葡萄酒と運命16


■ラック・ガンドールの場合

「一人にするんじゃなかった」

珍しくぶすっとした声でつぶやいたクレアさんの顔を見る。

「そんなもん今更言ったってしょうがねえだろうが」

ベル兄が声をかけるがクレアさんは納得いかないというような顔をしていた。
その傍らのベッドには、クレアさんの婚約者である瑞樹さんが熱を出して寝込んでいた。先日のルノラータとの揉め事の後、DD新聞社で熱を出して気を失ったのだ。そのままうちの事務所に運び込んだはいいが、熱は一向に下がらなかった。
医者に診せたが身体に異常はなく精神的なものだろうと診断された。処方された解熱剤を彼女はなんとか飲んだが、あまり効果は無かった。

「熱を出して寝込むなんて、クレアさんと離れてから何かあったんですかね」

「まあ、何らかの事はあっただろうな。寄り道するって手紙を寄越した位だし。それに一人で行動して単純に疲れたのもあるだろうな」

「子供じゃあるまいし、一人で行動して疲れたとかあるのかよ」

「アメリカに来てからは、一人で行動したことないって言ってたからな。色々ストレス溜まったんだろ」

クレアさんの言葉に思わず眉をひそめる。

「アメリカに来てからずっとですか?彼女はいつからアメリカに?」

「一年位前らしい。就職するまで身の回りの事は全部世話してもらってた上、身内以外の人とほとんど話したことが無かったって話は聞いたことがある」

「なんだそりゃ、どこの箱入り娘だよ」

静かに寝息を立てている彼女を見つめる。そんなに大事に育てられて来た彼女に疑問が湧き出てきた。

「……クレアさん、彼女は何者なんですか?」

「何者って?」

「箱入り娘のように大事に育てられてきたんでしょう。なのに彼女はグスターヴォの拳を優に避けて逆に殴り飛ばす位の身体能力がありました。それに銃の扱いも心得ていたようですし……」

更に言えば不死者であった。
普通に生きていれば不死者にはなり得ない。そもそも不死の人間はそう多くない。というか、おそらく世界に数える程しかいないだろう。それもマイザーの元仲間かフィーロが幹部就任の際にあの不死の酒を飲み交わしたマルティージョファミリーの幹部達が大半のはずだ。

クレアを迎えに行った駅でフィーロがマイザーと話していたことを思い出す。
マイザーの元仲間の一人がテロリストとして捕まったという話だった。タイミング的に、何か繋がりがあるのかとも思ったが「婚約者を紹介する」とクレアから連絡を貰ったのはテロリストが捕まる前の話だ。彼女とあのヒューイ・ラフォレットという不死者は無関係なのだろうか。

「あれだけの能力を持っているのなら一般人ではないでしょう。その上で箱入り娘というのなら、どこか大きなマフィアの幹部の娘で幼い頃から護身目的で訓練を受けてたとか、そういう人ではないのですか?」

「金持ちの家なのは確かだ。うちの会社に入社してくる時に多額の寄付金があったらしいからな」

「寄付金?金で入社したってことか?どういう家なんだよ。チャイニーズマフィアか?」

「チャイニーズじゃなくてジャパニーズだ。『ヴィーノ』としての俺を知ってたから、マフィアとかそういうのと関わりはあるのは確かだな」

「クレアさんが『ヴィーノ』だと知ってたんですか?」

「ああ。身体能力に関しては俺も列車で始めて見たが、銃をぶっ放してる相手に怯まず向かってぶん殴ってたし、あの動きならグスターヴォみたいなノロマ奴、敵じゃないだろ」

椅子に深く座り直したクレアさんを見る。
マフィアに名の通っている殺し屋『ヴィーノ』の正体を知る人物は少ない。少なくとも組織の末端の下っ端などは知りたくても知る事の出来ない情報だ。それを知っている彼女はマフィアの娘だとして、かなり深く関わっていたのではないだろうか。

「ラックの言うとおり、護身術を習ったって言ってたな」

「護身術?」

「アメリカに来たばかりの頃、一人で街をうろついていたら絡まれて危ない目に合いそうになったことがあったらしくて、それ以降護身術は習ってるって言ってたが、護身術ってレベルじゃないだろうな。おそらく、その辺の殺し屋は普通に叩きのめせる程度の戦闘訓練だ」

