焦凍くんが好きな匂いだと言ってくれたボディーバターで保湿をして、いつもより少し高いパックをした。昨日美容院に行ったばかりだから、髪の毛はサラサラで艶々。鏡に映っているわたしは、いつもより少しは見れる姿をしているのではないだろうか。やり過ぎなくらい着飾った自分を鏡越しに見ていると、初デートの時の事を思い出す。−−−ああ、でも良く見ると少し腫れた目元。出来る限り化粧で隠したんだけど、隠しきれてない気もするなあ。下がった口角を、両手でぐっと持ち上げた。解けかけの魔法を、きっと遊園地っていう夢の詰まった空間が誤魔化してくれる。だからあとちょっとだけ。もう少しだけ。
……今日だけは。
***
「平日なのにこんなに混んでんのか」
「これでも割と空いてる方みたいだよ」
「……そうなのか」
「焦凍くん、来るの初めて?」
「ああ。でも心配すんな。しっかり下調べして来たから」
下調べ。その言葉に思わずふふ、と笑うと繋がれた手に力が込められた。当たり前のように絡まる指先に、少しだけ胸が疼いて切なくなる。わたしの手を包み込んでしまえる位の大きな手。焦凍くんの顔を見上げると「なまえは何に乗りたいんだ?」と問い掛けられた。広げてくれたパンフレットを覗き込む。国内最大級のテーマパークと言うだけあって、広さもアトラクションの数も半端じゃない。この量を一日で回るのはかなり大変だ。「こんだけあると悩むよな、」と顔を寄せた焦凍くんから、いつも使ってるシャンプーの匂いがして胸が騒つく。一瞬目を閉じて、小さく息を吐いた。……園内に入ってからずっと流れている、軽快なリズムの音楽が沈みそうになる気持ちを浮上させてくれる。今日は、今までで一番楽しい日にするって決めたんだ。
わたしはもう一度焦凍くんの顔を見上げて、にっこりと笑った。
−−−「全部!全部乗りたい!」
***
長蛇の列に並ぶのも、焦凍くんと一緒なら苦じゃなかった。ただひとつ誤算だったのは思った以上に寒い、という事。まだ本格的に冬じゃないし……と思って厚着して来なかったのが間違いだった。隣の焦凍くんをちらっと見ると、平然としている。わたし以上に薄着なのにこの差は一体……。冷たい風が頬を撫でると、体がぶるりと震えた。
「……寒いか?」
「うん、ちょっとだけ。今日は風が冷たいね〜……焦凍くんは平気?」
「俺は大丈夫だ。……なまえ、」
「ん?……ひゃっ……」
「こうした方が少しは温かいだろ」
繋いでいる方の手を、焦凍くんのコートのポケットの中に突っ込まれる。……やる事が一々格好良いんだよなあ、焦凍くんって。
「ありがとう。……焦凍くんの手、温かいよね」
「そっち側の個性は熱だからな」
「そっかあ、だからこんなにポカポカしてるんだ……ふふ、人工カイロだ」
この温もりも、今日で最後だと思うと少し寂しい。……ああ、思い返してみたら、いつも温かい方の手で繋いでくれてたんだなあ。わたし達の立ち位置はいつもこうだ。焦凍くんの優しさがじわり溶けていく。
「わたしね、焦凍くんの手、好きだよ」
「……何だ、急に」
「大きくて、こうして包まれてるだけで凄く守られてる気分になるの」
「そう、か?」
「うん。……焦凍くんはヒーローなんだなあって思い知らされる。この手は、沢山の人を守る手なんだよね……」
「……なまえ?」
この手が解けたら、もうおしまい。わたしと焦凍くんはヒーローとただの一般市民に戻る。油断すると泣きそうになるから、取り繕うように笑顔を作った。
「これ乗ったらお昼ご飯にする?」
「ん、……そうだな。ここのすぐ近くにレストランがあるから、そこで食うか」
「そうだね!……わー、見て焦凍くん、限定メニュー凄く美味しそう……!」
「なまえはこっちも好きそうだな」
「んー!それもいい……悩んじゃう……!」
