萩原さんがすごいのか、それとも私がチョロすぎるだけなのか。あんなにも味のしなかった食事は、萩原さんが一緒にいることによって美味しい食事へと変わっていて、思わず目をぱちりと瞬かせてしまった。
「味、する…なんで…?」と驚きながらも二口目を口に運ぶ。不快な吐き気も無く、ごく普通に食事が出来ていて私はもちろん、萩原さんも驚いていた。
「ちゃんと食べれてるね」と嬉しそうな萩原さんに「でも、今日の朝も食べれなかったのに…」と呟けば、萩原さんは何かを考えるように少しだけ視線を彷徨わせて、それからいたずらっ子のような顔で「俺がいるからかな?」と楽しそうに笑う。確かに、昨日の夜も今日の朝もダメだったのに、萩原さんがいる時は食べれている。
「不安な気持ちってさ、体に影響しやすいじゃん?だから、ご飯が食べれるってことは香澄ちゃんが安心できてるって証拠なんじゃないかな」と優しい顔で私を見た萩原さんに「萩原さんがいるからって言うの、その通りなのかもしれないです」とへにゃりと笑う。
萩原さんの傍が何よりも安心できる場所だと、私は知っているから。隣に座っている萩原さんの肩に凭れるようにして頭を預けて「ほんとに、萩原さんがいないとダメになっちゃいそう」と呟けば、萩原さんは私の髪の毛を梳くように撫でて「いいよ。それでも」と穏やかに笑う。
それから少しずつ食事ができるようになった私に、ある日萩原さんは「香澄ちゃんが良かったら、なんだけど…一緒に暮らさない?」と首を傾げた。
「香澄ちゃんを攫った犯人を唆した奴が、まだ捕まっていないんだ。香澄ちゃんを一人にして、また同じことが起きたらって思ったら…怖くて、堪らない」と不安そうに瞳を揺らした萩原さんを見て、ぎゅっと胸が痛くなったけれど、同じくらい嬉しかった。
「迷惑じゃ、ないですか…?」と萩原さんの手を握って尋ねれば「俺が、香澄ちゃんと一緒にいたいんだ」と萩原さんの眦が下がる。とろりと甘く微笑んだ萩原さんに「わたしも、いっしょがいい」と返せば、萩原さんは嬉しそうに笑って私を抱き締める。
「絶対、守るから」と抱き締める手に力を込めた萩原さんに「ふふ、たのもしい」と笑みが零れて、胸があったかくなった。私、今世界で一番幸せかもしれない。そう思っていた私を待っていたのは、あの日意識を失う直前に聞いた声の主だった。
「元気そうで何よりだわ。ねぇ、香澄さん」と私を見てにこりと微笑んだ女の声に、ぞくりと背筋を冷たいものが這う。退院して、二人で住む家が見つかるまでの間、私は萩原さんが住んでいたアパートで一緒に暮らしていた。
そして、萩原さんが仕事で不在の日中、まさか家まで押しかけてくるなんて思っていなかった。「な、んの、ご用ですか…」と震える声で返せば「貴方のせいで、私の最愛の人が死んだの」と静かな声で彼女が言う。
「ど、ういう…」と言葉に詰まった私を、キッと睨み付けた彼女が「アンタが!!余計なことするから!!あの人は、家族も友人も、大事な人を失って得た孤独で強くなるの!!」と声を荒げる。何を言っているのか、分からなかった。
あの人って誰なの。余計なことって、何なの。彼女の言葉の意味が分からなくて呆然とする私が気に入らなかったのか、彼女は私の肩を思い切り掴んで益々声を荒げる。「それを唯一支えられるのが私なの!!それを…ッそれをアンタが全部台無しにしたのよ!!アンタがあの人を殺したの!!」と彼女が叫ぶ。
頭を、何かでガツンと殴られた気分だった。誰も殺してなんていないのに、私が知らない所で、何かをしてしまったんじゃないかと錯覚するほどの勢いに圧倒されて声が出ない。「ち、ちが、わたし…っなにも、してない…っ、!」と何とか声を上げるけれど、震えた小さな声が彼女の怒りに益々火を注いでしまったらしい。
「〜〜ッ何もしてなかったらあの二人は死んでるはずでしょ!?この人殺し!!アンタが!!アンタが全部悪いのよ!!」と目を吊り上げて怒鳴った彼女が私に向かって手を伸ばすから「い、や…ッ!」とその手を跳ね除けて、彼女の体を突き飛ばす。
ぐらりと体勢を崩した彼女の横をすり抜けて走り出す。逃げなきゃ、このままじゃ殺される。「待ちなさいよ!!」と腕を掴まれて彼女の長い爪が肌に食い込んで「いや…ッ、はなして…!」と彼女の手を勢いよく振り払った瞬間、ぐにゃりと足首を捻ってしまい体勢が崩れる。
何とか階段から落下せずに済んでホッと息を吐いた私を、彼女は一切の躊躇なく突き飛ばした。「アンタが一番邪魔なのよ!!」と叫んだ彼女との距離が遠くなって、全身を襲った鈍い痛みに私の意識はぷつりと途切れた。