(死柄木)
春の雨。話す声は雨音に全て掻き消され、その内俺たちは言葉を交わす事を止めた。……今日は駄目な日だ。頭を襲う痛みが思考能力を奪っていく。雨が降ると、時折こんな日があった。ズキン、ずきん、ズキン、ずきん。一向に治る気配の無い頭痛に苛立ちが募り、持ち上げた手が自然と首を掻き毟ろうと−−−。
「弔さん、……大丈夫、ですか?」
……なまえが喋るとりん、と鈴が鳴ったみたいに感じる。いつ如何なる時でも透明で、美しい音色。首に触れる直前で手を止めて、視線だけをなまえの方へと向ける。心配している事が一目で分かる表情。考えてる事、全部筒抜けだよなァ。
「頭が痛ぇ、」
「えっ、大丈夫ですか……?鎮痛剤ならわたし、 」
「薬はキライだ。飲みたくない」
そう言うとなまえは分かりやすく困った顔をした。困惑と心配。二つの感情が混ざって俺へと向けられている。
「……でも、薬飲まないと痛いの治らないですよ?」
「放っておけば治る」
「……今、弔さんが痛いのが辛いです」
当事者の俺より痛そうな顔しやがって。急に騒ついた心臓を、首に爪を立てる事で鎮める。
「あの、……」
「何?」
「ちょっとだけ、弔さんに触っても大丈夫ですか?」
「何で」
「わたしの手で触れると、頭痛とかちょっとだけ楽になるみたいなんです」
「お前の個性って治癒系じゃないだろ?」
「そう、なんですけど……」
何処が地雷だったのかは分からないが、俺の言葉にみるみる萎んでいくなまえを見て思わず溜息を吐いた。
「変な事はすんなよ」
「!……良い、ですか?」
俺もこの女に大分絆されてるよなァ、なんて考えながら目を閉じた。なまえには悪意も、敵意も、何も存在しない。
彼女の小さな手のひらが目元を覆う。俺の冷えた手とは比べ物にならない位、温かい手だ。視界が完全に閉ざされ、地面を叩く雨の音だけが鮮明に耳に届く。−−−……何だ、この感覚。触れた部分からじわじわと吸い上げられていくのは、痛みや苦しみ。奪われていく。吸われていく。体から痛みが、消えていく。
「−……なァ」
心地良さに身を委ねたまま、俺は小さく唇を開く。温かい。だから気持ちいい。……これは、それだけじゃない。さっきまでの陰鬱とした気持ちが嘘のように穏やかな心。そして、消えた痛み。
間違いない。
これは、なまえの力だ。
「何ですか、弔さん」
「……いや、」
「?」
「お前の個性って体温が高い……それだけだよな?」
「そう、ですよ?……わたしの高い体温が気持ちいいみたいで。お母さんとかもこれをやると喜んでくれるんです」
「…………へェ」
本人も気付いていない、その力。怪我や傷を治す力とはまた違う、−−−癒しの力、というやつだろうか。ああ、これは良い。悪くない。不快な気分が消えて、まるで広大な海の上を漂っているかのような気分だ。鬱陶しいと思っていた雨音も今は気にならない。
「…………少しは、楽になりましたか?」
「少し、な」
「良かった……弔さん、いつもあまり顔色とか良くないから、心配で……今日は一段と、辛そうだったから……」
「……なまえ?」
「誰かの、役に立てるのって、……嬉しい、ですね……」
途切れ途切れの言葉に違和感を感じ、閉じていた瞳を開ける。間違えて崩さないよう、4本の指で俺の目元を覆っているなまえの腕を掴んだ。−……酷い顔色だ。瞬間、彼女の体からふっと力が抜けて、俺の方へともたれ掛かってきた。避ける訳にもいかず、咄嗟に受け止めて「おい、」となまえを揺さぶって声を掛ける。
「ごめんなさい……急にくらっと来て……偶にあるんです……」
「……偶に……」
「今、起き……っひゃ」
「いい。落ち着くまでそのまま寄り掛かってろ」
「っ……は、……はい、」
大人しく身を預けるなまえを確認してから口元に手を当てる。……さっきまで普通にしていたのに俺に触れてから……もしかして個性の影響か?使う事によって反動を伴う個性、というやつか。
「おい、……って、何赤くなってんだぁ?」
「……あ、赤い、ですかね……」
「はは、本当に意味分かんねーよな。いつも平然と触ってくる癖に……俺がこうするのは駄目なんだ?」
「……わたしにも良く分からないんですけど……何だか心臓がぎゅって……」
「…………ホント、変な女」
あーあ、聞きたい事があったのに忘れちまった。なまえを見れば可哀想な位に赤くなっていた。そうさせているのが自分だと思うだけで、不思議と愉快な気分になる。耳まで真っ赤じゃん、笑えるな。はらりと落ちた髪の毛を耳に掛けてやると、小さな体が大きく揺れた。困ったような表情、そして潤んだ瞳で見つめられて……ざわり。何故か俺まで心臓が騒ついた。
「あ、あの……」
「……何なんだろうな」
「何が、ですか?」
「お前といると、自分が自分じゃなくなるみたいだ」
無性に首を掻き毟りたくなって、けれど出来なくて、深く溜め息を吐く。
「わたしも……弔さんといると……」
「……何」
「自分が、自分じゃないみたいです……」
頬を染めて照れ臭そうに笑った少女に、さっき以上に心臓が騒つく。自分には似つかわしくない、優しい時間に溺れそうになる。こんなのは俺じゃない。なまえと居る時の俺は、俺じゃ、ない。
「……弔さん」
それ以上名前を呼ばれると、頭がおかしくなると思った。だから、黙らせる為に彼女の唇を手のひらで覆う。
「と、むらひゃ、口塞がれたら、しゃべれな……」
「…………ばぁか」
喋れないように、してんだよ。
手のひらに掛かる吐息の熱さと唇の柔らかさには気付かないフリをして、いつの間にか雨が上がった空を見上げて目を細める。
俺たちが会えるのは、重い雲が空に垂れ込める間だけ。何も知らずに太陽の下でのうのうと生きる女を引き摺り落としたいだなんて、多分、どうかしてるよな。
だけど、少なからず思っている。
彼女から''太陽''を奪いたいと。
そして彼女自身が太陽であるならば、太陽を必要とする全ての人間から太陽を奪いたい。俺だけの、モノにしてしまいたい。
そこには確かにこの女に執着し始めている、俺がいた−……。