葡萄酒と運命12


「随分と強いんだな、アンタ」

飛び散った血がじわじわと私の腕に集まってくるのをぼんやりと見つめていると声をかけられた。こちらの意志とは関係なく蠢く自分の身体を見ていると、この身体の中の主導権は他人の物になってしまっているような感覚に陥る。
振り返ると先ほどティムと名乗った青年が立っていた。

「……そうですかね?」

「アデルを倒せたなら相当強いだろ」

「私は腕を指されていますし、倒したというのは過言では?」

「そうでもないみたいだけどな」

ティムさんに視線で促されて前を見ると、壁際に倒れたアデルさんがお腹を押さえながら起き上がって咳き込んでいる。咳が治まるとこちらを睨んできた。初対面の人に睨まれて居心地が悪くなる。思いっきり殴り過ぎただろうか。かなり飛んだので背中も強く打ったはずだ。睨まれても仕方がない。

アデルさんから奪った槍をくるりと回す。槍とナイフでの手合せは、随分私に不利だった。しかも、アデルさんは確実に急所を指してこようとしたので流石に身の危険を感じて焦った。なので、ナイフでアデルさんを刺すことをやめて、槍をいなす為だけにナイフを使い、あとは拳と蹴りで対応したのだ。
槍は長くリーチ的に有利だが、その分懐に入ってしまえば対応できる策は限られる。まして、こちらは不死者だ。ある程度の怪我をする前提で挑めば鳩尾に一発拳を叩き込むくらいは出来た。

「普通ナイフ持ってたらナイフで刺さねえか?」

「……それもそうですね。」

利き手ではない、左手に持ち替えたナイフを見る。アデルさんとの手合わせで少し刃こぼれしてしまっている。護身術に関してはシャーネに教えてもらったのでナイフ以外の武器を扱ったことが無い。銃も扱えるが、接近戦では役に立たない。槍は持ち運びが不便そうだった。





***





イブ・ジェノアードに話すべきことを話して立ち上がろうとしていた時だった。イブの目が、突如として驚愕に見開かれる。それまで側で静かに話を聞いていた東洋人の女性が私に向かって手を伸ばしていた。自分の背後に立った影に気付いた時には彼女が私の頭を抱え込んでいた。

「きゃぁああ!!!瑞樹さん!!!!」

イブの悲鳴が聞こえる。目を開けると彼女が頭から肩に掛けて抉られたように変形し真っ赤に染まっていた。どうやら私は彼女に庇われたらしい。
何故、と疑問に思う。自分が不死者であることは話したのだから、庇う必要なんてないはずだ。
倒れた彼女の頭をイブが泣きながら抱えている。しかし、そこに本来あるべき頭部の1/3ほどが無くなっていた。
どう見ても即死だった。
焦った次の瞬間、ソファーは横にあった。

「グぁっ……!」

背中から壁に激突して、体が衝撃に支配される。足をふらつかせながらなんとか立ち上がり、グスターヴォの方に目を向けた。血濡れの男が、殺意だけがギラつく目でこちらを睨みつけている。

「舐めやがって……どいつもこいつも、この俺を舐めやがってぇぇぇぇぇえええ!」

ソファーを床に投げ捨てながら、絶叫のような雄たけびを上げる。
そして、急に笑ったかと思うと、完全に壊れた口調で言葉を紡ぐ。
穏便に済ませるのは無理そうだと悟り、拳銃で迫り来る巨漢に向けて引き金を引く。しかし、その巨漢は倒れることはなかった。無茶な理屈で撃ち込まれた弾丸の存在を無視するグスターヴォの拳が腹にめり込む。間髪入れず蹴りを入れられ肋骨が砕けるまで踏まれる。
こういう役割はベル兄の役割なのにと心の中で愚痴た。

身体が再生する間にグスターヴォがイブの家族を殺したことを話しだす。同じ裏社会の人間として、グスターヴォに吐き気がした。だから人望がないのだと指摘すると「この腐れ餓鬼」ときた。腐っているのはどっちだ。
とりあえず、イブの安全を確保するのが先だろう。もう一人、不健康そうな男が壁際で腰を抜かしている。私がグスターヴォを引き付けるなりして、二人でなんとか逃げもらわなくては。これ以上犠牲を増やすわけにはいかない。

「小娘ぇ!」

グスターヴォの声に顔を上げると、驚くほど冷静な表情をした少女が、その目に涙を浮かべながらショットガンを構えていた。膝には息絶えた女性がいる。数分前まで少女を抱きしめていた女性だ。少女の服は女性の血で真っ赤に染まっていた。

