全てが恐怖の対象になる

(Side:萩原)

眠り続けていた香澄ちゃんの指が微かに動く。ハッとして顔を覗き込めば、瞼が震えてゆっくりと隠れていた瞳が現れる。「香澄ちゃん、分かる?」と声をかければ、うろうろと視線を彷徨わせてから俺を見てか細く声が聞こえた。

命に関わるような怪我は無し。ただし怪我は怪我。安静にして激しい運動などは控えるように言われた香澄ちゃんは「……はぁい」と不満そうに唇を尖らせた。一体何が不満なんだか、と苦笑いを零せば同じく気になったらしい松田が「何がそんなに不満なんだよ」と香澄ちゃんに尋ねる。

「……いや、この歳になって怪我して病院の先生から怒られることになるとはなぁ…と思って」と呟いた香澄ちゃんに思わず笑ってしまった。まあ、確かに子供の時はあれども、ある程度大きくなったら中々言われなくなるよな。

「あとは、私をこんだけボコボコにしてくれやがった奴らへの怒りですかね」と舌打ちをした香澄ちゃんに「それに関しては、もうほんと、あっちが可哀想になるくらい陣平ちゃんと降谷ちゃんがボコボコにしてたから…」と苦笑いをすれば「えっ松田さんと降谷さんが?」と香澄ちゃんが目を見開く。

「おう。お前の分もボコっといた」と綺麗にサムズアップをする松田を見て思わず遠い目をしてしまう。お前さぁ……あの後やりすぎだって怒られてたじゃん。全然サムズアップできないじゃん。

「私の分も残しておいて欲しかった…」と肩を落とす香澄ちゃんに「いやいやいや」と思わずツッコミを入れてしまった。「手足が自由だったら殴る蹴るの大暴れですよ」と言う香澄ちゃんに「手足自由だったら殴る蹴るの大暴れの前に逃げてこいよ」と呆れた顔で松田が言う。

それは本当にその通り。ご最も。逃げれる余裕があるなら逃げてね、本当に。「何でいつもは背後気にするのにこういう時だけ脳筋なの…」と溜息を吐けば「正面から来てくれるなら戦いますよ。背後からっていうのが嫌なだけです」と当たり前では?みたいな顔で返される。

普通に生きてたら背後から狙われることも正面から襲われることも無いと思うんだよね、俺。「とにかく、危ない時はすぐ逃げなさい」と香澄ちゃんに言い聞かせるように言えば「はぁい」と間延びした声が返ってくる。

三人でいつものようにダラダラと会話をしていれば、病室の外が騒がしくなる。ガラリと扉を開けて入ってきた降谷ちゃんは香澄ちゃんを見て「〜〜ッ無事で、良かった…!」と安堵したように表情を緩ませる。

そのまま香澄ちゃんを抱き締めようと降谷ちゃんが距離を詰めた瞬間だった。ひゅうっと息を飲む音が聞こえて、香澄ちゃんの顔が真っ青になる。「香澄ちゃん?大丈夫?」と声をかけて背中を撫でようと伸ばした俺の手もパシリと払われて香澄ちゃんが自分を抱き締めるようにしてカタカタと震える。

ぞわりと嫌な予感がした。ハッとして松田を見れば同じように怪訝な顔をしていて、降谷ちゃんに至ってはガッチリと固まってしまった。ショックがでかすぎたんだろう。「ご、めんなさい…ッ、」と震える香澄ちゃんを医者に診てもらった結果、軽度のトラウマになっている事が分かった。

手を振りかざされたりするような殴る蹴るに繋がる動きは基本NG。治す方法は少しずつ慣れていくしか無いということで、医者としても出来ることは限られているようだ。「まあ、日常生活で殴る蹴るに近しい動きなんてそんなに見ないし、大丈夫ですよ」と香澄ちゃんは笑っていたが、そうもいかないと言うことをこの時の俺たちはまだ知らなかった。

香澄ちゃんよりも身長の高い俺たちの行動は、香澄ちゃんにとっては全てが恐怖対象になり得る。何度もフラッシュバックして苦しむ姿を見たくなくて、見舞いに行くのが怖くなった。
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