(死柄木)
なまえとの二度目の出会いはあの日と同じ重苦しい空からしとしとと雨が降る日だった。雨の匂いに混じって甘い香りがする。顔を上げれば、傘を差した彼女が雨の中でじいと俺を見つめていた。
「……弔さん」
「……ちゃんと覚えてたんだ?」
少し髪が伸びただろうか。柔らかそうな髪をさらりと揺らしながら「……はい」と少女は眉を下げて笑った。
「悪いけど、なまえに借りた傘は今日は持ってないからな」
「あれは弔さんにあげるって言ったじゃないですか」
「そう言うなよ。大切な傘だろ?」
座れば、とベンチを叩くとなまえは傘を閉じて素直に俺の隣に腰掛けた。雨粒を弾く屋根を見上げて「弔さんは雨宿りですか」と問うなまえに「あァ、」とひと言返事をする。
「で、お前は何でこんな雨の日に公園に居るんだ?」
「……それがわたしにも分からないんですけど……足が勝手にここに向いてたんです」
「そしたら弔さんがいてびっくりしました」と目元を緩ませる少女の何と無防備なことか。ふぅん、と気のない返事をしながらなまえの事を観察する。雨の滴で濡れた髪をハンカチで押さえながら、がらんとした公園を見つめる彼女は何を考えているのだろう。
ふと、彼女が着ている制服に目がいった。一目で雄英高校の制服だと分かるソレを見下ろし「なァ」と彼女に問い掛ける。なまえの瞳が俺を映すと気分が良い。透き通ったビー玉のような球体の中に俺がいる。
「お前、雄英生なの?」
「あ、はい。4月から雄英高校の生徒になりました」
「へェ。ピカピカの新入生ってワケか。……何?お前もヒーロー目指してんの?」
「いえ、わたしは普通科で、」
それを聞いて、安心した。安心?……いや、それは違うか。平和ボケしていて、何の力も持たなそうで、今もこうして''俺''の隣に呑気に腰掛けているこの女がヒーロー科だと言われたら俺は鼻で笑い飛ばす自信がある。
「ヒーローとか向いてなさそうだもんな」
「あはは、良く言われます」
「……何つー顔してんだよ」
もしかしなくても、この女はヒーローに憧れているのだろうか。……なりたいのだろうか。全てを諦めたように笑ったなまえは、そういう顔をしていた。
「一丁前にヒーローに憧れてんのかァ?」
「……凄い。弔さんが初めてです」
「は?何がだよ」
「この話題でそんな風に言われたの……初めて」
なまえは自分の両腕を持ち上げて、手のひらをじいと見つめた。確かめるように開いたり閉じたりを繰り返して、それから俺の方へと向き直る。
「わたしの個性って体温が高い、ただそれだけで……わたし自身もちっともヒーロー向きじゃないって分かってるんです。皆、最初からわたしの頭の中には『ヒーローになりたい』って思考自体が存在しないように話すから、わたしはずっとただヒーローが好きな女の子でしかなくて、」
「……ヒーローになりたいのかよ?」
「今はもう、思っていません。ヒーローになりたいって憧れてたのはずっと子どもの頃の話で。……今は、どんな形でも良いからヒーローを支える事が出来たらいいなと思ってるんです」
ぞわり。肌が粟立つような綺麗事。なまえが瞳を輝かせて口にするヒーローの話はまるで漫画や空想の世界の出来事のよう。それを尊いことのように話すなまえはやはり、狂っていると思った。ヒーローに対する異常なまでの盲信。ヒーローが居るから平和が保たれているという、過信。
……あァ。
「……幸せな夢ばかり、見て来たんだろうな」
「……弔さん?」
ヒーローを崇める少女が恐れるべき存在である俺の隣で、俺の名前を呼んで、その双眸に俺を映している。彼女はやはり自分とは真逆な存在だと思った。偽りの幸福で覆われた、ぬるま湯のようなまやかしだらけの世界で生きる、愚かな女。……この感情は、一体何なのだろう。無垢なその心に絶望を教えてやりたい。優しい夢の中で生きるこの女に……−俺と同じモノを共有させたいと思っている。
「……なまえ、俺が前会った時に言った事を覚えてるか?」
「弔さんが言った事、ですか?」
「ああ、そう。この世界は偽物だって……言っただろ?」
俺が手を伸ばしても、何も知らない女は避ける事すらしない。指先が触れた頬は雨のせいで少し、冷えていた。困った顔で俺を見上げたなまえが俺の名前を呼ぶ。''弔さん''。当たり前のようにその唇で紡がれる自身の名は、まるで借り物のよう。なまえの唇を通すと綺麗なものみたいな響きになる。不思議と気分は悪くない。
「偽物の世界で生きていくのは勿体無いと思うぜ」
彼女は白。まだ何色にも染まってないまっさらな白だ。だからその白の中にほんの一滴、黒を垂らしたい。じわりじわりと彼女を侵食して、その瞳に映る存在を俺だけに出来たら−……ああ、うん。気持ち良いんだろうなァ。
−−−2度目の逢瀬はそれで終わり。3度目、4度目は案外すぐに訪れて、俺はなまえについて色々と知る事になる。大きな収穫はなまえの幼馴染である男がヒーロー科に在籍している事と、彼女がヒーロー科の人間や教師陣と思った以上に親交が深かった事。簡単に壊してしまうには惜しい、利用価値のある存在だという事が良ーく分かった。元から0に近かったなまえの警戒心は会えば会う程薄れていって、「弔さん!」と子犬のように尻尾を振りながら名前を呼ばれるのはまぁ、悪い気分では無かった。なまえの甘い匂いにも大分慣れた。首筋に鼻を寄せると分かりやすく硬直するのが面白い。自分から触れたり近付く分には良いが、相手から意図的に触られると困ってしまうらしい。
人気の無い公園のベンチで、俺となまえは今日も並んで座っている。雨が降ると導かれたように此処に足を運んでしまうのは何故だろう。雨と、なまえの匂いが混じる。あどけなく笑う少女は、俺が彼女にとって大切な人間を殺そうとした事など知らない。憧れを抱くヒーローを殺そうとしている事を知らない。
全部奪って。全部殺して。
そして最後に美しい花を手折ろう。
その時お前は何を思うのかな、なまえ。