(爆豪)
''人が階段から落ちて来る''。
そんな非日常を体験させられたら嫌でも記憶に残るのは当然だろう。誰だってそうに違いない。別に俺が特別な訳じゃない。……すっかり治った傷口を今でも時折眺めちまうのは、一体どういう感情からなのか。ああ、自分でも理解が出来ずに苛々する。
***
−−−あの女が落ちてくる映像は今思い出してみてもやたらとスローモーションだ。休日に一人で出掛けていた俺は、電車を乗り換える為に駅の階段を上っていた。まだ数段上がったばかり。ふ、と顔を上げると俺の斜め前、階段で足を踏み外した女がバランスを崩し−−−今まさに落下する所だった。体をずらし、そいつの下敷きになったのは咄嗟の判断。考えるよりも先に体が動いてた、ってヤツだ。
「−ッ、!」
女の体を受け止め、そのまま真っ逆さまに落下。思い切り背中を打ち付けたが、大きな怪我はしていない。これなら腕の中の女も大丈夫そうだ。……大した高さじゃなくて良かった。はァ、と安堵の溜め息を吐いて「おい、」といつまでも人の上に乗っかってる女に声を掛ける。
「ッ、ご、……ごめんなさい!怪我して無いですか……!?」
顔を真っ青にした女が俺の上から慌てて退いて、ぺこぺこと何度も頭を下げてくる。ゆっくりと体を起こして服に付いた埃を軽く払い除けた。
「っ、あ、……!手、擦り剥けて……っ」
「ア?……こんな擦り傷、怪我の内に入らねェよ」
「て、手当てさせて下さいっ!」
「っおい、大丈夫っつって……ッ、話聞けや!」
真っ青を通り越して顔色を白に染め上げた女は、その場で持っていた鞄を開けて何かをし出そうとする。此処は人が行き交う階段のド真ん前だ。横を通り過ぎる人間から訝しむような視線を向けられているのを感じ、盛大に舌打ちをした。ああ、クソ、面倒くせェ!
「……おい女、手当てでも何でもさせてやっから移動すんぞ」
人にジロジロと見られるのは嫌いだ。不躾な視線を向けられると苛々する。座り込んだままの女の腕を引き、人通りの少ない所に向かって歩き出した。
***
「……他に怪我はないですか?わたしのせいで本当にごめんなさい……」
「……いいっつってんだろ。うぜェからもう謝んな」
綺麗に洗い流した傷口に貼られた''オールマイト柄''の絆創膏を見下ろす俺の口元は多分、いや確実に引き攣っている。……家帰ったら絶対剥がす。速攻で貼り替える。こんな柄の絆創膏を貼っているのをあのババァに見られたら何て言われるか……。あー、考えるだけで頭が痛ェ。
……わざわざ手当てされる程の傷じゃねェし、これを貼られるのだって全力で拒否したかった。だけどこの女が俺の罵声を浴びながらも口元を引き結んで、泣きそうな顔で手を震わせながら……譲らねェから。最終的に根負けしたのは俺の方だったのだ。
「つか、何でオールマイトだよ」
「オールマイトの絆創膏、この前ヒーローショップで買ったばかりで丁度持ってて……あっ!違う柄の方が良かったですか……?」
「そういう問題じゃ、…………はァ、もういいわ」
良く良く見りゃあ鞄にはプレゼント・マイクのピンバッジが付いてるし、ハンカチもオールマイトの柄だ。持っている本屋の袋から覗いている雑誌は今日発売の『月刊:プロヒーロー』。俺も先程本屋に寄って手に入れたばかりだ。
ちら、と横目で女を見る。年は多分同じくらいで−−−、って、ンな事考えてどうすんだか。今日の俺は少しおかしい。もしかしたら落ちた時に若干頭を打ったのかもしれねェ。
「……助けて下さって本当にありがとうございました」
「別に助けたワケじゃねェよ。偶々お前が落ちてきた所に俺が居ただけだ」
「でも貴方が受け止めてくれなかったらきっと大怪我してたから……」
「……つーかよ、どうやったら階段から落ちるんだ?俺には理解が出来ねェ」
「えっと、その……うっかりスカートの裾を踏んでしまって……」
「ハ、ダッセ。もう二度とそのスカート履くなよ。次は大怪我しても知らねェからな」
「はい!もう二度と履きませんっ」
「(……馬鹿正直かよ)」
「……えへへ、迷惑掛けちゃったのに心配してくれるなんて……優しいんですね」
…………はァ?
優しい?今の、何処が?……俺がか?
目尻を下げて笑う女の顔を、俺は思わず凝視した。
自分の理解の範疇を超える人間に出会った時、人はその存在に恐怖する。澄んだ瞳の中に自分が映っている。−……背筋にぞわりと冷たいものが走った。この女は、駄目だ。直感というモノを信じるならば、この女に深入りすると恐らくだが碌な目に合わねェ。
黙り込んだ俺を、女が不思議そうな顔をして見つめている。そんな女から視線を外して、手当てされた方の手を強く握り込んだ。
「あの、」
「俺はもう行く」
「へ、あっそうですね!引き止めちゃってごめんなさい……あの、本当に本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げた女の旋毛を見下ろして小さく「ああ、」と返事をした。この短時間で何回''ありがとう''と言われたか分からない。
一人になってから無意識の内に舌打ちをしてしまったのは、俺を心配するあの表情がいつかのクソデクと重なったからだ。
……ああ、そうか。似ているのだ。ありありと心配の色を浮かべたあの瞳も、真っ直ぐに向けられる感謝の言葉も、ヒーローオタクな所までも。相容れないと感じて当たり前だ。だってあの''デク''に似ているのだから。
−−−名も知らない、もう二度と会う事も無い女。既に色褪せていてもおかしくない記憶の筈なのに、今にも泣きそうな顔と受け止めた時にふわりと鼻腔をくすぐった甘い匂いが頭から離れねェ。