仲直り、してくれるか?

降谷さんに酷いことを言ってしまった日から少し経つけれど、今日もまだ降谷さんはやって来ない。「……きらわれちゃったんだ」と呟けば、じわりじわりと涙が滲んでくる。萩原さんの言っていた通り、私の涙腺は仕事を放棄してしまったみたいだ。

「忙しくて中々来れないんだよ、きっと」と萩原さんが慰めてくれるけど、本当に忙しいだけだろうか。「そんなの、わかんないじゃないですか…」とまた涙が零れそうになった瞬間、とんとん、とノックの音が響く。「はあーい」と間延びした返事をしたのは萩原さんで、その返事から少し間を開けて扉が開いた。

そこに立ってたのは諸伏さんで「やっ、元気?」と片手をひらりと上げて笑みを浮かべる。それから「ほら、早く入れって」と面倒そうな顔で隣を向いたかと思えば、強引に降谷さんを私の病室に押し込んだ。「おい、押すな…ッ、うわ…!」とたたらを踏んで中に入って来た降谷さんがうろうろと視線を彷徨わせてから「……やぁ」と片手を上げるので「こん、にちは…」と返す。

何だか居心地が悪くて扉側のベッドサイドに座っていた松田さんをぐいぐいと引っ張って盾にする。ちらりと様子を伺えば「何がやぁ、だよ」と怪訝な顔をした諸伏さんが降谷さんを見下ろしていて「ヒロが、急に押すからだろ」なんて子供のような言い合いをしている。

何を話せばいいのか分からず、助けを求めるように萩原さんと松田さんを交互に見れば、二人とも呆れたようにため息を吐いた。な、何ですか…。「降谷ちゃん、香澄ちゃんに話が会って来たんでしょ?」「香澄も、降谷に話したいことがあんだろ」と二人に言われて思わず降谷さんと顔を見合わせる。

けれど、そろりと視線を視線を逸らされて結構、しっかりショックを受けた。「ご、めんなさい…ひどいこと、いって、ごめんなさい」とぽろぽろ涙が出てくる。ダメだ、本当に、私の涙腺どうしちゃったんだろう。ぼたぼたと零れる涙をそのままに、ずっと考えていたことを口にする。

酷いことを言ってごめんなさい。どんなに頑張ってもリハビリが上手くいかなくて、焦っていた。心に余裕が無かった。だから、降谷さんの言葉を曲解してしまった。そんな事が言いたかったんじゃないって分かってる。ごめんなさい。降谷さんが大事だから、死んで欲しくなかったから。

傷付けるようなことをして、ごめんなさい。傷付けるようなことを言って、ごめんなさい。だから、どうか、「きらいに、ならないで…っ、」と震える声で言う。後半なんて、もう、何を言っているのか分からないくらい泣いていた。ぎゅううっと握り締めた松田さんのスーツはきっと皺になっちゃったし、萩原さんが貸してくれたふわふわのブランケットも涙でぐちゃぐちゃ。

多分鼻水も垂れてて、情けない顔をしている。もう散々だ。えぐえぐと泣きながら両手で涙をぐしぐし拭う。そんな私の頭をぽんと撫でてくれたのは萩原さんだった。「だから手でぐしぐしするの止めなさいって言ってるでしょ」と柔らかいタオルが顔に押し当てられて「で?降谷、お前これでまだうじうじする気じゃねぇだろうな。いい加減にしろよ」と松田さんが唸るような声を出す。

「ゼロ、お前よりも香澄ちゃんの方がよっぽど大人じゃん。しっかりしろよ」と諸伏さんの呆れたような声の後にバシリと痛そうな音が響く。そして、小さく息を吸うような音がして降谷さんの静かな声が響いた。「あの日、君が誘拐されたと聞いて、生きた心地がしなかった。僕の仕事に関わっていた奴が犯人だと分かって、本当に君を失うかと思った」 震えるような、泣いてしまいそうな、か細い声。

