遠くで、誰かが泣いていた。何度も名前を呼ばれた。その度に返事をしようとしたのに、声が出なかった。指一つ動かすことが出来なかった。暗い水の中でふわふわと浮いているような感覚だけが、ずっと続いて、ある日やっと指先が動かせた。
再び名前が呼ばれて返事をするように指先を動かせば、遠くで誰かが叫んでいる声が聞こえてくる。重たい瞼を何とか持ち上げて、ゆっくりと目を開ける。真っ白な天井と、真っ白な壁。そして、私を覗き込む伊達さんの顔。「ぁ、て…っけほっ、けほっけほっ、」と名前を呼ぼうとして咳き込めば「無理しなくていい。大丈夫だ、今先生が来るからな」と優しく頭を撫でられた。
それから男の先生がやって来て、水を飲んでいくつかの質問に答えたが、何をするにも全部久しぶりな感じがして首を傾げた。どこかに行っていたらしい伊達さんが病室に戻って来て「目が覚めて、本当に良かった」と安心したように息を吐いてベッドサイドの椅子に座る。
「ははっ、安心したら力抜けちまった」と笑う伊達さんが、一回りくらい小さくなったような気がして「伊達さん、なんか、やつれました…?」と尋ねてしまった。「ん?あぁ、気にするな。今日からはもう、心配することが無くなるからな」と頭を撫でられて「もしかして、私のせい…ですか?」と声が震えた。
「今回ばかりは、違うって言ってやれねぇな。さすがに半年も起きないとなると心配しすぎて禿げるかと思ったぜ」とからから笑った伊達さんの言葉にピシリと固まる。半、年?えっ、聞き間違いかな。「はん、とし…?」と驚きで目を見開いた私に「先生から聞いてないのか?香澄ちゃんが降谷を庇って撃たれてから、半年経ったんだ。香澄ちゃんは半年間、ずっと眠ったままだった」と伊達さんは丁寧に説明をしてくれた。
私の手に点滴が刺さってなくて、もう少し体が自由に動くのなら土下座してるところだ。「す、すみません…ほんとに…」と申し訳なさで潰れそうになりながら謝れば「香澄ちゃんが謝るとしたら拳銃持った相手から降谷を庇おうとして飛び出したことだけだ。それ以外は感謝こそすれども、謝る必要なんて一つも無い。分かったか?」と小さな子供に言い聞かせるように言われるから胸がじんわり温かくなった。
「はい…!ありがとうございます…!」と伊達さんと笑っていれば病室の外が当然騒がしくなる。ドタバタと誰かが走る音と看護師さんの怒る声。苦笑いをした伊達さんが「…ったく、仕事中だろうが」と笑いながら椅子から立ち上がれば、病室の扉が勢いよくガラリと開かれる。
萩原さん、と名前を呼ぼうとしたけれど、駆け寄ってきた萩原さんに勢いよく抱き締められて声が出せない。「香澄ちゃん…ッ、香澄ちゃん、よかった…!よかっ、た…ッ、!」と泣きながら抱き締められて「え、と…おそよう、ございます」とへらりと笑って見せれば「ほんとだよ。おばか」と泣きながら笑った萩原さんが鼻をむぎゅっと摘んでくる。
それから何かを確かめるように頬を撫でてくる萩原さんをぼんやり見ていれば、先程と同じようにドタバタと病室の外が騒がしくなる。「香澄!!」と名前を呼びながら勢いよく扉を開けたのは松田さん。「おッ前なぁ…!!」と病室の中に入ってきて私の頬を片手でむぎゅりと押し潰したかと思えば、くしゃりと泣きそうに顔を歪めてその場にしゃがみ込んでしまう。
「あ、え…っ、まつ、ださん…?」と名前を呼べば「起きるの、遅ぇんだよ…ッ、このバカ…!」と鼻を啜りながら松田さんが怒ってくる。ぎゅううっとキツく握り締められた手をきゅっと握り返して「おそくなって、ごめんなさい。まっててくれて、ありがとうございます」と返事をすれば、握り締めていた手にさらに力が込められた。
その後少し話をして、目が覚めて早々に疲れてしまうといけないからと帰って行った三人を見送った私の元にやって来たのは諸伏さん。控えめなノックの音がして、ほんの少し扉が開く。こちらの様子を伺うように部屋の中を覗き込んだ諸伏さんと目が合ってへにゃりと笑う。
「香澄ちゃん、〜〜ッごめん、抱き締めてもいい?」と泣きそうな顔で近付いてきた諸伏さんに向かって控えめに手を広げれば、ふわりと抱き締められる。「目が覚めて、ほんとに…っよかった、ほんとに…っ、」と泣きそうな声の諸伏さんに「しんぱいしてくれて、ありがとうございます」と返して背中に回した手にきゅっと力を込めた。
仕事の途中で無理やり抜け出してきたらしい諸伏さんは「一回戻るけど、またすぐ来るから」と私の頭を撫でて足早に帰って行った。なんだか、申し訳ないなあ…と思いながら時間は過ぎて夜になる。降谷さん、来なかったなぁ…と思いながらぼんやりと窓の外を見ていれば、病室の扉がノックされる。
「はあい」と返事をしても扉は中々開かなくて気のせいだったのか?と首を傾げていれば、そうっと扉が開く。顔を見せた降谷さんはそのまま固まってしまって動かなくなってしまった。「おそようございます…?」と声をかければ、ふらふらと病室に入ってきて、ベッドサイドに膝を着く。
「えっ、降谷さん、椅子…!椅子使って、スーツ汚れちゃうから…」と慌てる私の手を握って「いきてる、」と呟いた降谷さんに「…はい。いきてます」と返す。握った手を額に押し当てて「心配、した」と呟くから「ごめんなさい」と謝れば「何で、僕を庇ったんだ」と降谷さんの声が震える。
「何でって…気付いたら体が動いてたんですよねぇ」と苦笑いで答えれば「生きてて、よかった…!もう二度と、二度とあんなことしないでくれ…!」と悲痛な声が響く。「同じ状況になったら、多分また庇っちゃいます」と正直に口にすれば、ハッと降谷さんが顔を上げる。
「なんで、」と泣きそうな顔をする降谷さんに「誰がピンチでもそうします。それに、降谷さんたちだってそうするでしょう?」と笑って返す。「守られるだけなんて、嫌なんです。弱虫で、泣き虫で、何も出来ないけど、隣に立って一緒に歩くことはできますよ」と降谷さんの手を握り締めれば「君は、本当に…カッコイイ人だな」と降谷さんが笑った。