葡萄酒と運命11 「ガンドールの兄弟はそこそこ成功してるが、正直あいつらはマフィアに向いていない」 明日の荷物を詰めながらクレアが話す。 クレアの家は所謂社宅というもので、うちの会社の若い車掌勢はだいたい同じマンションに住んでいる。何回か遊びに来たりしているが、住人が男ばかりだからかマンションはあまり綺麗なものではない。周りに冷やかされるのが嫌でいつも人通りの少ない裏口から入るのだが、裏口の荒れ具合もなかなかだ。そもそもこの時代のシカゴは治安の悪さで有名らしく、この社宅周りでも夜中は度々騒がしかった。 そんな中でもクレアの部屋は比較的綺麗だった。独り身の男性の部屋なんて荒れているのが普通だと思っていたが、クレアは物自体あまり多く持つタイプではないらしく、部屋の中はすっきりしていた。カーテンや今私が寝転がっているベッドのシーツもとてもシンプルなデザインで、インテリアにもこだわりは無いみたいだった。 「優しいんだよ、あいつら」 本当はマフィアじゃなくて、真っ当な職業についてた方がいいくらい。そう続けたクレアの顔を寝転びながらじっと見る。 「なんか、クレアがそんなふうに誰かの話をするの珍しいね」 「そうか?まぁ、血の繋がりはないが家族だからな」 長男の無口なキース、力強いけど粗雑なベルガ、それからクールを装っているが情に厚いラック。三者三様な兄弟の話を聞いているとそれぞれ役割がはっきりしてて面白いなあと思う。 ガンドール三兄弟はアニメでも出てきたのでだいたいの人柄は知っている。しかし、一方的に知っているのと会って話すのは違う。婚約者の兄弟とちゃんと仲良く出来るだろうか。 「心配しなくていい。きっと瑞樹もあの三人のこと気に入るし、あいつらも瑞樹のこと気に入る」 そう言って笑ったクレアの表情から本当にガンドール兄弟のことを大切に思っていることが分かった。 クレアは「世界は俺のもの」と豪語するだけあって、とても個人主義だ。人間関係もドライなところがあって、職場の友人もおそらく仕事として依頼されたら迷いなく殺すだろう。だけどガンドール兄弟を殺せという仕事がきたら、クレアはきっと断る。ガンドール兄弟から「ヴィーノ」に依頼があった時のクレアはとても嬉しそうだったから。彼らに頼られることはクレアにとって報酬なんて関係ない位に嬉しいことなんだろう。 「今日、泊まってくか?」 「……うん」 クレアが覗き込んでくる。 明日、私達はフライング・プッシーフット号に乗る。今夜、ヒューイさんや「レムレース」のことをクレアに話そうか未だに迷っていた。明日、私自身がどうなるかは分からない。本来なら居ないはずの私が存在することによって何が変わってもおかしくはない。例え無事ニューヨークに辿り着けたとしても、マイザー・アヴァーロと接触してロニー・スキアートに会えたらそれで全部終わる。この世界での私の全てが。クレアとのこの関係だって。 「瑞樹」 名前を呼ばれて顔を上げるとそっと唇にキスをされた。触れるだけの数秒間に驚いて固まってしまう。そっと離れて赤面したクレアの顔を、ベッドから起き上がってまじまじと見てしまった。クレアは恥ずかしそうに私の目線から目を背ける。 「その……入籍はまだだが、一応明日から新婚旅行なわけだし……。そろそろ進みたかったんだが、嫌だったか?」 もっと雰囲気作りを大切にすべきだったか?と赤面しながら照れくさそうに言うクレア。その初心な反応が新鮮だった。 初対面でプロポーズしてきたクレアを、最初は手が早い人だと思っていた。なんたって、初対面でプロポーズしてくるのだ。普通に考えたら相当な遊び人か結婚詐欺か、それとも飛び抜けた馬鹿かと思う。 付き合い始めてからのクレアは「大事にしたい」との理由で非常に奥手で、今のが初めての唇と唇のキスだった。 まあ、つまりは、クレアは飛び抜けた馬鹿だったわけだ。 遅いくらいの進展と初心な反応にふっと吹き出してしまう。 「笑うとこか?」 赤面したままなんとも言えない顔をしているクレアが可笑しくて更に笑ってしまう。 「ごめ、だっておかしくて、ふふ、はははは」 クレアの家に泊まるのは今日が初めてじゃない。泊まればもちろん同じベッドで寝る。それでもクレアは一切手を出して来なかった。