戦闘訓練という物騒な言葉と寝込んでいる彼女の様子がどうにも不釣り合いだった。ベル兄も同じく不審そうな目をしていた。

「例えばあのメキシコ女もやれる位か?」

「出来ると思うぜ」

「……彼女は何故戦闘訓練を?」

「瑞樹の意志じゃないだろ。多分、瑞樹が世話になってたヤツが瑞樹を戦力にしようとしてたんだろう。テロリストだからな」

「テロリスト……?ヒューイ・ラフォレットのことですか?」

先程の否定したばかりの自分の推測を引っ張り出す。
まさかとは思ったが、クレアさんは頷いた。

「俺も瑞樹から直接聞いたわけじゃない。列車でテロリスト達が話してたのを盗み聞きしただけだが、瑞樹はどうもそのヒューイってヤツから特別扱いを受けてたらしい」

彼女がヒューイ・ラフォレットの仲間であったのなら、彼女が不死者であることも、不死者について詳しいのも頷ける。マイザーと同じく200年も前から不死者であったヒューイの元にいたのなら、 不死者の再生を遅らせる薬、というのも、まぁ、そういう薬を開発したんだろうと見当はつく。
不死者を殺せるのは不死者だけなのだから、死を恐れる不死者なら同じ不死者に対して何らかの対抗策を持とうとするのは自然な事だ。

「お前それ知っててプロポーズしたのか?」

「プロポーズした時は知らなかった。何せ初対面だったからな」

ベル兄が呆れた顔になる。
コイツまた出会って3秒でプロポーズしたな、という顔だ。

「よく初対面のお前からプロポーズ受けたな」

「いや、ちょうど昼休みが終わる時間で急いで戻らなくちゃいけないからって返事はその場では返事は無かったんだ。だから退勤時間になってからすぐに返事を聞きに行った。そしたら、もう瑞樹は帰った後でさ。それから数日間何度も会いに行ったんだが、すれ違いが続いてて返事を聞けたのは大分後になる」

「……それ、お前のこと避けてたんだろ」

「瑞樹はそうとう恥ずかしがり屋で最初は会話するのにも苦労したんだ。でも、そういう奥ゆかしいところも可愛いっていうか。たまらないっていうか」

「だから、お前のこと避けてたんだろ」

二人が殴り合いを始めるのに数秒もかからなかった。






「何も聞かないんですね」

殴り合う二人を部屋から追い出すとベッドから目覚めた彼女に声をかけられる。
振り向くと横たわったまま彼女は私を見上げていた。
熱でほんのり赤い顔はDD新聞社でグスターヴォを殴り飛ばした彼女とは随分印象が違う。
「奥ゆかしい」とクレアさんは言っていたが、確かに彼女は幼い顔立ち相まって頼り気の無く、今にも消えてしまいそうな印象を受ける。

「寝込んでいる人間を問い詰めるほど冷酷ではありませんよ」

私の言葉に彼女は何か言いたそうにしていたが、数秒後には瞼を閉じて寝息をたてていた。
そっと部屋を出ると、追い出した二人がばつの悪そうに突っ立っていた。
流石に病人がいる部屋で喧嘩したことを反省しているらしい。

「瑞樹さんはすぐにまた寝ましたよ」

そう言うとベル兄はほっとした様に肩の力を抜いた。クレアさんが部屋に戻ろうとしたので声をかける。

「クレアさん、ここのところずっと瑞樹さんの看病をしていたでしょう。貴方が根詰めても瑞樹さんの体調が良くなるわけでもありませんし、フィーロにでも会ってきたらどうですか?ニューヨークに戻ってから挨拶もしてないんでしょう?」

クレアさんは私の言葉を聞いて数秒考えた後、掴んでいたドアノブをそっと離した。





■レイチェルの場合

「ええと……貴方の名前だけど」

「ああ、前はクレア・スタンフィールドだったが、今が事情があってフェリックス・ウォーケンって名前にしてる」

「へ、へえ」

蜂蜜専門店「アルヴェアーレ」の奥にある闇酒場に戻り、席について注文をしてから改めて自己紹介をする。
どんな事情で名前を変えているのかも気になったが、尋ねた所でまともな答えが返ってくると思えなかった。

「知ってるかどうか判らないけど、私はレイチェル。よろしく。それで、切符の件だけど、あれは貴方の婚約者の瑞樹さんから貰ったお金なの」

「瑞樹から?」

車掌は驚いた様子だった。彼女から話を聞いていないのだろうか。

「ええ。ペンシルヴェニア駅で彼女の方から声をかけてきたの。瑞樹さんから聞いてない?東洋人の男性みたいな服を着た人。貴方の婚約者だって言ってたけど……。合ってる?」

