心臓はすなお:物間
(物間)


これは本格的にヤバいかもしれない。

そう思った時には時既に遅し。個性の使い過ぎと疲労が溜まって限界を超えた体は勝手にぐらりと傾いた。咄嗟に壁に手を付き、深く呼吸をする。……倒れる所だった。……あー、でも、これは本格的にマズいかもしれない。視界がボヤけて、気持ちが悪い。良いのか悪いのか付近に人の気配は無く、クラスメイトやA組に情けない所を見られなくて良かったと思うべきなのか、誰かと一緒じゃない事を悔やむべきなのか。気持ち悪さに耐えられなくなり、ずるずると壁にもたれるようにしてしゃがみ込んだ。


「あの、大丈夫ですか……?」


大丈夫じゃないよ、見れば分かるだろ。……聞き覚えのない声だ。どこの誰かは知らないが、知り合いじゃないなら面倒くさいから放っておいて欲しい。近寄って来た人影にぼんやりと視線を向ける。……女。この制服は……普通科。


「……大丈夫だからどっか行って」
「あ、でも、」
「……ちょっとこうしてたらすぐ治るから」


突き放すような言い方をしてしまった事に少し罪悪感を感じつつ、言葉を詰まらせた女の気配が遠ざかっていく事に瞳を閉じた。誰か呼んで来てもらえば良かったかも……。こういう時はプライドが高い自分を恨む。……くそ、気持ち悪いし、本当に最悪だ。しゃがんでいる事すら辛くなり、地面に座り込んで呼吸を整える。


……暫くそうしていると、また近くに人の気配を感じた。振り返る元気は無い。軽い足音がこちらに近付いて来るのを感じて、思わず眉間に皺を寄せる。


「あの、良かったらお水買ってきたので……飲めそうですか?」
「……は、」


その声は、さっきの女だった。思わずそちらに振り返って心配そうな表情の女を見た瞬間−−−視界が、暗転した。



***


……何だ?
あったかくて、柔らかい。
僕は一体……。

目元に感じる温もりと、落ち着く優しい匂い。心地良い。ずっとこのままでいたいと思ってしまう僕がいる。……重い瞼をゆっくりと持ち上げる。目元を覆っていた何かがぴくりと反応し、視界が鮮明になっていく。


「……目、覚めました?」
「君は…………」
「ごめんなさい、本当は保健室に連れて行きたかったんですけど……あんまり体を動かすのも良くないかな、と思って」


大丈夫ですか、と僕を見下ろす表情は気を失う前に見た表情と全く一緒だった。……膝枕されている。髪を撫でられている。会ったばかりの見知らぬ女生徒に、誰にもされた事が無いような事をされている。普段の僕だったら大慌てで飛び上がって、勢いのままに言葉を投げつけていただろう。でも、言い訳をするならばこの時の僕は本当に頭がボンヤリとしていて、指一つ動かすのも億劫だったのだ。


「……僕が意識を失ってから、ずっとこうしてくれていたの?」
「……ご迷惑かなとは思ったんですけど、地面にそのまま寝かせておくのは気が引けたので、」
「……君のスカートが汚れちゃうじゃないか」
「ハンカチ引いてるので大丈夫ですよ」


へにゃりと笑った顔が可愛いな、と素直に思った。彼女の手が僕に触れるのをやめると、咄嗟にその手を握ってしまう。……随分と熱い手だな。きょとんとしている彼女の手を自らの額へと戻して「……もう少し、こうしていて」と言った。何を言ってるんだ僕は。でも、彼女の熱が離れていく事が嫌だと思ってしまったのだ。彼女の手が触れている箇所は痛みが少し、穏やかになる。だから……あと少しだけ。


「……こうしていると楽ですか?」
「……うん」
「分かりました。落ち着いたら保健室に連れて行きましょうか」
「ううん、大丈夫。……もう少ししたら動けるようになると思う、から……」


