ヤバいやつだったりすんのかね

※ホラー注意※

洗面所で歯を磨いていた萩原がふ、と鏡を見るとぼんやりと白い影が映っていてハッと振り返るけれど、そこには誰もいない。首を傾げて再び前を向くけどやっぱり鏡には白い影が映っている。

ぞわりと背すじに冷たいものが這ってバッと振り返ると驚いた顔の香澄ちゃんと目が合う。「び、っくりした…」って目をぱちぱちさせる香澄ちゃんに萩原も驚いて思わずげほげほと咳き込む。

「大丈夫?ごめん、私もびっくりさせちゃったね」ってしょんぼりと眉を下げながら謝る香澄ちゃんに「俺こそごめん」って返して鏡を見れば、そこにはもう何も映っていない。

「見間違い、か…?」って小さな声で呟いた萩原に香澄ちゃんが「なぁに?」って首を傾げるから怖がりの香澄ちゃんを怖がらせないように「ん〜ん、何でもない」ってにこりと笑って頭を撫でてあげる。

思い返してみれば、これが始まりだったのかもしれない。事務所の窓や喫煙所の窓、はたまた車の窓。トイレの鏡や、街中のショーウインドウ。反射して自分の姿が映るようなものに、ふと気付くと自分以外のナニカが映っている。

「ハギ?何見てんだよ」って不思議そうな顔をする松田に「あ、あぁ、いや、何でも」って返すのは日常茶飯事。「研二くん?どしたの?」って香澄ちゃんに首を傾げられて「ん?何でもないよ」って笑って返すのも同様に日常茶飯事になっていた。

ぼんやりとしていた白い影は日に日に形を変えて、徐々に人の形を模すようになっていき、真っ白だった色は黒みを帯びてきた。「…もしかしなくてもヤバいやつだったりすんのかね」ってふうっとタバコの煙を吐き出しながら呟くけれど、その問いに答える人は誰もいない。

そんなある日のことだった。鏡に映った人影に、明らかに顔があった。バチリと視線が交わったのがハッキリ分かって、まるで金縛りにでもあったかのように体が動かない。背筋を冷たい何かが這った瞬間、がらりと洗面所の扉が開いて「研二くん、これ見て!」って香澄ちゃんがスマホ片手に飛び込んでくる。

真っ青な萩原の顔を見て「えっ、ちょっと研二くん!?顔真っ青だよ…!どうしたの?具合悪い?」って香澄ちゃんが慌てて駆け寄ってきて萩原の頬を両手で包む。

「お風呂入ったんだよね?ちゃんとあったまった?」って心配そうに首を傾げる香澄ちゃんに「…ちょっと、早く出てきすぎたかも」って小さな声で呟いてぎゅうっと香澄ちゃんを抱き締める。

情けなくも体がかたかた震えて、ハッキリとした恐怖を感じた。鏡を見ることは出来なくて、香澄ちゃんの肩に額を押し付けるようにして目をぎゅっと閉じれば何かを察したのか香澄ちゃんが「研二くん、今日はもう寝ちゃおっか」って優しく萩原の背中を撫でる。

「…うん」って呟いて香澄ちゃんを抱き締めたまま逃げるように眠りについた萩原だったけれど、あの瞬間に感じた恐怖は確かに背後に迫っていた。翌日も、そのまた翌日も。毎日、毎日、少しづつ影が近付いてくる。動きを、形を変えて萩原に手を伸ばす。

熱がある訳でも無ければ、風邪を引いている訳でも無いのに、日に日に顔色が悪くなっていく萩原を香澄ちゃんは酷く心配していた。「何かあったの?」って松田に聞いてみても「俺も聞こうと思ってたんだよ」って松田も香澄ちゃんと同じように首を傾げていて誰も理由が分からない。

「どうしたの?」って聞いても何でも無い、の一点張りで何も分からなかった。そんな時、洗面所から聞こえてきた「うわぁっ!!」って萩原の悲鳴に香澄ちゃんはひゅっと息を飲んで立ち上がる。

ばたばたと慌てて洗面所に駆け込めば、真っ青な顔でしゃがみ込んで頭を抱える萩原がいて「研二くん!」って隣にしゃがみ込む。「香澄、ちゃん、ごめ、っ…ごめん、」って何かに怯えるようにしがみついてくる萩原に「うん、大丈夫。大丈夫だよ。ここにいるよ」って背中を撫でながら何度も大丈夫を繰り返す。

