天才
環は大人しく海向に抱えられ、彼の部屋に着き、共同のリビングで2人は座っていた。
昨日、今日と何人の男に襲われたのだろうか。
そんな考えをし、環は自分が惨めで仕方なかった。
海向から向けられる視線に気づきながら、目を合わせる事が出来ない。
とても怖いのだ。
情けないと、ひ弱だと思われ、呆れられたんじゃないか、今度こそ、と。
海向からの沈黙が酷く長く感じられる。
カチャリと金属の音がし、何度もそれが続いていく。
海向が何をしてるのか横目で見れば、ギターケースからギターを出して、弦の調節をしていた。
あまりにも予想外な行動に、環はきょとんとした顔で見てしまう。
先程まで頑なに視線を向けなかったのが嘘のように、今では釘付けである。
「環…合わせるで」
そう海向が優しい笑みを向け、ギターを弾き始めた。
華麗な指捌きと心に響く程の旋律。
環の顔が一気に明るくなった。
室内に響き渡るギターの音は聴き惚れる程に上手く、イントロですぐに理解する。
環がオーディションの時に歌った曲だと。
海向は口角を上げ、環を見つめた。
言われなくてもわかる。
歌えと弦が囁いていた。
すっと瞳を閉じて、環は歌い始める。
するとぶわっと2人の弦と歌声が一体化し、環も海向が互いに驚きの表情を浮かべ見つめ合った。
即興で合わせたと思えない程の完成度。
こんな事、初めてだから何と表現してよいのかわからないが、びびっと来たのだ。
環は目を大きく見開き、歌う事をやめず、海向も唖然としながら弦をひたすら弾いた。
心臓が掴まれたような衝撃である。
初めてioriを見たような、そんな感覚が環を襲う。
一曲歌い終わって、2人は互いの手を取り合い強く握りしめた。
「海向!!今の!!」
「環っ、俺ら!!」
2人は頬を染め、互いに目をキラキラさせながら興奮冷めやまず。
海向に至っては手がぶるぶると震え、力が入らなかった。
「ヤバい!!」
「アカン!!」
海向は楽譜を広げ、次はこれだと言わんばかりに演奏し始めた。
それを理解した環は楽譜を見ながら歌い始める。
びりびりっと脳天を突き抜けるような一体感に、2人の体が震える。
その日、何度も繰り返し続けられた。
どれを選択しても初めてとは思えない程の完成度の高さに、環は海向の才能を改めて思い知る。
そして海向も環が何でも歌いこなせる天才である事を悟ったのだった。
「環、今回のセッション、前にもラインしたように一緒に組むで。絶対優勝したろ」
「うん!俺、海向となら、何でもこなせる自信がある!」
才能の塊はライバルにもなるが、1番の味方になる事もある。
この2人の天才が後に、日本を騒がすロックバンドへと成長するのだった。
そんな2人の即興を物陰に隠れ、聴いていたひとつの影。
「……何あれ…。………やばいんだけど」
律は己の口元を手で多い、心底驚いていた。
たまたま部屋に帰って来て、聴こえてきた環の歌声。
あの透明感ある囁くような声と、背中がぞくぞくとするような色気は何だろうか。
耳から歌声が離れない。
そして歌っていた時の自然なまでの美しさに加え、サビにつれ深まる艶っぽい表情。
それを見て、己の愚息が反応したのだ。
ばくばくと音を立てる心臓。
今まで何を見ても暗いだけだった視界がクリアになったかのように色づいていく。
この世界はこんなにも綺麗だったのかと思う程に。
「……」
心臓を鷲掴みにされたような感覚は初めてだった。
今まで生きてきた中で、心揺さぶられる事は一度もなく、少し人よりも歌が得意と言うだけでこの場所にいる。
ちょっと歌ってデビュー出来たら良いな、そんな軽い感覚でオーディションに来ていた。
だから、自分の出番以外、興味なくて寝ていたのだ。
いつの間にかオーディションが終了しており、合格発表になっていたから律は知らなかった。
自分と同じソロ歌手でありながら、ここまで人を魅了する天才がいる事を。
環から目が離せない。
お世辞にも顔が良いとは言えないし、ごくありふれたどこにでもいる少年だ。
なのに、どうしてこんなにも綺麗で眩しく見えるのだろうか。
律の心臓がどくどくと早鐘を打つ。
「……俺の運命」
物陰から環を見つめ、熱のこもった瞳がきらりと光った。
ここにもうひとりの天才が初めて自分の意思で環とセッションしたいと思ったのである。
2025.04.30
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