ぱちりと目が合った人がおもむろに席を立つ。見覚えどころではない姿にぎょっと目を見開けば、私の様子に気が付いた二人の視線もそちらを向く。特に驚いた様子の無い二人を見て、もしかしなくて最初から全員いたのでは?と思った。
「萩原もゼロも俺らのこと忘れてるだろ」と不満そうに唇を尖らせた諸伏さんと、その後ろから「俺たちも嬢ちゃんにお礼を言いたいのは山々なんだ。悪いな」と申し訳なさそうに頭に手を当てながら歩いてくる伊達さん。
そして「場所、変えんぞ」とサングラスをかけたまま、顎で外を差した松田さんを見て「……ひぇ、」と思わず悲鳴が出た。怖いとかそういう事じゃなくて、推しが目の前にいる。喋ってる!生きてる!動いてる!
挙句の果てに私の手は萩原さんに掴まれてて、降谷さんには肩を抱かれてて、もうどうしたらいいのか分からない。…待って。というか私さっき引くほど大泣きしたよね。絶対化粧とか取れてるよね。
こんな顔の良い推しの前にいて良い顔してないよね。そう思ったら一気に羞恥心が押し寄せてきて顔が熱くなる。カップの中に残っていたカフェラテを一気飲みして、ガタリと立ち上がる。
驚いた顔で私を見る五人から目を逸らすようにして「お、おてあらい、いってきます!!」と転びそうになりながら席を外す。慌てて駆け込んだ化粧室で洗面台に手を着いて思い切り息を吐く。
「…はぁぁぁああ、無理、むりむりむり…!うっっわ、やっぱり目腫れてる…こんなガッツリ直す予定じゃないから何にも持ってきてないよ…」と鏡を見てガックリと肩を落とす。ティッシュを少し濡らしてとんとんと目元を叩いて涙と崩れた化粧を拭う。
まあ、辛うじて残っている分はそのままにして、崩れた部分を多少マシになるように調整する。とんとんと涙で濡れた頬も化粧直しをして「ギリ…見れる顔…か…?」と鏡の自分と睨めっこをする。
どうしよう。彼らを振り切って逃げれる自信は無い。けど、荷物はここに全部あって、化粧室を出たら目の前はレジと出入口。私が座っていたのは奥の席だから、こっそり出てこっそり会計をしたらワンチャン、逃げられる。多分。
よし、と気合いを入れ直してそうっと扉を開けて化粧室を出る。そうっと扉を閉めて、音を出さずに出られたことに喜んだのも束の間。「よう、なぁにコソコソしてんだ?まさか、このままトンズラしようなんて思ってねぇよな」と後ろから回ってきた腕にぎゅうっと抱き締められてビクリと肩が震える。
恐る恐る背後に視線を向ければサングラス越しに松田さんと目が合って、至近距離にある推しの顔とふわりと香った香水に「ぅ、ぇ…ぁっ、」と言葉に詰まって固まる。そんな私に追い打ちをかけるように「お、戻ってきたか。会計は済ませといたから行こうぜ」と伊達さんが爽やかに笑う。
待ってください。お会計は済ませたって何ですか。私はまだです。やめてください。ふるふる首を横に振っていれば「君の分も、もう払ってあるから大丈夫だよ」と諸伏さんが優しい顔で笑いかけてくる。
そ、そういう事じゃないんです!私を背後から抱き締めたままの松田さんにずるずる引きずられるようにお店を出れば「あ、これ忘れ物ね」と萩原さんが私に本を渡してくれて「あ、ありがとうございます…?」と一先ず受け取る。
そのまま車に乗せられて、走り出した車の中で「ま、待ってください…!ほんとに、わたし、なんで…!」と混乱しながら運転席の降谷さんを見れば「悪いようにはしないよ。お礼がしたいだけだから」と言われてしまい「俺らが何年お前を探したと思ってんだ。今更はいそうですかって逃がす訳ねぇだろ」と後部座席から飛んできた松田さんの言葉に何も返せずに押し黙る。