私自身、そんな経験豊富なわけではないので自分からそういうことを誘うまでは流石に出来ず、というかクレアの家に初めて「泊まりたい」と私から言ったのは私なりに精一杯誘ったつもりだったのだが、結果的に何も進展のないまま今日を迎えたのだ。 「クレア」 ベッドの側で座り込んで笑いすぎた私を拗ねたように見つめていた婚約者様の名前を呼ぶ。私がベッドの上で座っているのでクレアの方が目線が下になる。自然と上目遣いになったクレアに男性には似つかわしくない、『可愛い』という感情が湧き出てきた。 よくよく考えたら彼は私以外の女性と付き合ったことがないと言っていたのでこういった行為をするのは当然初めてなんだろう。付き合ってない女性と一夜限りの関係を作るタイプでもない。彼は彼なりに色々考えていたのかもしれない。年下の初心な彼氏という事実と彼の普段の尊大とも言える言葉や態度がちぐはぐで可笑しかった。 そっと頬に手を添えてクレアの顔を上に向かせる。 「大好き」 今度はそっと私からキスをした。 *** 「グスターヴォ?」 「ルノラータファミリーのヤツだが、どうにも躍起になってDD新聞社とガンドールをつぶそうとしてる。それで便利屋のフェリックスにお呼びがかかったんだ」 目を覚ましたロイさんとイブ嬢を連れて4人でDD新聞社へ移動しながら、クレアに経緯を聞く。 一応、二人にはクレアのことは紹介した。髭面のクレアを「婚約者です」と紹介した時のロイさんの目は「コイツ本気か?」と言わんばかりの目だった。その視線にクレアも気付いたらしく髭とメガネを取って素顔を見せてくれた。イブ嬢は昨夜散々話を聞いた私の婚約者の登場で目を輝かせた。しかしすぐに「急いだ方が良い」というクレアの言葉に四人でDD新聞社へ移動した。 私はグスターヴォのことよりもクレアが名乗ったフェリックス・ウォーケンという名前が気になっていた。 「フェリックスって人の振りをする為にそんな格好をしてるの?」 「いや。戸籍を売ってくれたフェリックスは30ぐらいのイカス姉ちゃんだった。この格好はフェリックスに扮するというよりはクレアとしての顔を隠す為だな。流石に女に変装するのは無理だが、依頼人のグスターヴォはガンドールと揉めてるんだからクレアとしての顔が知られていてもおかしくはない」 なるほど。確かに抗争相手やその関係者の顔を把握しておこうというのは自然なことだ。クレアはガンドール兄弟とは旧知の仲なわけだし、調べたら顔くらいすぐに分かるだろう。 しかし、そもそも敵対する組織に同時に雇われて平気なのかが疑問だ。聞くと、とりあえずそこの二人を指定された場所まで届けたらさっさと変装をやめてヴィーノとしての仕事をする、とのことだった。クレアが変装をやめた後の展開が想像ついて、グスターヴォがちょっとだけ可哀相になる。 クレアに戸籍を売ってくれたフェリックス・ウォーケンという人が女性なら、ベリアム議員のところで出会ったフェリックスはただ同じ名前の人だろうか。でも、フェリックスなんてそうある名前でもないと思う。クレアが言うには便利屋フェリックス・ウォーケンというのは裏社会ではかなりの有名人らしい。それなら尚更あのナイフをつきつけてきたフェリックスが気になった。彼は正にその便利屋フェリックスではないのだろうか。 念の為、シャムに頼んで後で調べてもらおう。 裏社会についてのことならクレアに聞いた方が早いのでは?とも思ったが、なんとなく、まだ打ち明けていないベリアム議員の元での仕事関係のことを聞くのは躊躇われた。 ようやくクレアと再会出来たのに、それをゆっくりと喜ぶことが出来ない。その状況に少し安心している自分がいた。 DD新聞社の建物は思ったより小ぢんまりしていた。自分が勤めていた会社と比べるとかなり小さい。まぁ、ニューヨークという大きい都市とはいえ、地方紙の新聞社はこの程度なのかもしれない。自分が勤めていた鉄道会社はアメリカを横断する列車を走らせる位には大手なわけだし、比べるのもおかしな話だ。 「しばらく大人しくしてくれよ」 クレアがイブ嬢とロイさんに声をかけ、私達の背中に銃を付きつける。ここに来るまで普通に談笑していたとはいえ、銃を付きつけられるのは怖いのだろう。二人の顔に緊張が広がった。 裏口にまわるとルノラータファミリーの組員だろうという人と、ロングコートを着た人が何か話している。 