レストランのメニューを見ながらどれを食べようかと話している内に順番が来て、二人でジェットコースターに乗り込んだ。見た目はファンシーなのに思った以上に激しいジェットコースターで、降りる時には二人ともぐったり。髪の毛もボサボサだ。いつも格好良い焦凍くんも全体的に何だかよれっとしていて、顔を見合わせたらどちらからともなく笑ってしまった。
「ふ、ふふっ……ジェットコースターって久し振りに乗ったけど、こんなに凄かったっけ……!」
「なまえ、すげえ叫んでたな」
「わたしばっかりキャーキャー言っててちょっと恥ずかしかった!」
「俺も心の中で叫んでたぞ」
「ちゃんと声に出してよー!」
「……お、なまえ、写真買うか?」
「……っ写真どこで撮るのかと思ったら、これ最後落ちる前のっ……わ、わたしの顔、やばいねっ……あははっ……!」
「ふ、すげえいい顔してんな」
「隣の焦凍くんがクールで格好良い表情してるのが何ともっ……ふふ、折角だし買っちゃおうかなあ」
可愛らしいフレームにはめ込まれた写真に写ってるのは、思い切り叫んでるわたしと澄まし顔の焦凍くん。同じジェットコースターに乗ってるとは思えない。この顔で『心の中では叫んでた』とか言っちゃうんだもんなあ。……ひとつくらい、思い出を持ち帰ってもいいよね?折れないようにしっかりと鞄の中に仕舞い込んだ。
−−−お昼ご飯を食べた後は、食後の体に優しい比較的緩めなアトラクションに乗った。コーヒーカップはあまり回さずに楽しんで、ショーを見て感動で少し涙ぐんで。メリーゴーラウンドで白馬に跨った焦凍くんはまるで本物の王子様だった。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。時折休憩を挟みながらもアトラクション全制覇を目指して園内を歩き回っている内に、気が付けば閉園時間まで1時間を切っていた。
「時間的に次のアトラクションが最後かな、」
「もうそんな時間か……早いな」
「ね……焦凍くんは何か乗りたいの、ある?」
「俺か?そうだな……乗りたい物には殆ど乗った気がするが…………ああ、あれ、乗ってなかったな」
焦凍くんが見ている方向を見ると−−−この遊園地の中でも一際目立つ、大きな観覧車があった。
……ああ、最後にぴったりだなあ。
美しくライトアップされた観覧車を見上げながら吐いた白い息が、夜に溶ける。
−−−この観覧車は1周が15分。乗り込んだ瞬間にカウントダウンは始まった。
「……わあ、綺麗……!」
「最後にとっておいて正解だったな」
「夜の観覧車ってロマンチックだよね」
ゆっくりと最頂部に向けて上昇する観覧車。暗闇の中に浮かび上がったいろとりどりの眩い光に思わず感嘆の息が漏れる。観覧車の中から見る夜景は、ファンタジーの世界に迷い込んでしまったのでは?と錯覚するくらい美しかった。
「……なあ、なまえ」
「……なあに?」
「そっち側に行ってもいいか」
返事をするよりも早く、向かい側に座っていた焦凍くんが立ち上がってわたしの隣に座る。
「まだ返事してないのに、」
「悪い」
「焦凍くんがこっちに座ったらバランスが…………っ」
ぐらり。観覧車が揺れた。
「……なまえ、」ゼロ距離で聞こえる自分の名前に、抱き締められている事を理解した。反射的に抱き締め返すと、背中に回された腕にぎゅっと力がこもる。少し冷たい焦凍くんの体に鼻の奥がツンとした。
「……他の観覧車から見えちゃう」
「……なまえと二人きりだと思ったら、我慢出来なくなった」
「ぎゅってしてたら、景色見れないよ」
「……悪い」
謝りながらも離す気がないらしい焦凍くんは、さっきよりも強くぎゅうぎゅうとわたしを抱き締める。冷たい頬を擦り寄せられると、何だかその姿が大きな犬みたいで笑ってしまった。
