猫のスタンプ
3人でセッションの練習をしていた為、ずいぶん帰りが遅くなってしまった。
海向とは部屋の前で別れ、環が疲れた体に鞭を打って自分の寝室へと向かった。
当然、深夜に近い時間なので、共同スペースに灯りはついておらず。
素通りしようとすれば、真っ暗な暗闇から微かに動く気配し、びくりと体を縮こませた。
『……遅い。いつまで待たせる』
ソファーに座り、頬づえを付き、呆れた表情の青蘭がいた。
「ひぃいぃぃ…!!?」
環はあまりの出来事に驚き、腰を抜かしその場に尻もちをつく。
それを鋭い目で睨みつけ、わざとらしく大きな溜息をついた。
しかも真っ黒なバスローブ姿で。
『何時間、待たせる?俺の貴重な時間を何だと思ってる。そんな所に座ってないで早く俺の方に来い。本当見た目通り鈍臭い男だ』
暗闇に蠢く正体が幽霊ではなく青蘭であるとわかると環は一安心するが、未だに恐怖の衝撃が強く、体ががくがく震えてしまう。
(え…?どんな格好??何でバスローブ??あれ?俺達、約束してたっけ…?)
もう何が何だかわからず、環は脳内で一生懸命この状況を理解しようとする。
だが、考えれば考える程に謎が深まるばかりだった。
『スマホ出せ』
急な言葉に、スマホって何だっけ、と思う環。
『お前に言ってるんだ。マヌケ』
『あっ!?はい!!』
中国語で話しかけられている事すら忘れ、普通に返事して、慌ててスマホを出す。
それにより青蘭が微かに息を呑んだ。
『……やはり言葉が通じてるのか。鈍臭いだけの無能じゃないのか』
環に聞こえない程の小さな声で呟いた。
『登録しろ』
そう言って見せたのはLINEのQRコードだった。
環は益々訳が解らず、ハテナマークを浮かべ、青蘭を見上げる。
見れば見る程思うのだが、何故こんな場所で電気もつけずにいたのだろうか。
そしてバスローブ姿が似合い過ぎて恐ろしいのと、組んだ脚の長さと綺麗につけられた筋肉。
遅いと言っていた事から、自分を待っていた事は間違いないだろう。
『何をしてる?俺は待たされる事が何より嫌いなんだ。早くQR画面を出せ、マヌケ。いちいち言われないとわからないのか』
『あっ…、はい!』
先程から凄く貶されているが、環はそれどころではなかった。
青蘭から溢れるオーラと威圧感に恐縮してしまい、はいしか言えないのだ。
慌ててQRコードを読み取れば、ライン登録完了となる。
『おい、マヌケ。友達登録しとけ』
そう言って、青蘭は部屋へ戻ってしまう。
残された環はぺたんと再び床に座り込み、暗闇の中で通知音が鳴った。
視線をスマホに向けると猫のアイコンからLINEが入っており、それが青蘭からのものだとわかる。
あの気高さや傲慢さからは想像出来ない程に可愛らしい猫のアイコン。
環はぴしりと固まった。
そして恐る恐るタップするとこれまた可愛らしい猫のスタンプが送られているではないか。
しばし沈黙し、その画面をずっと見ていた。
(……何事!?)
更にはLINE名もまた意外であった。
せいせいと書かれてあり、どこぞのパンダを思い出す。
本当に同一人物なのだろうかと疑いたくなるようなスタンプが連投されている。
ぴこんと通知音が鳴る度に、様々な可愛い猫が愛嬌たっぷりによろしく、仲良くしてね、明日も頑張ろう、おやすみ、と増えていくメッセージ。
あの青蘭とのミスマッチさにただ恐怖するのだった。
「え…、これ…何?……え?……猫?……え、可愛い…」
ひとり暗闇でパニックに陥ったのは言うまでもない。
寝る前、律から青蘭もセッションメンバーにするようお願いと言う名の有無を言わせない圧力の電話がかかってきて、ようやく理解する。
先程登録したのはこの為か、と。
海向と泉水に相談と言う名のお願いをし、青蘭にチーム勧誘したのだった。
色んな意味での更なる波乱の幕開けである。
2025.06.28
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