「こんな職業に就く奴で、気が確かな奴なんざいたらお目にかかりてえな」 「お疲れさまです」 会話を遮るようにクレアが声をかけるとロングコートは少し興奮した様子だった。 「なあ、あんたもそう思うだろう?フェリックスさんよ?俺達は最初から正気じゃあねえ。そうだろう?いつだって俺らの頭の中には狂気が満ちていて、それがどうしようもなくたまらねえからこんな仕事をやってんだよな?」 「口で正気とか狂気とかあんまり言わない方がいいですよ」 「あん?」 「なんていうか、寒いですから」 吐き捨てるようなクレアの物言いにポカンとするロングコート。 そのままクレアに促されて私達は中に入った。ばたんと裏口の扉を後ろ手で閉める。 「グスターヴォは上の階みたいだな。とりあえず依頼通りお前らを攫ってきたってのを見せたら、後は俺の関与する範囲じゃないからさっさと隠れるなり逃げるなり好きにしてくれ」 DD新聞社内の1階は人気が無かった。進みながらクレアが話し、二人が頷く間、上階から物音がした。既に何かが始まっているのだろう。足音も複数聞こえる。 「二人は私が建物の外まで送ります」 グスターヴォは何人かの殺し屋を雇ったらしいので、もしかしたらこの建物内で他の殺し屋と鉢合わせする可能性もあるかもしれない。 二人は銃の撃ち方も知らない一般人だ。もし殺し屋と鉢合わせたら身を守る術がない。とはいえ私も実践での殺し合いなんてフライング・プッシーフットでの経験が初めてで正直自信は無かったが、それでも居ないよりはマシだろう。一応、ナイフや銃は服の中に仕込んである。 そう思って言ったが、ロイさんに控えめに断られた。 「気遣ってもらうのは有り難いけど、アンタこそ逃げた方がいいだろ。元々この騒動に関係ないんだ。それに女性なんだからマフィアの男連中に捕まりでもしたら何されるか分かったもんじゃない」 「瑞樹は強いぞ。マフィア程度になんて捕まることは無い」 ロイさんの言葉にクレアが答えた。 「……クレアにそんなこと言われるなんて」 「少なくとも他の殺し屋相手なら、そんなに手こずることはないんじゃないか?」 その言葉に驚く。クレアには私が戦ってるところは見られたことはないはずだ。そもそも私は実戦経験が乏しい。そんな断言されるほどのことを何かしただろうか?と疑問に思った。 「例え捕まったとしても、何かされるよりも前に俺が助け出すから安心しろ」 続けられたクレアの言葉はやっぱりヒーローみたいで力強かった。 昨日のスパイクさんやリズさんの言葉を思い出す。クレアにはやはり仕事のことを話すべきだろうか。そもそも、これから家族になる人に黙って仕事を始めて良いものなのだろうか。ああ、でも、「そもそも」なんて考えてしまったら、「そもそも」私はクレアと結婚していいのだろうか。思考が再び巡りだす。 悶々と考えていると立ち止まったクレアの背中に鼻をぶつけた。鼻を押さえて見上げるとクレアが後ろを振り向いている。不思議に思って振り向くと裏口にいたロングコートが立っていた。その瞳は何故か憎悪に満ちている。 「フェリックスさんよ?あんたが攫ってくるのは男女二人じゃなかったか?そのチャイニーズのガキはなんだ?」 ロングコートの男の手には拳銃が握られていた。 「二人の関係者でしてね。警察を呼ばれたら面倒なのでついでに攫ってきたんですよ」 クレアが適当な言い訳をするとロングコートが何か言いたげに口を開いた。 轟音。イブ嬢とロイさんの身体が飛び上がる。私とクレアとロングコートは一斉に上の階を見上げた。 「ハハハ、アイツ本当に正気じゃねえな」 ロングコートは他人事のように笑っているがその言葉には同意せざるを得ない。発砲したのは例のグスターヴォだろうか。この音の大きさではハンドガンみたいな小さな銃ではなくショットガンの類だろう。そんなものをこんな街中でサイレンサーもなく使うなんて正気じゃない。急いだ方が良さそうだ。クレアも同じ考えに至ったらしく、私達を連れて階段をあがる。ロングコートの男もついてきた。 「お取り込み中すみませんが」 三階の大部屋にたどり着いた。 そこには大柄のグスターヴォらしき男とその部下達、褐色の肌の変わった服を着た女性、奥には酒瓶を持っている男性もいる。それから三人の男性が入口付近に立っていた。おそらくこの三人がガンドール兄弟だろう。