(心操)
『えっと……読み方ってしんそう、で合ってるかな?』
『……合ってるけど』
『合ってて良かった!……あ、隣の席のみょうじです!よろしくね』
『……宜しく』
満面の笑みと共に手を差し出されて、その手を渋々握り返す。小さくてやけにあたたかい手だな、と思った。俺を見る彼女の瞳は、きらきらとその中で星を飼っているかのように光っている。それが眩しくて思わず目を逸らした。自分とは違う人種だ。……少なくとも、俺だったら会ったばかりの人間にその笑顔は向けられない。隣の席にみょうじさんが腰掛けて暫くすると、ふわりと優しい匂いがした。……みょうじさんの匂いだろうか。香水でもつけてるのかな。……落ち着く匂いだから、まあいいけど。香水とかつけなさそうな顔してるのに、こういう子でもつけるんだな。前の席の女子と話し始めたみょうじさんにちら、と気付かれない程度に視線を送る。俺に向けたのと同じ、屈託のない笑顔で話す彼女はあっという間に女子と打ち解けたようだ。
頬杖をついて、ふう、と息を吐いた。
***
「心操くん、おはよう!ふふ、今日はわたしの勝ち!」
「おはよう。……俺たち勝負なんてしてたっけ」
「心操くんいつも来るの早いから、自分の方が早いとなんか嬉しくなっちゃって、」
「そういえば、昨日は珍しく遅めだったよな……寝坊?」
「あはは、わたしじゃなくていつも一緒に登校してる幼馴染がね!……久しぶりにあんなに走った!」
教室に入るとみょうじさんがいる光景も、随分見慣れたものだ。隣の席というのもあって、あれから俺たちは良く話すようになった。というか懐っこく話し掛けてくるみょうじさんに返事をしている内に、自然と打ち解けてしまっていたのだ。彼女は人と距離を詰めるのが上手い。
「毎日一緒に来てるのか?」
「うん、そうだよ」
「へえ……仲、良いんだな」
「へへ、小っちゃい頃からずーっと一緒だけど喧嘩したこともないの」
「みょうじさんが怒らなさそうだもんな」
「そんな事ないよー!わたしだって怒る時は怒る!」
目を釣り上げてみせるみょうじさんに思わず笑ってしまう。こうして話していても気が付いたらみょうじさんのペースだ。
「それを言うなら心操くんもあんまり怒ったりしなさそうだよね」
「……そんな事ないけど」
「そうなの?じゃあ、わたしと一緒だね」
「ふ、何だそれ」
「心操くんも怒る時は怒る族って事でしょ?ね、一緒!」
「……みょうじさんって変な人だよな」
なんていうか気が抜ける女の子。彼女自身はすごく普通なのに、話していると棘を抜かれてしまう。不思議だ。ただその感覚は悪いモノじゃない。こうして''普通科''にいる自分のどろどろとした何かが、少しだけ和らぐ。
「変じゃないよー」
「良く言われるだろ?」
「言われ……うーん、言われる……かも……わたし変かなあ」
「いい意味でな」
「えー……褒めてる?」
「褒めてるけど?」
「あ、心操くんがちょっと意地悪な顔してる!」
「してないって」
「してるよー」と言いながら笑うみょうじさんの笑い声は聴き心地が良い。隣の席とはいえ、俺なんて話し掛けやすいタイプではないだろう。それに、''洗脳''という個性はどうにも人から距離を取られやすい。物理的な距離は近くても、何かを恐れるように人は俺に心を見せない。こんなにも当たり前のように近くにいる存在はみょうじさんが初めてだった。
「みょうじさんはさ、」
「うん?」
「俺の個性のこと、どう思ってる?」
「すっごく格好良いと思うよ!」
「か…………格好良い?」
「ずーっと言いたかったの……!でも心操くん、あんまり個性の話したくないのかな……って思って。あのね、心操くんの洗脳って個性、わたしの大好きなヒーローと似てるんだよ!」