こんな、こんなの誘拐じゃないか…!でも推しに攫われるならそれもそれで…と、そこまで考えてから違う違う!と首を横に振る。違うって。待って、私どこに連れてかれるの。そもそもお礼って何。
萩原さんが言ってた通り、私を神様か何かだと思ってる…?いやいやいやいや。そんなまさか。夢小説じゃあるまいし、そんな激重感情向けられるなんて有り得ないでしょ。と頭の中で悶々と考えていた私に「香澄さん、着いたよ」と降谷さんが声をかけてくる。
ビクゥッ!と肩を跳ねさせた私の頬をぶすりと人差し指でつついた松田さんが「なぁに百面相してんだよ。ふは、間抜け面」と楽しそうに笑って私の頬をむにむに突っついてくる。
「松田、止めてやれよ」とその手を払い除けながら私のシートベルトを外した降谷さんが「どうぞ」と手を差し出してくれる。恐る恐るその手を取れば、ふわりと車から下ろされて、連れてこられたのは超高層マンションの前。
ど、どう…えっ…?どこ、ここ。目をぱちぱちと瞬かせていれば「驚いた?」と視界に諸伏さんが入ってきて「中々外じゃしにくい話だったし、香澄ちゃんも泣きすぎて目腫れちゃってるからさ。こっちの方がいいかな、と思って」と笑いながら手を引かれる。
「そ、そうですね…?」とよく分からないまま返事をしてエレベーターに乗せられる。ぐんぐん上がっていく数字から目を逸らして、もう何も考えないことにした。諸伏さんに手を引かれるままやって来た誰かの家。
靴を脱いで広々としたリビングに設置された黒色の高そうなソファに腰を下ろすけれど、到底落ち着けるはずがない。「あ、あの…!なんで、私ここに…、というかここは…?」と不安になりながら質問をすれば「無理やり連れてきちゃってごめんね。ここは降谷ちゃんの家で、外では話せない手紙のことを君に聞きたくて」と萩原さんが肩を竦める。
「何も取って食おうって訳じゃない。嬢ちゃんが知ってることを教えて欲しい…ってのは口実で、俺たちが礼をしたかっただけなんだ」と伊達さんが申し訳なさそうに言うから「…そ、そう、ですか…」と返すしか無い。
「お前ら飲み物は?」「俺コーヒー!」「俺も」「俺は紅茶がいいな」「水でも何でも大丈夫だ。悪いなゼロ」「お前らもう少し遠慮しろよ。全員、問答無用で水な。班長と香澄さんはこの中から好きなの選んでくれ」
「あっ贔屓だ」「ズリぃ」「香澄ちゃん、俺の分も一緒に選んできてよ」「あっ諸伏抜け駆けすんな。香澄、俺のも」「えっ、じゃあ俺のもよろしく。香澄ちゃん」と私以外がきゃっきゃっと楽しそうに言葉を交わしていたかと思えば突然私に話が飛んでくる。
「えっ、えっ…?」と降谷さんと萩原さんたちを交互に見ていれば「ソイツらのことは無視でいいよ。香澄さんは、こっちにおいで」と降谷さんに手招きをされて、そろそろと立ち上がる。
「あんまり種類が無くてごめん。この中で飲みたいもの、選んでいいよ」と言われて見せられたのは色んな種類のフレーバーティー。その中から「えっ、あ、えと、これ…?」と一つを指差せば「了解。向こうでもう少し待ってて」と頭をぽんぽんと撫でられて、くるりと体の向きを変えられる。
背中をぽんと叩かれてキッチンからリビングへと戻れば「何にしたの?」「いっぱいあって迷ったでしょ」「業者みてぇな量あったろ」と口々に話しかけられて、苦笑いで返すことしかできなかった。