クレアから聞いてた通りの外見的特徴がある。三人はじっとクレアを不思議そうに見ていた。 「イブ・ジェノアードとロイ・マードックです」 「助かったよ、便利屋」 「じゃあ、私はこれで」 「待てよ、次の仕事だが……殺しじゃねえ。その連中を動けなくなるまでふんじばるってのは、手前の仕事の範疇か?」 グスターヴォの問いに、クレアは肩を竦める。 「勿論、できますが?」 その言葉に、グスターヴォはにやりと笑った。 「じゃあ頼むぜ、フェリックス・ウォーケンさんよぉ!報酬はいくらぐらい必要だ?」 「3京ドル」 「……あん?」 「この三人と敵対するなら、その程度の金は必要ですな。はは」 「……一人につき1京ドルってこと?」 「そうなりますね」 「……否定しようよ」 クレアの悪い冗談に思わず呆れて余計なこと聞くが、クレアは当然のように肯定する。額が額とはいえ、まさか本気で言ってないよね?少し心配になった。シカゴを発つ前にも思ったことだが、家族であるガンドール兄弟に危害を加えるような依頼をクレアが受けるとは思えなかった。 「そのチャイニーズはなんだ?」 グスターヴォが状況を飲み込めないような困惑した声で質問する。実際飲み込めていないのだろう。それにしても先程のロングコートといい、アメリカ人って東洋人はチャイニーズしかいないと思っているのだろうか。 グスターヴォの問いに、彼の注意が私に向き始めたことに気付いたクレアがイブ嬢とロイさんと一緒に私を廊下に出す。「すぐ終わらせるから」と小さく囁かれてクレアに分かるようにだけ頷く。ロングコートの存在が気になったが、彼はクレアが私達が逃がすのを止めずに見ていた。 「おい、どういうつもりだ!」 「まあ、私の仕事は連れてくるまでですから」 その言葉と同時にクレアが扉を閉めた。 呆然としている二人にすぐに声をかける。 「早く外に出ましょう」 階段を降りて先程入ってきた裏口を目指す。が、途中で複数の足音が裏口から入って来たのに気付いた。おそらくルノラータファミリーの人間だろう。見張り一人くらいならなんとかなると思ったのだが。強行突破しても良いが、イブ嬢とロイさんの無事を優先させた方がいい。 すぐ横にあった部屋に二人を誘導する。応接間らしいその部屋には大きなソファがあった。 三階から銃声が響く。思わず天井を見上げた。 「瑞樹さん、私達は大丈夫です。この部屋に隠れてます。クレアさんの元に行ってあげてください。心配なんでしょう?」 銃声が響いているというのにイブ嬢が怯えずに私を見つめる。 育ちの良さもあるだろうが、この子は本当に強くて良い子だ。 「大丈夫です。心配はしていません。クレアは必ず勝ちますから」 そっとイブ嬢の手を握ってそのまま彼女を引っ張って抱え込んだ。その直後応接室の扉が派手に蹴り倒される。 「イャぁぁっ!」 絹を裂くような悲鳴をあげ、イブ嬢がへたり込むのを支える。 無理もない、イブ嬢がたった今まで立っていた場所に、重い扉が叩きつけられたのだ。私が引っ張ってなければ今頃イブ嬢はドアの下敷きになって倒れていた。叩きつけられた扉を挟んだ向こう側でロイさんが腰を抜かしていた。 「騒ぐな小娘」 決して小さくはなかった扉から、グスターヴォが身を低くして入り込んできた。その目は暗く、先程までと雰囲気が違いすぎることに戸惑う。 「すぐに終わらせる」と言ったクレアがグスターヴォをここに来るのを何の理由も無く許すとは思えなかった。グスターヴォの雰囲気が違うことと何か関係があるのだろうか。 光のないグスターヴォの目がイブ嬢を捉える。 「せっかく単純な話になったと思っていたら、何かまたややこしい話になっちまったようだ。初めましてというべきか?ジェノアードの小娘風情が、俺を嵌めようとして随分と調子に乗ってくれたみてえだな」 何を勘違いしているのか、グスターヴォの目には先程のロングコートの比ではない程の憎悪で染まっている。イブ嬢を抱える私の存在は視界に入ってないらしい。 「俺がお前に何をした?普通に生きるチャンスを貰っといて、何でそんな無駄な事に命を費やす必要がある?まさか、手前まで化け物ってこたあねえよな?」 グスターヴォは手にしていたショットガンの銃口をゆっくりとイブ嬢の顔面に向ける。その銃身を掴んで、床へ押さえつけた。 「あん?」 