「ラックさん、御免なさい。本当にごめんなさい。私、さっきあれだけラックさんに身勝手な事言ったのに、それが自分にとって正しい事だって思ったのに、それなのに、今は、今はこの男が許せない―――許せないんです」

そこで、彼女の瞳に強い力がともる。恐れの無い、暗く澄んだ瞳。

「今なら、さっきラックさんが言ってた事がわかります、だから、だから―――」

目から大粒の涙を零した。その涙が少女の頬に飛び散った女性の血を拭った。引き金に力を籠め始める。
グスターヴォが品のない挑発する。少女は戸惑う事なく引き金を引くと同時に駆け出すがそれよりも早く動いた影があった。

爆弾の様な轟音が響く。

「瑞樹さん……!」

彼女の名前を呼んだイブが目を見開く。壁際の男が息を飲んだ。
息絶えていたはずの彼女が銃身を踏む形でショットガンの銃口を床にそらしていた。しかし、それよりも私達の視線を奪ったのは、ショットガンを踏んでいる彼女の頭から肩に掛けての傷口だった。変形するほどえぐられているその傷口に、イブの衣服や床に飛び散っていた血と臓器が集まってくる。うぞうぞとまるで生きているかのように彼女の体を這い上がり、みるみるうちに傷口が治っていった。

まさか、まさか彼女までも、

「不死者……?」

私が小さくつぶやいた声にちらりと彼女は私を見た。

「なんなんだよ……。なんなんだよ、お前らはよぉ!どいつもこいつも、不死身の化け物かよぉぉぉおおおおお!」

グスターヴォの絶叫が響き渡る。
次の瞬間、彼女はグスターヴォが振り上げた拳の上に立っていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「あ?」

グスターヴォが目を見開いた時には彼女はグスターヴォの拳から飛び上がり、背後に着地してグスターヴォの背中にその拳を叩き込んでいた。
グスターヴォが巨体が吹っ飛ぶ。少年のような体格の彼女が巨体を吹き飛ばしている現実に思わず口が開く。その間に彼女が懐から拳銃取り出す。通常の拳銃よりも細いその銃身からパシュッパシュッとサイレンサー特有の音と共に弾丸が撃ち込まれた。

「てめえ……。イエロー、モンキー、ふぜえ、が……」

グスターヴォの意識が途切れるのを確認して、彼女がこちらを振り返る。傷は完全に治っていた。

「こ、殺したのか?」

「いいえ。ただの麻酔銃です」

「……あ、アンタ、本当に強いんだな」

「そうですかね……?」

壁際の男の問いに彼女が答える。強いと言われて調子が狂ったように頬をかく彼女は普通の女性と変わりないように見えた。
彼女はそのままゆっくりとイブに近付き、彼女がかろうじて握っていたショットガンを取り上げ、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「駄目ですよ。貴女みたいな人がこんなの使ったら」

「瑞樹さん……。私、わたしっ!」

イブ・ジェノアードの瞳に大粒の涙が零れる。彼女がそっと抱きしめた事が合図となって堰を切ったように顔を覆って泣き出した。





***





わんわんと泣くイブ嬢の背中を摩る。
今まで実際に銃を見たこともないであろう彼女が、あのショットガンの引き金を引くのにはかなりの精神力を要しただろう。しかし、それでも引き金を引いてしまう程、グスターヴォが憎くて堪らなかったのだ。イブ嬢の心中を察してまだまだ幼い彼女の背中を摩っているとラックさんが側に立った。なんとも言えない表情で私を見下ろしている。彼らからしたら目の前に突然知らない不死者が現れたのだから困惑しているのだろう。なんと説明しようかと考えていると応接室にばたばたと足音が近付いてきた。

「ロイ!」

「い、イーディス!」

現れたのはショートヘアの女性だった。イーディスと呼ばれた女性は壁際のロイさんに一直線で向かい、手を振り上げて平手打ちをした。

「このバカ、何で、何であんた気が弱い癖にそんなに他人に気を使うのよ!かと思ったら今度は平気で知らない人を巻き込んだりして!約束ぐらい、人に約束ぐらい守らせてよ!私があんたを助けるっていったんだから、守るっていったんだから、逃げ出さないでよ!」

イーディスはロイさんに馬乗り状態でパカパカ殴りながら、最後には硬く抱きしめていた。抱きしめられたロイさんがイーディスに謝っている。
一件落着になりそうだなと見ていると、ふと気配を感じて部屋の入口を見ると見覚えのある男が立っていた。

