tori


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海向はギターの弦の調整をしながら貧乏ゆすりをし、小さな溜息をついた。

「アカン。俺は反対やで。素人が簡単に出来る訳あらへん」

ギターを始めて思うのは、それを極める事がいかに大変だと言う事。
練習しても上達するまでに時間はかかるし、同じように目指して頑張る人間は山程いる。
そして自分との実力の差を見せつけられる事だって、今までたくさんあった。
少し評価されたからと言って、自惚れるな。
それが今の海向に辿り着く原点だった。
それなりに何でも熟せて、ギターだって和空のお陰で色んな人から学んだ。
それ故に、上達も人一倍早く、気づけば同級生の誰よりも弾ける自信もあった。
だが、それは狭い世界に限り、全国へ行けば実力者達の洗礼を受ける。
それを海向はこの若さで経験し、全力でギターと向き合って来た。
そしてようやく出逢えたのだ。
環と言う存在に。
それくらい努力してやっと巡り会えたのに、律は簡単に成し遂げようとする。
才能がいくらあっても技術や経験は練習でしか身に付かない。
それを誰よりも知ってるからこそ、反対していたのだった。
あくまで嫉妬ではない。
そう、あくまで。
いや、ほんの微かにあるかもしれないが、それが反対理由にはならない。

「…まぁ、そう言うなよ…海向。決めるのはリーダーである環だろ?」

そう、今回のセッションでリーダーを任されるのは環なのだった。
海向ではなく、環なのである。

「こんな事になるんやったら、俺がリーダーになっとくべきやったわ…。環は芯は通ってる癖に押しには弱い。……何より優しいんや。…ホンマに救いようがないくらい、お人好しやわ…。」

はぁっと大きな溜息をつき、海向は項垂れる。

「え…?俺、もしかしてダメ出しされてる…?」

泉水に助けを求めるように視線を向ければ、苦笑いされてしまう。

「はー…そんな所も好きで堪らんのや…」

海向の一言に、環の顔が一気に真っ赤に染まる。

「っ…、海向っ…」
「惚れた弱みやな…」

2人の甘い空気に、泉水が微かに驚くものの、別に意外ではなかった為に何となく理解する。
海向はひとつ、気になる事があった。
あの時、律の様子が酷く恐ろしく、環と恋人になって不安などない筈なのに。
あの男の顔がちらつくだけで何とも言えない複雑な気持ちになるのは何でだろうか。
とにかく礼貴の護衛の為に近づかせようとしたが、今はそれ所ではない。
礼貴の方が色んな意味で危ない存在なのは承知だが、海向からすれば律の方がもっと脅威に感じてしまう。
理屈なんてない。
本能が告げている。
律は環を奪いに来る、と。
そんな感情を知るよしもない泉水と環は、海向が律の能力と人間性に対して未来性がないと全面否定していると思っていた。

「…ダメ出しじゃなくて、良かったな」
「…っ、…うん」

環が頬を赤く染めて、嬉しそうにはにかむ表情はとても綺麗だった。
窓ガラスから太陽の陽射しが差し込み、とても幻想的な雰囲気に泉水は息を飲む。
環の周りだけきらきらと光り輝き、まるで女神のように見えたからだ。
泉水は瞬時に目を閉じ、それらを振り払うようにしてゆっくりと瞼を開いた。
幸い、海向は律の事に気をとられ気付いておらず、環に至っては海向だけを優しい瞳で見つめている。
ほっと安堵し、口を開いた。

「…一度、合わせるか」

泉水の言葉に、環と海向の瞳に光が宿る。
まだ3人で合わせた事がないが、想像しただけでわかる。
自分らの予想を上回る程の演奏になると。

「2人ともよろしく」

環がマイクを持ち、2人の間に立つ。
泉水が合図すれば海向のギターから始まり、ドラムが加わる。
その音の壮観さに3人の鳥肌が一気に立った。
環の高音のロングハイトーンに泉水はドラムを叩きながら下唇を舐め、目元を細め環を見つめる。
透明で透き通った綺麗な声なのに、途中からがなりが入り、そのタイミングが天才的で堪らない。
ぞくぞくと背筋が震え、自らが興奮していくのがわかった。
まるで捕食者のような目で泉水は環を捉える。
お腹が空くように、己の性欲が強くなるのを感じた。
海向はまだ気付いていない。
環ばかりを見ているせいで、泉水の変化とこの表情を見れば1番に警戒しなければならないのは律ではなく彼であると言う事を。
そんな泉水は目を閉じ、唇を噛み締めた。
そして、男の顔を封じるように普段の表情へと変わっていく。
そこから海向と環が泉水を見たから、何事もなかったように3人の心がひとつになり、初演奏と思えない程のクオリティである。
何から言葉にすれば良いのだろうか。
形容し難い程に2人の演奏がばっちりと合わさり、そこに環の歌声が入った瞬間、素晴らしい完成度に包まれた。
環と海向はこの感覚を経験済みの為、にやりと悪い笑みを浮かべ泉水を見た。

「っ…やば…!」

小さく泉水が呟き、震える体を必死に抑えてドラムに集中する。
海向から聞いてはいたが、2人の実力の凄さは泉水が今まで組んできたバンドをゆうに超えていたのだ。
それくらいこの少年達はレベルが高い。
最後まで終えると3人同時に顔を見合わせた。
そして、うおぉぉっと歓声をあげたのだった。


2025.06.08

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