そっと顔を上げれば、降谷さんはやっぱり泣きそうな顔をしていた。「生きている君を見て、本当に安心したんだ。それなのに、僕の目の前で、僕を庇って君が撃たれた。あの日、君から溢れた赤色も、冷たくなっていく体も、色を無くしていく顔も、全部夢に見るんだ」 くしゃりと前髪を握り締めた降谷さんを見て、ぎゅうっと胸が苦しくなった。

降谷さんをじっと見つめる私に対して、降谷さんは俯いたまま私を見ようとしない。「お前のせいだって、夢の中で僕が言うんだ。分かってる。君が、そんなことを思ったり、言うような人じゃないって。分かってるのに、夢の中の僕が何度も言うんだ。お前のせいだって、お前が、大事なあの子を殺すんだって」と、まるで懺悔するような悲痛な声。

どうして、降谷さんは涙を流さずにいられるんだろう。そう、思わずにはいられないほどの声だった。「それなのに、あの日、君が僕を庇ってくれたことを、嬉しいと思う僕もいるんだ。酷い話だろ…?君は怪我をして、後遺症が残ってる。君を守るだなんて、大層なことを言っておいて、何一つ守れなかった。それでも、君の中で、危険を顧みずに助けたい相手の中に、僕が入っていることが嬉しかったんだ」 スーツの胸元をこれでもかと、降谷さんの手が握り締める。

微かに震える手は、降谷さんの心が酷く荒れていることを物語っていた。私が、私なんかが、想像できないような苦しみを彼はずっと抱えていたんだ。「僕のせいだって、思いたかった。僕は酷い男なんだって、最低なヤツだって、そう思わないと…っ、おかしくなりそうだった…!僕は、僕を守るために、君を傷付けたんだ…ッ!」と顔を上げた降谷さんは、泣いていた。

静かに、涙を流していた。掴んでいた松田さんのスーツを離して、体の向きを変える。「香澄ちゃん?」と心配そうに私を見て、手を貸そうとしてくれる萩原さんの手を断った。今まで、一度だって一人でまともに歩けたことはない。でも、今。今、歩かないで、いつ歩くんだ。体に、足に力を入れて、ベッドから立ち上がる。

一歩、また一歩と足を踏み出す。がくがく震える膝は、いつ力を無くしてもおかしくない。でも、それでも。驚きで目を見開く降谷さんは目と鼻の先。たかだか二、三歩の距離にたっぷり時間をかけて辿り着いた降谷さんに手を伸ばす。涙に濡れた頬に手を滑らせて「泣いてるとこ、初めて見ました」と笑えば「…情けないと、笑うか?」と困ったように降谷さんが眉を下げる。

「ううん。カッコイイなって、思いました」とへにゃりと笑った私に「そう、か…」と降谷さんが泣きそうに笑って私をぎゅうっと抱き締める。「ごめん。酷いこと、沢山言った。君を、傷付けた。本当にごめん」と私の肩口に顔を埋めて降谷さんが呟く。

「わたしも、ごめんなさい」と同じように謝れば「仲直り、してくれるか?」と不安そうな降谷さんと目が合う。「うん。仲直り、しましょ」と笑った私の体は、限界を迎えてがくりと膝が折れる。「う、わっ、」と慌てたように腰を支えてくれた降谷さんにしがみついて「あははっ!初めてこんなに歩けました!降谷さんのお陰です!」と吹き出して笑った私を見て降谷さんもくしゃりと笑う。

「それは良かった」と安心したように呟いた降谷さんがふわりと私を抱き上げてベッドに戻してくれる。「やれば出来るじゃん、ゼロ」「ったく、最初から素直になれってんだ」「それ陣平ちゃんが言うの?」「おいハギ、それどういう意味だ」とやいのやいの騒ぎ出した皆を見て、降谷さんと顔を見合わせる。

ぷっ、とお互いに吹き出して声を上げて笑えば、きょとんとした顔の三人が私たちを見て、肩を竦めた。その数分後、声を上げて笑いすぎて、看護師さんから「静かにできないなら帰ってください」と怒られてしまい全員で「すみません…」と謝ることになるのは別のお話。
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