きみは微熱に気がつかない:切島
(切島) ※USJ後



USJでの長い一日を終えて、精神的にも肉体的にもかなり参っていた。家がすげェ遠く感じる。……授業中に敵に襲撃されるなんて、思ってもみなかった。それも今まで対峙した事の無いレベルの、凶悪な敵。一歩間違えばクラスメイトが殺されていたかもしれない。俺だって−……。考えるとぶるりと体が震える。自分はまだまだ未熟だという事を今日一日で改めて痛感した。頑張らねえと。もっと、もっと。今のままじゃ駄目だ。こんな自分じゃ、なまえを守る事も出来ないだろう。


ようやく家に着いて扉を開けると、音を聞き付けたのかすぐに母親が近付いて来た。


「ただいま、」
「おかえりなさい。……鋭児郎、今日学校で何かあったんだって?大丈夫なの?」
「……いや、俺は全然大丈夫だけど……何で知ってんだ?」
「なまえちゃんが来てね、教えてくれたの。明日は臨時休校なんでしょ?」
「……なまえは?帰った?」
「なまえちゃんなら鋭児郎の部屋に……って、ちょっと鋭児郎!話がまた途中なんだけど!」
「悪ィ!あとで聞くから!」


なまえが来ている。母親の声を背中に受けながら、二階への階段を駆け上って勢い良く自室の扉を開けた。「鋭ちゃん……?」息を切らした俺を驚いたように見つめるなまえを見た瞬間、言葉では表せない感情が込み上げて来た。なまえが俺の部屋に居る光景。ずっと昔から見慣れた筈のものなのに、今はそれが酷く愛おしく感じる。近付いて、無言で彼女を腕の中に閉じ込めた。やさしくて甘い匂い。ああ、なまえだ。なまえがここに居る。


「なまえ……暫くこのまま抱き締めさせてくれねェか……頼む……」
「うん、いいよ。……怪我は無い?わたし、抱き締め返しても平気?」
「……ああ」


なまえの腕が体に回って、小さな手が髪を撫でた。ちっとも泣きたくなんてなかったのに、彼女の温もりを感じると胸が締め付けられて、思わず目頭が熱くなる。


「……鋭ちゃんのクラスが敵の襲撃に遭ったって聞いた時、すごく……怖かった……」
「……」
「鋭ちゃんに怪我があったらどうしようって、……っ、わたし、……っ」
「……なまえ、」
「っ……で、でも、鋭ちゃんの方が、もっと怖かったよね……っ……無事で、良かった……っ!」


抱き締めていて良かった。互いの顔が見えなくて良かった。こんな情けない顔は見せられないし、なまえの泣き顔も、見てはいけないと思った。


「……心配、掛けちまったんだな」
「ん……色々あって疲れてるのにごめんね……どうしても今日、鋭ちゃんの顔が見たかったの」
「俺も、なまえに会いたかった。だからなまえが家で待っててくれて、すげェ嬉しい。……ありがとな?」
「……えへへ、来て良かったあ」


柔らかな声に肩の力が抜けていく。なまえと触れ合うことで、自分がずっと緊張状態だったことに気が付いた。心臓の鼓動がとくん、とくんと緩やかなものになる。心地良い。ずっとこうしていたい。俺の、俺だけの幼馴染。


「……他の皆も、怪我とかしなかった?」
「ああ……緑谷がちょっとな、」
「出久くん怪我したの!?」
「でも、保健室で済むって言ってたから……リカバリーガールに治してもらってる筈だぜ」
「そ、っ……そっかあ……」


怪我をしたと知って、なまえは緑谷の事が心配で堪らないのだろう。浮かない顔をしているなまえの背中をそっと撫でてやると、抱き着く力が強くなった。


「……なまえが言ってた出久くん、って緑谷の事だったんだな」
「……うん。出久くん、いい子でしょ?」
「ああ……緑谷はいい奴だ」
「入学してから全然会えてないから、毎日会える鋭ちゃんが羨ましいな」
「…………そう、だな」


彼女の言葉は時折、俺の心をちくりと刺していく。……嫉妬するところじゃねェだろ、俺。分かってはいても、じくじくと心臓が痛む。なまえの広がっていく世界の中で、そこには緑谷の存在が確かにある。俺だけの''幼馴染''が、俺だけのものじゃなくなっていく。いつか彼女の心が他の男で埋め尽くされる日が来てしまうのかもしれない。そう思うと−−−……俺、は。


「んっ……ち、ちょっと力、強いかも……」
「わ、悪ィ!」
「……鋭ちゃん、苦しそうな顔してる」
「……そうか?」
「ん……平気?」
「ああ。…………なまえがこうしてくれてたら、平気だ」


このまま時間が止まればいい。そう、時々思ってしまう。どこにも行かないで欲しい。この腕の中に留まって欲しい。なまえの優しさが、俺だけに向けられればいいのに。……そんな事を考えてしまう自分に腹が立つ。


なまえのうつくしい心が好きだ。
あたたかくて優しい手が好きだ。

気付かない内に人の心を救い上げてしまう、そんななまえが好きなんだ。俺が閉じ込めていい女の子じゃない。分かってる。その心で、小さな手で、彼女はこれからもきっと沢山の人を癒していくのだ。


この思いを伝えたい。ずっとそばに居て欲しい。俺のものになって欲しい。俺を好きになって欲しい。俺だけを見て欲しい。でも、彼女から自由を奪いたくはない。優しい彼女のことだ。俺の思いを知ったら悩むに違いない。長い間家族のように一緒に過ごしてきたんだ。誰よりも大切にされている。その自覚はある。……俺の思いで、苦しめたくない。


「うん、鋭ちゃんが楽になるまで、ずっとこうしてるから」


心が弱る時はどうしても昔の自分が顔を出す。中学校に置いてきた筈の弱い心。なまえの優しさにみっともなく縋り付きたいと、そう思ってしまう。


「……なまえ、好きだ」
「わたしも鋭ちゃんのこと大好きだよ、」


俺だけがこの感情に名前を付けてしまった。なまえに''恋''をしてしまった。お互いの好きが持つ意味は変わってしまって、今は交わらない。



日々積もっていくこの思いは、いつ限界を迎えてしまうのだろう。