「君、が、ロイ、君、か」

「な、なんだよ、あんた」

言葉を細かく途切れさせながら話す男に、ヒューイさんの記憶から情報を引っ張り出す。彼は確か……。

「ベグ・ガロット」

「お知り合いですか?」

「いいえ。ただ彼と共通の知人がいるだけです」

「共通の知人?」

ラックさんが私の言葉に眉を寄せた。
ベグの登場に泣いてるイブ嬢をそっと離す。
ベグと呼ばれた男は自分の名前を知っている私に警戒したようだった。

「誰、だ、お前、は。共通、の、知人、だ、と?」

「……私のことはお気になさらず。とりあえず、場所を移動させてください。グスターヴォに打った麻酔銃は強力なものではありますが、この男の異常性を鑑みるといつ起きてもおかしくはありません」

「待、て」

「イーディス!」

ベグがいつの間にか出した銃をイーディスさんの頭に突き付けていた。
ロイさんが慌てて立ち上がる。
ベグは自らの懐からゴムバンドと注射器を取り出すと、それをロイに向かって差し出した。

「薬、だ、これを、う、て」

「何を……」

ラックさんが近づこうとするとベグが撃鉄を起こす。

「普段、お前が、使って、いた、薬を、強力に、した、ものだ。俺の、作った、興奮剤との、ドラッグ・カクテルに、なって、いる。恐らく、それを、使えば、二度と、こちらの、世界に、戻る、事、は、出来ない、だろう」

「ちょっと……あんた、いきなり何を考えているのよ!そんなこと…!」

「悪い、が、拒否権、は、無い」

ごりっとイーディスの頭に銃口が押し付けられる。

「俺に、見せて、くれ。お前が、笑って、死ぬ、ところ、を。お前が、世界、を、感じて、いる、所を。お前の、快楽、を、お前の、世界を、見せて、くれ」

ベグの語気が徐々に強まる。

「解った……解ったからイーディスを撃たないでくれ」

ロイさんがゴムバンドを腕に嵌める。

「止めて、止めてよロイ!ダメだよ!死んじゃうよ!」

「約束、そうだ、約束しろ!俺が、俺がこの注射器を打ったら、絶対イーディスを離すって約束しろ!」

少し間を空けて、ベグはその約束に同意した。

「いい、だ、ろう。約束、する」

それを聞くとロイさんは、ゴムバンドを更にきつく腕に巻きつけ。何の躊躇いも無く、腕に注射器の針を刺した。

「ロイ!」

イーディスさんが叫んだ。





腕から大量の血を吹き出すロイさんを全員が息を飲んで見守る。
まさか、注射した後に自ら腕を傷つけるとは。しかし、あのままでは出血多量で死んでしまう。早く止血を、と焦っていると、ベグはイーディスをロイさんの方に突き放し、自らの側頭部に銃口を向けた。

「今、なら、病院、に、行けば、間に合う、だろう。俺、が、再生、する、まで、に、逃げ、ろ。この、まま、では、お前ら、を、二人、とも、殺して、しまい、そう、だ」

次の瞬間、小さな銃声が響き渡った。
銃声の直後倒れたベグにすかさず駆け寄る。ヒューイさんの研究室からくすねてきた薬をちゃんと持っておいて良かった。麻酔銃の弾を付け替えて打ち込む。

「何をしてるんですか?彼はもう死んでいるのでは……」

「『俺が再生するまでに』ってさっき言ってました」

「……まさかその人も不死者だと?」

ラックさんからの質問に頷く。
ラックさんはじっとこちらを見ている。
その目には困惑ではなく警戒心が映っていた。

「不死者が再生する前に麻酔銃を打って効くのですか?」

「これは麻酔銃ではありません。不死者の再生を遅らせる薬です」

「再生を遅らせる……?」

ラックさんが再び眉を寄せる。警戒心が濃くなった。正直に答えない方が良かったかもしれないと思ったがもう遅い。仲良くしたいと思っていたガンドールさんに警戒されてしまった事実に若干の後悔が芽生えるが、今はそれどころじゃない。ベグ・ガロットにこの200年何があったかは分からないが、彼はヒューイさんの記憶とは随分と様変わりしていた。目覚めたら本当にロイさん達を殺すかもしれない。安全は確保しておきたかった。
ベグ・ガロットに薬を打ち終わってイーディスという女性に抱えられているロイさんの傍に寄る。出血が激しい。ゴムバンドを強く縛り直す。上着を抜いで傷口を押さえつけた。