「ああ、それは瑞樹だな。確かに列車で別れる前にお前の話をした。瑞樹は今熱出して寝込んでるんだ。合流するまでの話は聞けてない」

「熱?大丈夫なの?」

「医者には診せたが精神的なものらしい。長旅で疲れたのかもな」

「そっか。あの列車の中は大変だったもんね」

あの列車は異常だった。黒服と白服と、それから目の前の車掌のせいでいくつもの死体がごろごろ転がってた。
普通の神経をしていたら、あの列車での長旅は夢に出てうなされる位はするものだろう。そりゃあ、熱を出して寝込んでも不思議は無い。

いや、でも、しかし、彼女はこの車掌の婚約者だ。普通の神経をしているだろうか。

「瑞樹はあんな大量の切符を買えるような金を持ってたのか?」

車掌の声で我に返る。

「いや、それはベリアム議員が……」

「ベリアム議員?」

「乗客にベリアム議員の妻子がいたの覚えてない?詳しくは知らないけど、瑞樹さんがテロリスト達から守ったみたいで、そのお礼にって札束をベリアム議員から渡されてたんだ」

「ああ、そういや居たな。一等客室に品の良い親子が」

「それで瑞樹さんは別れ際に私にその札束をくれたの。最初はこんな大金貰えないって断ったんだけど、それなら無賃乗車分の切符でも買ってくださいって言われて……」

「そうか」

車掌はじっと何か考え込んでいるようだった。
列車で抱いた化物のような印象からは想像出来ない真剣な表情に戸惑う。
何か都合の悪いことを言ってしまっただろうかと慌てて思考を巡らせる。
ちょうど頼んだ料理が運ばれてきたが、一向に手をつけようとしない。
これから結婚しようという相手が手に入れた大金を黙って手放したのだ。旦那側からしてみれば不信感を抱くのかもしれない。結婚するのには何かとお金がかかるというし、あの札束はやはり使うべきではなかったのではないか。

「あの、やっぱりお金は返すから。すぐには無理だけど……」

「ん?ああ、いや違うんだ。金はいいよ。瑞樹がお前にやったんだろ。受け取ってやってくれ」

柔らかみのある言い方に拍子抜けする。列車の上では会話が成り立つこと自体に驚いたが、化物のようなこの人間にも優しさは持ち合わせているらしい。
随分と失礼なことを考えている自覚はあるが、列車での彼の行動を考えると仕方のないことだと思う。

「ベリアム議員と瑞樹は他に何か話してたか?」

「え?ええっと、フシの情報がどうとか……」

そこではっと気付く。
あの場では分からなかった「フシ」とは「不死」のことではないだろうか。
先程この車掌を見て走り去って行った少年は自分のことを不老不死の不死者だと言っていた。
彼女はあの少年のような不死者の存在を知っていたのではないだろうか。それで、その情報をベリアム議員に売りつけたのではないか。

「不死の情報か……」

「不死のこと知ってるの?」

「不死身ってことだろ。さっきのチェスワフ・メイエルみたいな奴のことだ。瑞樹もそうだしな」

「えっ。彼女も不死者なの?」

「ああ。俺も知らなかったんだが、列車で白服とシャーネが話してるのが聞こえてきてな」

「シャーネ?」

「瑞樹の友人だ」

頭が追いつかない。
彼女も不死者?

一応、私は情報屋の端くれだった。一般人よりも随分と世の中の裏事情にも詳しい自負も自信もある。普通の人なら信じられないようなものも見聞きしてきたし、知識もある。それでも不老不死なんておとぎ話だと思っていた。
それなのに、その不老不死が存在して、こんなにも突然、不老不死だという人と二人も出会っていたなんて。

「……婚約者が不老不死だって知って何も思わないの?」

「思うって何をだ?」

即答で返ってきた問いに言葉がつまる。彼は何も思わないのだろうか。不老不死のことは既知であったのか?それなら、この落ち着きは納得出来るが、それでも自分の配偶者が不老不死ということは列車で知ったばかりらしいし、普通だったら色々考えたり、悩んだりするものではないだろうか。

「その、例えば不老不死だったら結婚した後、一緒に歳を取れないなとか……」

いや、そもそもなんで不老不死なのかとか、何故不老不死を隠してたのかとか、もっと思うところはあるが目の前の車掌には響かない気がした。

「ああ。それなら大丈夫だ。瑞樹は不死者としては不完全らしくてな。不死ではあるが、不老ではないらしい。普通の人間と変わりなく、年をとって老衰で死ぬそうだ」

「不完全とか、そんなのあるんだ……」

それでも大丈夫と言えるのかは疑問だが、この車掌の中では大丈夫なのだろう。

未知過ぎる不死者の世界に、会社に戻ったら社長に色々聞いてみようと決意する。情報屋の社長がタダで全てを教えてくれるとは思えないが、自分で情報を集めるにしても何かヒントをくれるかもしれない。正式に情報屋になりたいという話も一緒に伝えよう。