離してもらう事は諦めて、大人しく焦凍くんの腕に身を預ける。
「……遊園地、楽しかったね」
「ああ。なまえと来れて良かった」
「流石にアトラクション全制覇は出来なかったけど、……あとちょっとだったなー」
「この広さを1日で回りきるのは無理があったな」
焦凍くんの声に耳を澄ませる。他愛もない会話を、感じられる熱を、全身に刻み付けていく。……ああ、抱き締められていて良かった。今、目を見て話す自信がない。
焦凍くんの肩越しに外を見る。
きっと、もうすぐ頂上だ。
わたしの髪を撫でながら、焦凍くんが小さく笑う。「焦凍くん?」と名前を呼んだ。声が震えていないか、ちょっとだけ心配。
「……全部乗れなかったのは残念だけど、次に来た時は−−−」
焦凍くんの唇から紡がれるであろう言葉に、体が勝手に反応した。その次に彼が言う言葉をわたしは聞いてはいけない。
口を塞ぐ為の、咄嗟の行動。
−−−初めて自分から焦凍くんにしたキスは、しょっぱい涙の味がした。
「……っなまえ……?」
「……へへ、ちょっと早いけど、魔法、解けちゃったみたいだ」
「ま、ほう……?」
「焦凍くん、…………会うの、今日で最後にしよう」
「…………は、」
「今日までいっぱい、ありがとう。焦凍くんには言葉に出来ないくらいの沢山の物を貰ったのに、わたし、何も返せなくてごめんね」
「………………」
「あっ、あのね、今書いてる小説が急上昇ランキングに入ったの!えっちの描写に凄くドキドキしましたってコメントが沢山あって。ふふ、ちょっと恥ずかしいけど、それも焦凍くんのお陰だあ」
「………………なまえ、」
「焦凍くんが言った通り、わたしの小説にはリアリティさが欠けて」
「なまえッ!!」
初めて聞いた大きな声にびくりと肩が跳ねたけれど、焦凍くんの顔は見ずに鞄の中に手を突っ込む。それを呆然と見つめていた焦凍くんも、わたしが鞄から取り出した物を見るとふるりと首を振った。
魔法の鍵。
……否、焦凍くんの家の合鍵だ。
「これ、返すね」
「何で急に、」
「急じゃないの。今日で最後にするって、決めてた。……勝手に決めてごめんね。でも、」
「……俺は納得してねえし、その鍵を受け取るつもりもねえ」
「……受け取ってくれないと、困る」
「……今日だって、ずっと笑ってたじゃねえか。そんな素振り、ひとつも見せなかった癖に……!急にそんな事を言われて困ってんのは俺だッ……」
「……」
「なァ、何かしちまったなら教えてくれ……頼む……」
「焦凍くんのせいじゃない……、わたしが……一緒には居られなくなっちゃったの……」
「意味が、分からねえ……っ」
いつのまにか観覧車は頂上を過ぎて、ゆっくりと地上に近付き始めていた。折角の美しい夜景が涙で滲んで見えない。枯らす勢いで家で泣いたというのに、全く意味がなかった。次から次へと溢れる涙が頬を濡らす。
「…………何で、なまえが、泣くんだよ」
「……ごめん、ね、焦凍くん、」
好きにならなければ、まだ焦凍くんの隣に居られたのかもしれない。でも、好きになってしまった。−−−焦凍くんは、わたしに会っていない時間はあの美しい恋人を抱くのだろう。優しく触れて、甘く囁いて。ああ、わたしは言ってもらえない、『好きだ』って言葉も簡単に聞けちゃうんだろうなあ。想像するだけで心臓が締め付けられた。今までははっきりとした姿かたちが無く靄がかっていただけなのに、色を帯びてしまった妄想がわたしを苦しめる。ただのセフレの分際で、会った事もない恋人にどうしようもないくらい醜い嫉妬をしてる。……こんな気持ちを抱きながら隣には居られない。わたしだけを愛して、なんてみっともなく縋り付くことも出来ない。
「……終わりに、しよう」
3、
2、
1、
0。
遊園地の閉園を告げるアナウンスと一緒に、わたしの恋は終わりを告げた。