今日一番の輝いた目でみょうじさんに詰め寄られる。予想外の答えに戸惑っているのは俺。みょうじさんが好きだと語る、俺と似た個性のヒーローは聞いたことのない名前だった。
「あんまりメジャーなヒーローじゃないんだけどね、そのヒーローのお陰で誰も怪我ひとつ負わずに済んだ事件って沢山あるの」
「……そうなんだ」
「うんっ!あ、動画見る?動画サイトに上がってるやつでね……」
みょうじさんが椅子を寄せて、動画を見せてくれる。数年前に起こった敵による立てこもり事件に関するものだった。沢山の人質、頭に血が上った凶悪な敵。いつ誰の命が奪われてもおかしくない、そんな状況をたった一人で打ち破ったのが洗脳の個性を操るヒーローだった。誰一人傷つくことなく解放された市民たち。拘束されてがっくりと項垂れた敵の体にも、傷ひとつ付いていなかった。
「素敵だよねえ……格好良いよねえ……!市民だけじゃなくて、敵も傷つけずあっと言う間に解決しちゃうんだよ……!」
「…………凄い、な」
「うんっすごいの!オールマイトとかエンデヴァーみたいに圧倒的な力で救い出すのも凄いと思うんだけど、こうやって人を助けられるヒーローも素敵だなあって!……あ、ご、ごめん……ひとりで熱くなりすぎちゃった……っ」
「……じゃあ、」
思わず口を開いていた。彼女なら自分が望む答えをくれる気がして、認めてくれる気がして、本当に受け入れてくれる気がして。未だ流れたままの動画に視線を向けたまま、ゆっくりと息を吐く。
「俺も、こんなヒーローになれるって……思うか?……俺、この個性でいい思いしたことないんだ。小さい頃から周りに気味悪がられるし、どうやったってヒーロー科にも受かんねえし……」
「……うん、」
「でも……ヒーローになりたいんだよ」
「……わたしはね、個性ってその力を持った人間の心の在り方で変わるものだと思うの。確かに、洗脳は使い方によっては怖い個性かもしれない。でもそれって、他の個性にも言えることだよね。その個性を救うことに使うのか、奪うことに使うのか……その人次第だもん」
とても柔らかな声だった。包み込むような優しさをたたえて、みょうじさんは俺の心の中に入ってくる。どうしようもない程に揺さぶられた。高く積み上げた強固な壁がボロボロと崩れ落ちて行くのを感じる。
「心操くんは、やさしい人。その個性を救うことに使える人だよ。だから大丈夫。なれるよ、素敵なヒーローに」
「…………俺を優しい人なんて言ったの、みょうじさんが初めてだよ。それでも、本当に大丈夫って言える?」
「最初に言葉を交わした時から、わたしの中の心操くんはずっと変わらないままだよ。わたし、心操くんが隣の席で良かったなあっていつも思ってるんだから!」
簡単に心を剥き出しにされてしまう。傷つけられないよう、傷つけないように隠していた心が曝け出される。それを優しく撫でられている気分だった。瞳をきらきらさせているみょうじさんに、なんだか悔しくなった。負けだ。完敗だ。手を伸ばして柔らかな頬を軽く摘まんでみる。きょとんと目を丸くした彼女に、俺は笑った。
「じゃあ、隣の席になったよしみって事で……俺がヒーロー目指すの、応援してくれるか」
「!もちろんっ!席替えして、隣の席じゃなくなっても応援してるよ!」
「……それ言う必要あったか?」
「もー、ずっと応援するってことだって!っていうかこの手は何?地味に痛いよ心操くん」
「なんか悔しかったから」
−俺の隣の席。いつでもそこに座っているのは、俺を「優しい人」と称する誰よりも優しくて普通の女の子。
この学校に入って初めて出来た、大切な友人。−−−……今は、まだ。