つい先日までは、無賃乗車で放浪していた自分では想像出来ない決心を心にしっかりと刻みつける。

こんな決心が出来たのも、不死者の存在と切符を買うことが出来たからだと思う。大量の切符を買ったからといって無賃乗車した事実が無くなる訳ではないが、心の整理のキッカケになった。

「瑞樹さんにお礼言っておいてくれる?私、彼女に貰ったお金で切符を買ったおかげで、無賃乗車を辞める決心がついたの。本当は直接会ってお礼を言いたいけど、体調悪いなら会うのは難しいだろうから」

車掌は少し驚いた様だったが、しっかりと頷いた。

「それで、貴方が女の知り合いに相談したかったことって?」

料理に口をつけ始めていた車掌がピタリと止まる。

「ああ、それなんだが……。結婚指輪はどういうシチュエーションで渡したらいいと思う?」

「は?」

思わぬ質問に持っていったパンを落とした。






「あ、あいつ……もう、いない?」

恐る恐る尋ねてくるチェスに頷く。チェスは心の底から安堵したというように息をつき、ほっとしたような笑顔を見せた。
そんな子供の様子を見て、思わず笑みが漏れた。

「ハハ……不死者っていっても、人間と同じだね。喜んだり怖がったり……もっと超越したような存在だと思ってたけど」

「……ふん。そんなにいいものじゃないよ……。それじゃあね」

チェスは即座に笑顔を消してソッポを向く。
ふと、先程の車掌の話を思い出す。

「あ、そういえば、不死者も病気になったりするの?」

「病気?基本的にはならないけど、たまに風邪とか軽い体調不良にはなったりすることはあるよ」

「そうなんだ」

まあ、老衰以外では死なないとのことだから、あまり心配する必要は無いだろう。

不死者の謎は深い。





■シャーネ・ラフォレットの場合

目の前の男は私から瑞樹を奪おうとしている男だった。

「だから、シャーネの知ってる瑞樹のことを教えて欲しいんだ」

私をここまで連れてきた青いつなぎに大きなレンチを持った男はこの赤髪の男に敵わないと悟ったのか捨て台詞を吐き、取り巻き達と一緒に先程ここから出て行った。
この建物の入口ではジャグジー達がいて、心配そうにこちらの様子を伺っている。

「瑞樹は今熱を出して寝込んでるんだが、不死者でも病気にはなるのか?解熱剤の効きも悪いんだが、それは不死と関係あるのか?他にも普通の人間と違って気を付けなければならないこととかあるか?出来るだけ瑞樹の負担を減らして楽にしてやりたいんだが、不死の身体のことについては俺も知識が無いからどうしたら良いのかが判断つかなくてな。シャーネなら知ってると思って聞きに来たんだ」

男の言葉の内容に戸惑う。瑞樹が熱を出している?確かに不死者でも体調を崩すことはあると父さんが言っていたが、それでも私が世話をしてい約一年間、瑞樹は熱を出す事なんて無かった。この男が何かしたのだろうか。

「俺は何もしてない」

私を目を見て男が答える。思考が止まった。今私は言葉を発してなかったはずだ。いや、発してなかったというより、私は声を失った身であるのだからそんな事は有り得ないのだ。それなのに、この男はまるで私の心を読んだように答えた。

「いや、何もしてないというのは少し違うかもな。瑞樹をここ数日一人で行動させてた。瑞樹が一人で大丈夫だって言ったからそうしたが、瑞樹はニューヨークに来るのは始めてのはずだし、そもそもアメリカではあまり一人で行動した事無いって事を俺は知ってたのにも関わらず一人で行動させた責任はある。ごめん。だからこそ、瑞樹を早く楽にしたい。医者にも診せたが精神的なものだって言われてな。薬の効きも悪くてずっと辛そうなんだ。俺に出来ることが無くて、その、歯痒いんだ。何か瑞樹の好きな食べ物でも買ってきてやろうかとも思ったんだが、瑞樹は元々小食だし、逆効果かと思って悩んでいて……」

べらべらと話す男に思わず後ずさりそうになるのをぐっと堪えた。

―――殺さなければ。

この男は父さんの障害になる。何より、瑞樹を奪おうとしている、いや、既に奪った男だ。
瑞樹はこの男を旦那だと私に紹介してくれた。
だから、瑞樹の前ではとりあえず握手はしたものの、この男存在は受け入れられなかった。
今まで瑞樹の面倒をみていたのは自分だったし、瑞樹も何かあれば真っ先に自分を頼ってくれた。

