コナンくんが来てくれた日の翌日、病室に響いたノックの音にビクリと肩を震わせた。「は、はーい…」と恐る恐る返事をすれば、ゆっくりと扉が開いて安室さんが顔を覗かせる。
「体調は、どうですか?」と尋ねられて「あ、えと、良い、感じ…です」とぎこちなく返事を返す。病室に入ってきた安室さんに続くように萩原さんたちも入ってきて、病室は一気に人口密度が高くなった。
あ、なんか家にいる時みたい。と、何となく安心感を覚えてホッと息を吐く。「来てくれて、ありがとうございます」と頭を下げれば「ッ…俺たちの方こそ、中々来れなくて、ごめん…」と諸伏さんが眉を下げる。
「忙しいの、分かってますから。全然、私のことなんて気にしなくて大丈夫です」とへらりと笑って返せば、みんなの顔がくしゃりと歪んだ。こんなことが言いたかった訳じゃない。
コナンくんが、あんなにお膳立てしてくれたのに、なんて情けない。大人は変な所で気を使う。思ったことを思ったままに、素直に口にすればいいのに。大人になると、そんな簡単なことが出来なくなる。
相手の顔色を伺って、自分の気持ちを押し殺して、空気を読む。それが、大人になるということだ。でも、それが必ずしも良い事だとは限らない。思っていることを思ったままに伝えることが、大事な時もある。
でも、分かっていても出来るかどうかは別問題だ。そうやって何かと理由を付けるのがズルい大人の証。ごめんね、コナンくん。と、心の中で謝っていれば「香澄ちゃん、そっち、行ってもいい?」と萩原さんが声を上げる。
「えっ、あっ…はい、」と返事をすれば「何にも、しないから」と念を押すように私に告げてゆっくりとベッドサイドに足を進める。そのままベッドサイドに膝を付いて私を見つめた萩原さんは「ごめん。俺、香澄ちゃんから逃げたんだ」と泣きそうに顔を歪めた。
「香澄ちゃんに怖い思いをさせたくないって理由を付けたけど、本当は香澄ちゃんに嫌われたくなかったから逃げたんだ」と萩原さんの手がシーツをぎゅっと握り締める。「このまま、俺の事を怖い人だと思われたらどうしようって。このまま、一生俺の事嫌いになったらどうしようって。そう、思ったら、怖くて来れなかった」と話す萩原さんに目を見開いた。
「…悪かった。俺も、ハギと同じだ。お前を怖がらせるくらいなら行かない方がマシだって自分に言い聞かせてただけだった。お前に嫌われようが、疎まれようが、お前の傍にいるって思えばよかっただけなのに、しなかった」と拳を握り締めた松田さんが私を見つめる。ゆらゆらと不安げに揺れる松田さんの瞳は、初めてだった。
「あの日、俺がもっと、ちゃんと香澄ちゃんを守れてれば、こんなことにならなかった。だから、君を危険に晒した張本人なんて、顔も見たくないだろうって…俺も、俺が逃げるための理由をつけてた。どれだけ嫌がられても、今度こそ守ってみせるって言えば良かっただけなのに」と諸伏さんがくしゃりと自分の前髪を握る。眉間に寄せられた皺が、悔しそうに噛み締められた唇が、いつも優しく笑っていた諸伏さんからは想像もできないような表情だった。
「倒れたあなたを見て、病室で怯えるあなたを見て、全て自分のせいだと思いました。現に、あなたをこんな目に遭わせたのは僕のせいです。どれだけ謝っても、足りないほど、あなたの心を傷付けました」と安室さんが着ていたスーツの胸元をぎゅっと握り締める。
「彼らと同じです。あなたの心をこれ以上傷付けないようにと、理由を付けて離れる選択肢を選びました。でも、本当の理由は自分の心を守りたかったからです」と安室さんが一歩ずつ、ゆっくりと私の方へ足を進める。
「あなたの気持ちが知りたい。香澄さんを、これ以上傷付けないために、守るために、教えてください。もう、理由を付けて逃げたりしません」とベッドサイドに立った安室さんが私を見つめる。彼らは、私と違うと思っていた。でも、私と同じように理由を付けて、逃げるような、ズルい大人だった。それがとても嬉しくて、自然と涙が零れた。
「安室さんたちのことが、怖い訳じゃないんです。あの日のことも、安室さんたちのせいだなんて、一ミリだって思ってないです。安室さんたちが来なくなって、嫌われたんだって思った。しょうがないよなって、思った。でも、心のどこかで、安室さんたちは私のことを嫌いになったりしないって、思ってる私がいたんです。だから、余計にさみしくて、かなしかった」と思っていることを口にする。
上手く話せている気はしなかった。声が震えて、涙が溢れた。「また、昔みたいになるのが怖くて、嫌だって言うけど、安室さんたちが嫌いなわけじゃないんです。ワガママでごめんなさい、面倒で…ッごめ、っなさい…っ、でも…っきらわれ、たくない…っ、」と嗚咽が零れる。
なんてワガママなんだろう。自分勝手で、どうしようも無い。返事を聞くのが、怖くてしょうがなかった。けれど、コナンくんが言っていた通り、すれ違ったまま二度と会えなくなる方が怖かった。