「手紙…?」とポストから取り出したのは消印の無い封筒。薄い黄色の封筒には、ほんの少し右上がりな綺麗な文字で『降谷 零様』と書かれていた。この名前を知っている人は決して多くない。
そして、この部屋の住人が降谷であることを知っている人は、その中でも更に一握りだ。真っ先に危険を感じるべき状況にも関わらず、降谷の心は穏やかだった。送り主の名前は無いけれど、躊躇いなく封を開ける。
中に入っていたのは封筒と同じ、薄い黄色の便箋。封筒に書かれていた文字と同じ文字で『降谷 零 様』と書かれた便箋には、旧友たちから聞いていた内容が記されていた。
『突然、こんな手紙が届いて驚いていることと思います。驚かせてしまって本当にごめんなさい。
どうしてもあなたに伝えたいことがあってこの手紙を書いています。どうか、気味が悪いと思わずに最後まで読んでください。
きっと、この手紙があなたの元に届いた時、酷く不安にさせてしまったと思います。本当にごめんなさい。』
旧友たちの話と少し異なる内容に、続きが気になってしまった。買ったばかりの小説を読み進める時のような、高揚感。降谷はこの手紙を、存外楽しんでいた。手紙の送り主が、旧友たちを救ってくれた女神様だと分かっていたから。
『私は、あなたの旧友たちが、既に亡くなっていることを知っています。
あなたが、たった一人で、悪に立ち向かっていることも知っています。
あなたが、一人で無茶をしてしまう人だということを、知っています。
あなたが、誰かに止められて止まるような人では無いことも、知っています。』
降谷に届いた手紙は、旧友たちに聞いていた話とは、少し違う内容だった。彼らの手紙には死なないで欲しい、生きていて欲しいと、送り主の願いが涙と共に書き記されていたと言う。
つまり、降谷は死ぬ運命には無い、と言うことだろうか。顔も名前も知らない相手に、自分のことを知られているというのは少し落ち着かない。降谷は人差し指でぽりぽりと自分の頬を掻いた。
『萩原さんが、松田さんが、諸伏さんが、伊達さんが、彼らが生きていてくれたらと、願わずにはいられないんです。
そうしたら、あなたが不安になることも、寂しさを感じることも、たった一人で戦い続ける必要も無かったのだと思うと、どうして彼らは死ななければならなかったのかと、考えてしまうんです。
私が、こんなことを願っても、あなたの助けになんて、なりはしないのに。』
手紙に書かれた文字は滲んでいた。いくつも、いくつも滲んで、掠れていた。手紙の送り主は、この手紙を書いている間に、どれほど泣いたのだろう。
『この手紙も、きっとあなたに届かないでしょう。この手紙も、今までの手紙も、届いていたなら。
もしかしたら、あなたは今、一人じゃなかったかもしれないなんて。
そんな風に夢を見て、奇跡に縋って、手紙を書いてみたけれど、書いただけでした。
驚かせてしまってごめんなさい。怖がらせてしまってごめんなさい。困らせてしまってごめんなさい。
あなたの大事な、大事な友人たちを救うことができなくて、ごめんなさい。』
手紙の送り主に謝ることなど一つも無い。だって、奇跡は起きているのだから。でも送り主は、それを知る術が無いのだろう。だからこんなにも泣いている。手紙を持つ降谷の手にぐっと力が入った。
「君は、どうしてそこまで、」と唇を噛み締めても、降谷の想いが届くことは無い。
『謝ったところで、全ては私のエゴでしかないと分かっています。
もしこの手紙が届いていたなら、謝罪も、手紙も、何一つあなたは受け取らなくていいです。
ただ、この先のあなたの未来が沢山の幸せで満ちていることを、心の底から願っている人がいることを、覚えていてくれたら嬉しいです。』
聞いていた通り、最後まで送り主の名前は無かった。けれど、涙で滲んだ文字が、震える文字が、送り主がこの手紙にどれほどの気持ちを込めていたのかは痛いほどに伝わった。
「こんなに、何度も奇跡を起こしてくれる女神様なんだ。頼むよ、一度でいい。君に会いたいんだ」と手紙に額を押し当てた降谷が静かに涙を流す。会いたい。会ってお礼が言いたい。
降谷を想って、こんなにも泣いてくれる顔も名前も知らない君に。どうかもう一度、奇跡が起きますように。柄にも無く、そんな願いを空に向けた。