ようやく呼吸が落ち着いて来た萩原に「何があったのか、聞いても良い?」って尋ねれば震える声で今までの事を離してくれる。「怖がらせて、ごめん」って香澄ちゃんのことばかり気遣う萩原に「一人で苦しい思いするくらいなら、私のことも巻き込んでよ。ばか」って香澄ちゃんが泣きそうな顔で萩原の頭をぎゅうっと抱え込むように抱き締める。

「どんなに怖くても、研二くんのためなら頑張れるよ」って頭を撫でられて、安心からじんわりと目に涙を浮かべちゃう萩原がいる。それから松田にも事情を説明して家では香澄ちゃんが、職場では松田が一緒にいてくれるんだけど、全然ダメ。

ふとした瞬間に自分の背後でニタリと笑う影が見えて呼吸が乱れる萩原に香澄ちゃんも松田もお手上げ状態。「…心霊スポットとか、行ってないよね…?」って首を傾げた香澄ちゃんに「行ってる暇ねぇよ」って松田が返す。

うんうんと悩みながら香澄ちゃんと松田が二人で色々調べてみた結果、ある一つの可能性が浮上した。「研二くん、思い出したくないかもしれないんだけど…その、後ろにいる影の顔って見えたりする?」って萩原の手をぎゅっと握りながら尋ねた香澄ちゃんに萩原はきょとりと目を瞬かせた。

「顔、かぁ…」って呟いた萩原に「性別だけとか、口元だけとか、そんなんでも良い」って松田ががりがりと頭を掻く。「ハッキリは、分かんないけど…多分、女の人だと思う。目鼻立ちがくっきりしてる感じ…」って呟いた萩原に香澄ちゃんがぐっと身を乗り出す。

「その顔に見覚え…っていうか既視感とかある?」って聞かれて、ようやくピンとくる。「あ、前に助けたの女の人に、似てるかも」って呟いた萩原に「いつだ、それ。あと会った場所」って松田が続きを促せば「一か月くらい前だよ。電車で変な男に絡まれてたから助けてあげて…連絡先を教えてくれってしつこくて、断るのに苦戦したから覚えてるんだ」って萩原が肩を竦めるから香澄ちゃんと松田が顔を見合わせる。

「多分、それだよ。研二くん」って頷いた香澄ちゃんに萩原が首を傾げれば「お前の見えてる影の正体」って松田が補足を入れる。「え、えええええ!?えっ、ちょ、どういうこと!?」って萩原が目を瞬かせれば香澄ちゃんと松田が一つずつ話し始める。

恐らく萩原に見えているのは『生霊』と呼ばれる類のもの。あまりにも思いが強すぎて、魂だけが外に出てしまうと生霊として現れるらしい。「研二くん、その人から連絡先もらったりした?」って香澄ちゃんの質問に「…そういえば、無理やり押し付けられて受け取ったんだった…今まで完全に忘れてた…」って萩原が返すから「とりあえずそれに連絡してみっか。原因が本当にそいつのせいなら、本人に何とかしてもらうしかねぇからな」って松田がため息を吐く。

その後、その女性に連絡を取り、彼女がいるためいくらお礼とは言っても二人きりで会うのは難しいこと。これ以上の連絡は出来ないことを伝えて電話を切る。そして、その翌日からぱったりと影を見ることは無くなり平穏な日々が戻ってくる。

「いやぁ…まさか俺がビビってた相手が生きた人間だとは…」って苦笑いを零した萩原に「ふふ、お化けとかより生きてる人の方が怖いってこういうことだね」って香澄ちゃんがいたずらっ子のように笑って萩原の手をぎゅっぎゅっ、と握り締める。

「でも香澄ちゃんはお化けも怖いんでしょ?」って笑った萩原に「当たり前じゃん!」って香澄ちゃんがぷんすこ怒る。あんなにも頼もしかった香澄ちゃんがあっという間に怖がりの香澄ちゃんに戻っていて、堪らずくすくすと笑ってしまった萩原の背後で窓に映った白い影が揺れた。
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