(相澤)
仕事を終えた後、マイクにしつこく誘われた俺は半ば無理やり居酒屋へと連行されていた。正直、一刻も早く帰って寝たい。一度も止まる事なく話し続けるマイクの話を聞き流しながら酒を喉奥へと流し込む。授業の話、最近起きた事件の話、事務所の話。身振り手振りを交えながらペラペラと喋り続けるマイクの話を聞き流しながら適当に相槌を打っている内に、気が付けば何故か話題は教え子であるみょうじなまえの事になっていた。
「んで、みょうじってヒーローを目指す人間にとっては麻薬みたいなモンだと思うワケよ」
何とも物騒な発言だ。口内の酒を静かに飲み下してからマイクの顔を見る。ヘラヘラと笑いながらの発言かと思いきや、そうでは無かった。カランと酒の入ったグラスを揺らしながら、マイクにしては珍しく深めの溜め息を吐いた。
「Ah〜……俺の可愛い可愛いみょうじがモテ期で辛いんだよイレイザー……」
「今すぐここで通報してやろうか」
「ちょ、それはナシ!ジョーダンだって!」
「冗談に聞こえないんだよ、お前のそれは」
……ほんの少しだけ心配した俺が馬鹿だったな。マイクが教え子であるみょうじに入れ込んでいるのは良く知っている。マイクがボイスヒーローとして活動し始めた頃から親交があるらしく、マイクにとってみょうじは教え子というよりは娘に近い存在らしい。結婚どころか恋人すら居ないのに娘ってお前……と思った事は心に秘めておく事にする。実際、みょうじとマイクが校内で仲睦まじく話している姿は何度か目撃した。マイクのデレっとだらしなく緩んだ表情を見て、妙な噂が流れやしないかと心配したのはここだけの話だ。
俺の言葉に対していつもの様に大袈裟なリアクションを取ったマイクだったが、姿勢を正して再度口を開く。
「個性ってのは自分の意思と関係無く与えられるモノだろォ?俺からするとあの子の個性は神様からの祝福で、そしてあの子は神様からの授かりもので人間に幸せを分け与える天使なんだよな」
「……」
「イレイザー、その目で見るの今すぐやめて。俺のガラスのハートがブロークンしちゃう」
「意味が分からない事を言うからだろ。気色悪い」
「巫山戯てるとかじゃなくてホントに思ってんのよ、俺」
みょうじの顔でも思い浮かべているのだろう。目元を和らげ優しい表情になったマイクはひとり言のようにぽつりと呟いた。
「みょうじはあの小さな体に入りきらないくらいの愛をぎゅっと詰め込んで生きてる。あの熱は、優しさは、そんな愛を具現化したもんだと思うんだ」
「……愛ね」
「なァイレイザー、どんな人間にも白と黒の二面が存在するだろ?」
両手の人差し指を立てて、マイクはそんな事を話し出す。
「どっちの面積が多いかってのは人それぞれだけど、でも俺はあの子の綺麗な部分しか知らない。これは最早天使も顔負けの真っ白さだ」
「わざわざ汚い部分を見せようとは思わないだろ。黒い面は普通の人間だったら隠して生きるものだ。例外を除いてな」
「言っとくけどな、イレイザー。あの子は意図して見せない訳でも、隠してる訳でもない。本当に綺麗な女の子なんだよ」
「……マイク、お前」
「なまえと居ると時々、ヒーローでも何でもない、ただの男に戻りたくなっちゃう俺がいんのよォ」
茶化す様に笑いながらのその言葉に思わず目を見開く。そんな話を聞いたのは初めてだったからだ。
そして今、俺はマイクの本心に触れているという事に気付く。滅多に見せないこの男の、心に。
本人も恐らく無意識だろうが、苗字では無くなまえ、と呼ぶ声は酷く甘く、決して帯びてはいけない色を帯びている気がした。
「ヒーローってのは基本的に見返りを求めずに人を救けるお仕事だろ。そういうモンだって頭では分かってても、時々無性に優しくして欲しくなる。抱き締めて欲しくなる。そん時さ、俺はあの子の顔を思い浮かべちまうんだよ、イレイザー」
「…………生徒、だぞ」
「あの子はどんな自分も受け入れてくれる。悍ましい澱みも、歪みも、全部自分の中に納めて許してくれる。そうした汚いものを全部許された後にマイクさん、とあの透明で綺麗な声で呼ばれたら俺はまたなまえが好きだと言ってくれる、ボイスヒーローのプレゼント・マイクに戻れるんだ」