与えられる優しい温もりに疲労が軽減していくのが分かる。彼女の手が触れている部分から体の不調が吸い取られていく感覚だ。

瞳を閉じて、身を委ねる。
ずっとこうしていて欲しいな……。



……じゃないだろ僕ーーー!!!
暫くして意識がハッキリすると、先程までの自分の言動や行動を思い出して全力で頭を抱える羽目になった。


僕をひ、ひっ、ひ、……膝枕してた女は、目の前で呑気に「お水飲みますか?」とペットボトルの蓋を開けている。ねえちょっと甲斐甲斐し過ぎじゃないか!???飲むよ?飲むけどさ!……はァ、水分が体に染み渡る……。


「起き上がれるようになって良かったです」


水を飲んだら色々言おうと思ってたのに、柔らかな笑顔でそう言われ毒気が抜かれてしまう。


「君……何で戻って来たの?僕、結構冷たい言い方したと思うんだけど」
「あんなに辛そうにしてる人、放っておけないですよ」
「…………あっそ、」
「……本当に、保健室は良いんですか?」


未だ心配してくる女に「大丈夫だって言ってるだろ」と伝える。別に無理をしている訳じゃない。さっきまでの怠さや疲労感が嘘のように、今は体が軽いのだ。


「君、普通科の生徒だろ?こんな時間まで何やってるの」
「あ、わたしは図書室で本を読んでいて」
「へぇー、放課後に図書室でのんびり読書かー。普通科って暇なんだね」


そんなことを言うつもりでは無かったのに、つい皮肉を言ってしまった。咄嗟に口を押さえるも出してしまった言葉は取り消せない。……しかし目の前の女は気にした様子も無く「雄英の図書室は大っきいのでいつも時間を忘れちゃうんです」と気の緩む顔をして笑っていた。思わずぽかんとしてしまう。


「……」
「その制服、ヒーロー科ですよね?」
「……僕は物間寧人。ヒーロー科1年B組。君は」
「あっ、わたしはみょうじなまえです。普通科1年でクラスはC組です。……あの、物間くんって呼んでもいいですか?」
「……同い年なのに敬語はおかしくない?」
「あ、そうだね」


みょうじ、ね。教えてもらった名前をひとり心の中で繰り返す。


「みょうじ」
「ん?」
「……その、……さっきはありがとう。助かった。……でも!ひ、膝を貸すのはやり過ぎだと思う」
「地面よりは良いかなって思ったんだけど駄目だったかな……?」
「駄目というか、」


……明らかに善意でやってくれた事に対して駄目、というのは気が引けるな……。しかも僕、膝枕されながら「もう少しこうしていて」とか言っちゃったし、…………うわーー!改めて考えても何言ってんだ僕!太ももの柔らかい感触とか髪を撫でる優しい手つきを不意に思い出して、カアアと顔に熱が集まる。ちらとみょうじに視線を向けると、不思議そうな顔でこてりと首を傾げられた。その表情を見た瞬間、勢い良く胸が何かで射抜かれ、どくんどくんと強く心臓が脈打ち始める。は?な、何だこれ!?……みょうじのせいか!?


「ぼ、ッ……僕に何した!?」
「へっ……な、何もしてないよ」
「嘘吐け!ぐっ……し、心臓が痛い……ッ」
「大丈夫!?やっぱり保健室行った方が……」
「うわああっ、そ、それ以上近付くなっ!」

みょうじが僕に触れようとした瞬間、心臓は破れそうに大きく脈打ち、身体中が熱くなる。


「何か個性でも使ったのか……?」
「わ、わたしが?物間くんに?」
「君以外に誰がいるんだよ……」
「わたしの個性、体温が高いって個性なんだけど、」
「体温が高い?……ああ、だから手が温かかったのか、」
「うん。確かめてみる?」
「いいいいいいよ!!っていうか近付くなって!」
「ど、どうして急に」
「どうしても!駄目!……はあ、個性じゃないなら何なんだよこれ……」
「物間くん倒れたんだし、心臓が痛いなんて心配だよ、」
「っ……そ、その顔、やめてくれないかな!?」


しゅんとした顔は別の意味で心臓が痛くなる……!

みょうじと少し距離を開け、呼吸を整える。暫くすると鼓動は穏やかになり、心臓の痛みも引いていった。


はァ……良かった……。


ふう、と息を吐き「もう平気、」とみょうじに向き直る。へにゃりと微笑みながら「良かったぁ」と言われ、僕はまた謎の心臓の痛みに苦しむ事になってしまったのだった。


……何なんだよ、本当に!