまう。焦凍くんもわたしの事をちょっとは好きで居てくれてるんじゃないかな、って。だって、わたしに触れる手も、唇も、泣きたくなるくらい……いつも優しいから。
……きっと、わたしみたいなタイプが一番面倒で厄介なのだ。ちょっと優しくされたからって勘違いして、鍵をもらったくらいで彼女面して。……わたしが「好き」って言ったら、きっとすべてが終わってしまう。だから、言えない。
ペンギンのストラップごと鍵をぎゅうと握り締めた。祈りを捧げるみたいに額に押し当てて、息を吐く。
−−−焦凍くんに好きになってほしい。あの声で好きって言って欲しい。ああ、なんて烏滸がましい願いなんだろう。
***
−……ヒーロー・ショートが出演していると話題の化粧品のCM。休憩中に事務所でSNSを見ていたらその映像が流れて来て、思わず鞄からイヤホンを取り出して見入ってしまった。こ、これクオリティ高すぎでは……!?どの瞬間で止めても美しすぎるショートが拝める、ファンには堪らない映像だ。特に最後の流し目。その色っぽさに卒倒する女子が続出、なんて言われてたけど……うん、納得。大人びた表情で囁くように商品名を言う焦凍く……ショートにドキッとして、思わず画面から目を逸らしちゃったもん……。
イヤホンを外して幸せの溜息を吐いたタイミングで「なまえさんっ」と後ろから声を掛けられて、大袈裟なくらい肩が跳ねた。振り返ればニコニコと笑っている後輩ちゃん。
「び、びっくりしたあ……!」
「ちゃんとノックして入りましたよー!声掛けたのに反応無いからどうしたのかなーって思ったら動画見てたんですね!なまえさん、ショートが好きなんですか?」
「へ、」
「その動画のショート、本当に格好良いですよね〜〜っ!あっ、因みにわたしはチャージズマ推しなんです!」
「そっ、そうなんだ……?」
……後輩ちゃんがプロヒーロー好きだとは知らなかった。ヒーローについて熱く語る彼女の瞳はきらきらとしていて、話を聞いてると自然と頬が緩む。
「ヒーローの事、詳しいんだね」
「わたしの友達にデクにガチ恋してる子が居るんですけど、その子がめちゃくちゃ情報通で!どこで仕入れてるのかは知らないんですけど、裏情報とかも知っててるんですよねえ」
「ガチ恋……」
「……もしかしてなまえさん、ショートに本気で恋してる感じだったり?」
「っそ、そんな事ないよ!?」
慌てて顔の前で手を振ると「じゃあ良かったです!」と後輩ちゃんは笑った。
……''良かった''?
その言葉に思わず首を傾げる。
「……えっと、どういう事?」
「ほら、元々ショートってクリエティと熱愛だーって噂があるじゃないですか」
「…………ねつ、あい」
「その友達によると、今度また週刊誌にショートの記事が載るらしくて!その記事が結構−……」
−−−その後、どうやって働いたのか。どうやって家に帰って来たのか、あまりちゃんと覚えていない。
「クリエティ……胸大きいなあ……」
しかも胸が大きいだけじゃなくて、めちゃくちゃ美人。クリエティ、わたしでも知っている有名なプロヒーローだ。CMとかにも沢山出てるし、わたしが愛用してる化粧品メーカーのイメージモデルはクリエティだったりする。
「…………美男美女カップル、ってやつだ」
ぽつん、と呟いた言葉は一人きりの部屋に溶けて消えた。ネットで調べてみるとショートとクリエティの噂は山のように出てきた。寧ろ全く知らなかったわたしが少数派。−−−画像検索で出て来るクリエティの画像はどれも可愛くて、戦ってる時は格好良くて。足だってわたしの倍くらいあるんじゃないかって位長い。胸は一体、何カップなんだろう。自分の両胸に触れると、慎ましやかなソレに虚しくなった。……やっぱり焦凍くんも胸が大きい女の子が好きなんだなあ。うん、そうだよね。小さいより大きい方が良いに決まってる。何にしたって大は小を兼ねるのだ。
画像を漁っていると、偶々ショートとクリエティが一緒に映ってる画像が出て来た。個性を駆使して共に敵と戦う二人。絵になりすぎでは?お似合いすぎて思わず笑ってしまった。ぽた。ぽた。あれ、おかしいな。笑っているのにどうして画面が濡れるんだろう。拭っても拭っても、次から次へと溢れてしまう。−−−ああ、わたしは錯覚していたんだなあ。やっぱり、焦凍くんはわたしなんかが好きになって良い存在ではなくて。絵本に出て来る王子様と一緒。想って良いのも、結ばれて良いのも、お姫様だけ。
「……おに、あい、だなぁ、」
現実を突き付けられて、気付いた。どうして好きになってもらえるなんて思ってしまったんだろう。わたしは焦凍くんにとって、周りに居る人間とは少し毛色の違う女だっただけだ。
だから側に置いてもらえただけ、なのに。
心の何処かで『わたしは特別なんだ』って思い込んでいた馬鹿なわたし。セフレだって分かっていながら勝手に好きになって、勝手に見返りを求めていた。ちゃんとした本命が居るって分かったら、今度は勝手に傷付いてる。
涙で濡れたスマホがぴこん、と軽快な通知音を鳴らした。ぼやけた視界の中で焦凍くんの名前が見えた。
『今度の休み、遊園地のチケット貰ったんだけど行かねえか?なまえが行きたいって言ってた所』
「…………っ」
−−−行きたい。
焦凍くんと行く遊園地はきっと、いや絶対楽しいに違いない。朝から夜まで遊び尽くして、その後は焦凍くんのお家に行って−……。
「……しょーと、くん……」
知らなかった頃に戻れるか、と言われたら戻れない。ああ、魔法は解けてしまったのだ。−南瓜の馬車はただの南瓜に。わたしはやっぱり彼の選ぶたった一人のお姫様にはなれなかった。
魔法が解けたらどうなるのか?
元に戻る。−……ただ、それだけ。