「ここを強く押さえててくれますか?」

イーディスさんに頼むと、泣きながらだったがこくこくと頷いて傷口を押さえてくれた。

「……救急車を呼んで来ます」

警戒心を露わにしているラックさんに声をかけて部屋を出る。ここは新聞社だ。他の部屋に行けば電話の一つや二つはあるだろう。
案の定、隣の部屋で電話を見つけて救急車を呼ぶ。一応2台。ロイさんの分と、グスターヴォの分。グスターヴォの分まで救急車を呼ぶ義理は無いが、あのまま放置してまた暴れだしては適わない。病院に運ばれれば警察の取り調べは免れないだろう。そのまま刑務所に行ってくれれば良い。
それからもう一か所電話を掛けた。嫌がるだろうが、同じ不死者のベグ・ガロットが絡んでいると言ったらきっと動いてくれるだろう。案の定、電話口であからさまな不機嫌を露わにしたが、そもそもの発端にベグ・ガロットが絡んでいると少し誇張した説明をしたら舌打ちしながら引き受けてくれた。ヴィクターさんって多分損するタイプだ。

電話を切って部屋に戻ろうと廊下を出ると、裏口から黒人女性と老人が騒がしく入ってきた。
どうみてもマフィア関係者ではない風貌に声をかけると、彼らはジェノアード家の使用人でイブ嬢を探してここに来たらしい。そのまま二人を応接室に案内する。

「御嬢様!おお、御嬢様!申し訳ございませぬ!このベンヤミンめがふがいないばかりに、御嬢様をこのような危険な目に!」

荒れ果てた応接室にしゃがみ込むイブ嬢を見つけた老人がイブ嬢に泣きつく。黒人女性の使用人は随分と落ち着いていた。女性の使用人に救急車を呼んでいるので来たら倒れている男性二人を乗せてあげて欲しいと頼む。
本当は約束通り建物の外まで付き添いたいが、上階もこの階も静かだ。もう警戒すべき対象などは居ないのだろう。
今はベグ・ガロットを移動させたかった。意識のないベグを背中に背負う。

「彼をどうする気ですか」

ラックさんがベグの身体を担ぎ上げてくれた。しかし、手伝ってくれたというよりは、私から取り上げたに近いようだった。その目と言葉には警戒心は残ったままだ。

「不死者の存在をこれ以上人に知られない方が良いと思ったんです」

本当は連れて帰って色々聞きたいことも無いわけじゃないが、今はその時じゃないだろう。
イーディスさんやイブ嬢の家の使用人にまで不死者の存在を広めるのはあまり好ましいことではなかった。

「……隣の部屋に放置します。それで良いですね?」

ラックさんの問いに頷く。
そのままベグを隣の部屋に放り込むのを見守った。

「さて、貴女は何者ですか?」

「……」

パタンと扉を閉めてラックさんが私に向き直る。思いっきり警戒されている。
不死者であることは先程知られているが、なんと答えれば良いだろうか。ここでクレアの婚約者です、と言ったら印象は最悪だろうな。
通常ではなり得ない不死であり、且つ不死者の再生を遅らせる薬なんて所持している輩だ。十中八九、彼の中で私は限りなく敵に近い認識をされているだろう。
なんて説明するべきか。ヒューイさんの名は出して良いものだろうか。
ヒューイという不死者によって不死の身体にされ、不死者についての対抗策を身に付けてきた者ですとでも説明するのが一番無難な気がする。前半は嘘だけど、後半は真実だ。
ヒューイさんについてはマルティージョのマイザーという方も知っているので聞いてみてくださいと言った方がいいかもしれない。あの船の中でもマイザーとヒューイさんはエルマーさんを通して旧知の仲だ。ヒューイさんならやりかねないと思ってくれるだろう。ラックさんも見ず知らずの私よりも既知の中のマイザーからの情報が入った方が警戒心を解いてくれる可能性は高いのではないだろうか。

「瑞樹」

聞きなれた声で背後から呼ばれて思考を中断する。

「……クレアさん?」

ラックさんが私の向こう側を見る。
振り返るとクレアが笑顔で立っていた。横には他二人のガンドール兄弟と思しき人達と褐色肌の女性がいた。
ラックさんが私とクレアの顔を交互に見る。はっと何かに気付いたようだった。

「……もしかして」

「ああ、そうだ。紹介するよ。俺の婚約者の瑞樹だ」

ほんのり頬を染めて私を紹介するクレアを尻目に、ラックさんの視線が痛かった。


2017.09.24
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