(轟)
「わっ、」
僅かに頬を紅潮させた女子が、ぱっと振り返って俺を見た。……何だ?首を傾げると、自動販売機を指差しながらへにゃりと笑う。
「……あ、当たっちゃいました……!」
***
「……俺が選んで良かったのか?」
「はいっ。初めて自販機で当たったのが嬉しくて……!誰かと共有したかったんですけど、一人で買いに来たところだったので、」
「それで偶々後ろに並んでた俺に声を掛けた、って事か」
「……め、迷惑でしたかね……?」
伺うように俺を見るこの女子とは初対面で、今まさにこの場所で出会ったばかりだった。飲み物を買う為に自販機に並んでいたら、俺の前に飲み物を買っていた彼女がどうやら''当たり''を引いたらしく、当たり分の飲み物の権利を俺に譲って来たのだ。断る理由も無い。有り難くいつも飲んでいるお茶を選び、礼を言う。
「迷惑じゃねえよ。ありがとな」
「!えへへ……幸せのお裾分けです」
顔を見れば、本当に自分のした事が''幸せのお裾分け''だと思っているのだろう。実に能天気で、気の抜ける表情だ。ふ、と思わず口元が緩んだ。ここ最近はずっと腹の中をぐるぐると渦巻く不快な気持ちに支配されていて、少しでも穏やかな気持ちになれたのは久しぶりだった。名も知らぬこの女子に改めて心の中で感謝する。
「このお茶、美味しいですよね」
「ん、……ああ、そうだな。俺はペットボトルの茶だと殆どこれしか買わねえ」
「あはは、わたしもです!なんていうかこう、緑茶だ〜〜!って感じがして好きなんですよね」
「……ふ、何だよそれ。全然説明になってねえ」
「でも何となく分かりません?ペットボトルのお茶だけど、しっかりしてるっていうか……」
「まあ、言いたい事は分かるけどな」
俺が選んだものと全く同じお茶がとぷん、と揺れる。
「あ、引き止めちゃってごめんなさい。急いでました?」
「いや。……でも、もう戻る」
「そうですね!わたしもそろそろ戻らなきゃ……お茶、貰ってくれてありがとうございました!」
……貰った側の俺が何で礼を言われてんだ?あどけない笑みを向けられて、胸の辺りがむず痒くなる。
ぺこりと頭を下げて、女子が俺の横を通り過ぎようとした。その時。髪からだろうか?すれ違いざまにふわりと香った優しい匂いに、思わず細い腕を掴んで引き止めていた。「どうしたんですか……?」とくん。とくん。緩やかな心臓の鼓動が、徐々に早くなる。……どこかで嗅いだ事があるような、優しくて、懐かしい香り。……ああ、似ている。そうだ、この匂いは−−−。
「……かあ、さん」
瞳を見開いた彼女にハッとした。掴んだ腕を離して「悪ィ、」と一言謝る。……何、やってんだ俺は。……でも彼女の纏う香りが、暫く会っていない母さんを思い出させた。ぐっと奥歯を噛み締め、目を逸らす。脳裏に浮かぶのはあまり思い出したくはない記憶だ。バケモノを見るような目で俺を見る母さん。見ないでくれ。俺を。嫌だ。嫌だ……!!
ふわり、と。頭の上に乗った掌がそっと髪を乱した。……ゆっくり顔を上げる。そこにあったのは俺の身を労わるような、心配気な表情。その顔が幼い頃に自分を抱き締めてくれた母さんと重なった。
「……大丈夫、ですか?」
優しい声に、体が震える。
「ッ、さ、わるな……!」
咄嗟に手を振り払った。彼女の温もりと、自分に向けられる優しさが酷く恐ろしいものに思えたのだ。力が抜けた手からするりとペットボトルが落ちて、床にぶつかった。膝を曲げてそれを拾い上げた彼女が、ゆっくりと俺を見上げる。
−……戸惑う声。聞こえないフリをして、背を向けていた。あのまま彼女と居たら自分が自分では無くなりそうだと、決意が揺らいでしまいそうだと、そう思った。……会ったばかりの彼女に縋り付きたいと、一瞬でも思ってしまったのだ。
纏わりつく甘い匂いが脳裏から離れない。
……乾いた喉がヒリヒリと痛んだ。
***
(心操)
「みょうじさん、何でお茶二つ持ってるんだ?」
自分の飲み物を買いに行った筈のみょうじさんは、何故かその腕に二つのお茶を抱えていた。しかも全く同じ物。教室を出て行った時はいつも通りだったのに、どこか浮かない顔をしたみょうじさんに俺は首を傾げる。
「これね、当たったの」
「へえ……。強運だなみょうじさん」
「ね、びっくりしちゃった」
「……当たった分もそのお茶にしたのか」
素直な疑問を口にすると、みょうじさんは困ったように笑った。いつもと違う、胸のあたりが騒つく笑みだ。
「うん、」
「……そうか」
「美味しいんだよ。わたし一押しのお茶なんだあ」
「……そう言われると気になるな」
「じゃあ、これ心操くんにあげるね」
「いいのか?」
みょうじさんの手からペットボトルを受け取る。何の変哲も無い、コンビニや自販機で良く見かける普通のお茶だ。だけどみょうじさんから貰ったものだと思うと、何となく飲むのが勿体無いような……このまま取っておきたいような……。って、何考えてんだか。浮かんだ考えを振り払うようにキャップに手を掛ける。
「……みょうじさん。それ、折角買ってきたのに飲まないのか?」
飲まないまま鞄に仕舞われたペットボトルと、元気が無いみょうじさん。やはり何かがおかしい。……明るい彼女が落ち込んでいるとこっちまで不安な気持ちになる。みょうじさんにはいつもの様に笑っていて欲しい。
俯いたまま「後で飲もうかなと思って、」と苦笑する彼女に一歩近付く。……そっと小さな頭に触れた。とくん、と甘やかな音を立てる心臓には気付かないフリ。ゆっくりと頭の上で掌を往復させると、顔を上げたみょうじさんが困った表情で俺を見る。ああ、そんな顔しないで欲しいな。
「……心操くん?」
「何か、元気無かったから」
「…………慰めてくれてる?」
「……そのつもり」
「優しいなあ、心操くん」
俺は今までみょうじさんから貰った優しさを返しているだけだ。彼女の心を真似ているだけ。……いや、それは違うか。みょうじさんは見返りを求めない。純粋に、真っ直ぐに。分け隔てなく優しさを与える人だ。それに対して俺は少し……いや、かなり邪だ。こうして触れながら、みょうじさんに良く思われたいと心の何処かで思っている。
「誰かに……何かされたのか?」
「えっ、ううん!違うよ!」
「……本当か?」
「うん。ごめんね、心配掛けちゃったんだね」
「もう大丈夫だから!」……また、違う意味で胸が騒ついた。彼女を傷付けるモノ。彼女に浮かない顔をさせた''何か''。
許せない。ただ、そう思った。
「みょうじさん」
「ん?」
「俺のこと、頼ってくれよ」
みょうじさんの笑顔を守る為なら、この優しい場所を守る為なら、……俺は何だってしよう。
どんな些細なことでもいいから頼って欲しい。頼られたいんだ。みょうじさんの力になりたい。
きょとんと瞳を瞬かせたみょうじさんはきっと分かっていない。そして、俺自身も気付いていない。
この胸を渦巻く、どこか仄暗い感情に。