何が澱みだ、何が歪みだ。存在しない神を崇める様な顔をしてそんな話をするな、と言いたい。……けれどそれを口に出す事は憚られた。少女に自身の内に潜む弱さを暴かれ、それを許されるとヒーローの皮を被り直せると話すマイクはただの男でしかなかったからだ。
あの小さな身体に、この友人は何を求めている?何を見ている?何をーー。
黙り込んだ俺の心中を察したのか、マイクは下ろした髪を撫で付けながら俺を安堵させるべく笑う。それを普段と変わらない笑みだとでも思っているのだろうか。お世辞にもーー綺麗とは言えない笑みだ。
「そんな険しい顔しなくてもちゃんと分かってるって。……ああ、」
「でも本当に不思議なんだよ、なまえの手って」自身の手を電気に透かすように持ち上げたマイクは、ゆっくりと瞳を細める。
「一度目はいい。二度、三度と触れられる度に更に求めたくなる。なまえの手の温もりと、あの子だけが持つ唯一無二の優しさに縋りたくなる」
「……」
俺がみょうじとまともに喋ったのは偶々廊下で会った時の一度だけだ。彼女の小さな手が俺の目元を覆った時の事を思い出す。今でも鮮明に思い出せる温もりと、鼻腔をくすぐる甘い匂い。ーー決して大輪ではないが、小さくも健気に咲く花のような笑顔が良く似合う、大切な教え子。
「……入れ込み過ぎだぞ、マイク」
「そーね。先生失格」
肩を竦めたマイクはグラスの底に残った酒を飲み下して「ちょっと飲み過ぎたな」と大して酔っても無さそうな顔でこの話題を切り上げようとした。
「待て」
「何だよ、イレイザー」
「一つだけ、聞いておきたい」
この男が態々みょうじの話を俺にした理由は何だ?話せば咎められるのを分かっていながら感情を吐露した理由は?自身の友人であるこの男はーー''山田ひざし''は俺に何を望んでいるのか。
「お前が……プレゼント・マイクでも、雄英の教師でも無い山田ひざし個人がみょうじなまえに抱く感情の名は、何だ?」
合わさった瞳は決して濁ってなどいない。澄み切っているとは言えないが、こうして向かい合ってもこの男の内に潜む澱みや歪みなど、俺には微塵も見えやしなかった。マイクは天井に視線を向け、口元だけで小さく笑った。
「イレイザーが想像してる様なモンじゃないのは確かだな。大方、俺がなまえに恋慕の類を抱いてると思ってんだろ?」
「……違うのか」
「ハハ、違う違う。俺のこれは愛には違いないけど、もっと高尚で……Ah〜、何て言ったら良いんだろうなァ。兎に角恋仲になりたいとか独占したいとか肌を合わせたいとか、そういうのでは無いんだよ」
こつ、こつ。指先で二度、机をノックする。瞳を閉じたマイクは沈思黙考した後、ゆっくりと口を開いた。
ああ、今思えば、きっとこれは暴いてはいけなかった彼の一面だったのかもしれない。
「イレイザー、あの子は清濁併せ持つ心を持ってんのよ。善も悪もなまえの前では関係無い」
「それが何だ」
「だから良いものも悪いものも惹きつける。なまえは全部受け入れて受け止めて、それが例え夥しい量の泥だとしても自身の中で芳しい香りのする花に変えようとする。それによって、いつか彼女が壊れるんじゃ無いかと怯えてしまう俺がいんのよ。いっそ誰かの手で壊される前に安全な場所に閉じ込めてしまおうか、なーんてちょっとアブない思考に陥りそうになったりもする……ほんの時々な?」
「−……」
俺の向かいに座る男は長年の知己であり、同時に全く知らない男にも見えた。俺が知らない間にマイクが育て上げていた感情は、今まさにこの男を内側から食い破りそうになっている。ああ、ヒーローにとっての''麻薬''か。言い得て妙だ。目の前の男は今まさに、あの至って普通な少女に狂わされかけているのだから。
「色々言ったけど、ただ俺は綺麗でいて欲しいだけなんだ、あの子に。ずぅっと綺麗で、優しくて、あたたかいなまえでいて欲しい」
「…………とてもあの歳の少女に向ける感情だとは思えないな」
「ンー、なまえは俺の天使だから」
−−天使、というよりは最早神への信仰に近いのではないか。良くもまぁそんな感情を抱きながら娘のような存在だと笑えたものだ。
「マイク」
「ン?」
「このままだと壊されるのはお前の方だぞ」
とっくのとうに酒の入ったグラスは空。それでも底に残った一滴まで飲み干し、マイクは晴れやかな顔をして、笑った。
「あの子に壊されるなら、本望ってヤツよ」