グスターヴォはようやく私の存在に気付いたらしく眉間にしわを寄せる。ショットガンの銃身を動かそうと力を入れるが、私が上から押さえつけているので動かない。あからさまに不愉快そうな顔になった。 「イエローモンキーが白人様に刃向かおうってか」 グスターヴォの指が引き金にかけられた瞬間だった。 「酒場の分」 グスターヴォの頭が背後から木製の椅子で殴られる。 「賭場の分」 言葉の度に殴られる。かなり強く殴られたらしい。巨大な身体がぐらつく。ショットガンを取り落とした。 「馬券場の分」 グスターヴォが頭を押さえながら振り返る。グスターヴォの身体の陰から見えたのは、ラック・ガンドールらしき狐目の男性だった。 「ニコラの傷の分」 グスターヴォが体勢を崩してしりもちをつく。 「吹き飛ばされた、私の頭の分です」 グスターヴォが完全に意識を失った。 そこでようやく狐目の男はこちらに気付いたようだった。 彼は少し困ったように目を逸らして、次の瞬間、こちらを安心させるかのように微笑む。 「いやあ、貴方達が殺されそうだったものでつい。正当防衛です」 ニコリと微笑むその狐目の男にイブ嬢はすっかり怯えていた。少し前なら私も怯えるなり警戒するなりしていただろうが、フライング・プッシーフット号の経験のおかげか随分と冷静だった。 気を失ったグスターヴォを見る。顔面から頭部にかけての損傷が激しい。すぐには意識を取り戻すことは無さそうだ。クレアがグスターヴォを見逃したのはこの人が追っかけて行ったからだろうか。 そっと抱きしめていたイブ嬢を離す。 「助かりました。ありがとうございます」 お礼を言うと狐目の男性は面食らったような顔をした。 正当防衛とは言ってみたものの、明らかに個人的な恨みを晴らしただけだったので、まさか本当にお礼を言われるとは思わなかったのだろう。 しかし、助かったのは事実だ。そっと服の中に仕込んであるナイフや銃を確認する。使わなくて済むならそれが一番良い。 壁際でへたり込んでいるロイさんの側に寄る。 「ロイさん、大丈夫ですか?立てますか?」 「あ、ああ……」 私が問いかけるとロイさんは震えながらこくこくと頷いた。手を差し出して立ち上がらせる。 「あー、その、そんなに恐がらないで下さい。ケイト義姉さんのお客さんですよね?私はその、義弟のラック・ガンドールと申します」 振り返るとラック・ガンドールと名乗った男が手を差し出していたが、イブ嬢は一向にその手を掴む気配はない。しかし、ラック・ガンドールという名前に反応し、イブ嬢の震えが止まる。 「あの……ガンドールさんの、その、マフィア屋さんのリーダーの方ですか?」 「マフィア屋ってそんな。リーダーっていうのも……、まあ、そんなものですけれど」 「お願いです!どうしても……どうしても聞いておきたい事があるんです!」 へたり込んでいたイブ嬢が立ち上がる。 その眼にはもう恐怖は無い。 「兄は―――ダラス兄さんは、生きているのですか?」 ダラスという名前にラック・ガンドールが驚いた様に瞬きをする。 暫く考え込んだ後、ガンドールファミリーのボスは語りだした。 「信じても信じなくても、貴方にはつらい話となりますが―――貴方のお兄さんは、もう普通の人間では無いんですよ」 ダラス・ジェノアードの顛末を。 ラックさんは話してくれた。 ダラス・ジェノアードが巻き込まれた事件とダラス・ジェノアードが死なない不死の身体になったこと、ガンドールファミリーの構成員を四人も殺したこと、そして、彼らのが今受けている贖罪を。 わざわざ自分の指を切ってまで不死の存在をイブ嬢に見せたのは、彼なりの誠意かもしれない。本来ならそこまで説明する義理なんて無い。マフィアみたいな社会の裏側の世界なんて知らない表の世界の人間にそこまでしたのはイブ嬢の強い意志を感じたのだろう。マフィアの社会を知らないカタギの人間が兄を探してここまで辿り着くまでの過程を想像すればその意志の強さは分かりうるものだ。 しかし、それだけにイブ嬢はすんなりとは引き下がらなかった。法で裁いて欲しいという彼女の願いをラックさんは拒絶する。 「もし何年か先、この怒りが納まる事があるのならば―――その時は、あるいは」 ラックさんの言葉の間に、音もなく大きな陰が動いていた。 2017.09.20 拍手 |