―――瑞樹は私の家族だ。

―――取り戻さなければ。

ぐっとナイフを握り直す。

「俺を認められないか?」

先程までべらべらと喋っていた男は私がナイフを握り直したのを見て警戒したようだった。
この男の身体能力は列車で痛感しているが、それでも引くことは出来ない。

「大丈夫だ。俺は何もお前から瑞樹を奪おうとしているわけじゃない。列車で握手しただろ?俺は瑞樹と結婚して家族になるんだ。瑞樹とシャーネは家族なんだろ?つまり、シャーネとも俺は家族になるってことだ」

何を勝手なことをと思ったが、目の前の男は本気で言っているようだった。

「これから家族になる相手とは俺も仲良くしたい。何より、瑞樹がお前の事とても大事に思っているからな。愛しい瑞樹が大事に思っている人には俺も認められたい。俺はお前が今までしてきたように瑞樹のことを全力で守るし、全力で幸せにする。不自由だってさせない。今はちょっと無理をさせてしまったが、これからはそんなことないようにする。もちろん瑞樹の意志もあるからずっと離れず側にいて行動するってことは難しいと思うが……。ほら、シャーネも分かってると思うが瑞樹って肝心なことは全部一人でやりたがるだろ?」

それは、確かにそうだった。
瑞樹は生活の事は私に頼ってくれたが、肝心なことは何も話してくれなかった。
私は悪魔に願いを叶えてもらう為に過去に来たと言っていたが、どんな願いを叶えてもらうのかは決して教えてはくれなかった。
鉄道会社で働きだしてからも、何か悩んでいるのは気付いていたが、相談されることは無かった。

それが、どうしようもなく、寂しかった。

「大丈夫だ」

ぐっと男に肩を掴まれる。

「瑞樹はきっといつか俺達に話してくれる。だから、俺達は瑞樹がいつか安心して話してくれるように家族になるんだ。シャーネからしてみれば新しい家族が急に増えて戸惑うのも分かるが、心配することは無い。信じてくれ。もしも、俺を信じてくれるなら―――俺は、お前の信じた俺の世界を絶対に、絶対に壊さない。世界は、そんなにヤワじゃない。人が入り込んで壊れる世界なんか無いさ。ただ―――広がるだけ。それだけだ。お前の世界が壊れそうになったら―――瑞樹と一緒に俺が護ってやる。シャーネはもう、俺の家族だからな」

男に真っ直ぐに見つめられる。

「こんな言葉を言う奴は普通は信用できないだろうけどな。知っての通り―――俺は、普通じゃない」

その自信に満ち溢れた言葉に、気づけばナイフを下ろしていた。






***






「なんで俺がこんなことしなきゃいけねえんだよ……」

「ジャンケンに負けたからでしょ」

即座に返ってきた返答に、最初に声を発したスパイクは思わず眉をしかめた。
答えた人物であるレヴィを見るとスパイクが放棄した作業を黙々とこなしている。
タッタッタッと軽い音を立てて器用にミシンを使って布を縫っていく。
ぼんやり見ているとあっという間にワンピースが出来上がっていた。

「……器用だな」

「元々こういうの好きだからね」

武器も服も変わんないよ、と続けたレヴィは服を縫っていない時は新型の銃や爆弾を作っている。元々作ることが好きなんだそうだ。彼と、それから彼等のリーダーである女性の手によって作られる武器は彼らの仕事にとても貢献していた。

「きゃぁぁあああああ」

ガターン!という何かが倒れたであろう音と共に階下で女の悲鳴があがる。
もう聞き慣れたそれにスパイクは首を捻って振り向いた。

「おい、下で何かあったみたいだぞ」

呼びかけても返って来ない答えに声を大きくする。

「おい!聞いてんのかよ!様子見てこいよ!アパム!!!」

「……俺かよ」

背後で布を裁っていたアパムが嫌そうな声を出す。

「お前が連れてきた女どもだろうが」

「……分かったよ」

アパムは作業を中断し、溜息をつきながら立ち上がって階下へ降りていった。

下で悲鳴を上げたのはおそらくラナだろうとアパムは見当を付ける。彼女とその仲間二人は、列車から転げ落ちたアパムを拾い、手当をしながらニューヨークまで連れてきた者でもあった。
ニューヨークに辿り着いた直後、偶然にも今の彼等のリーダーである瑞樹と出会いそのまま合流することになったわけである。

しかし、何もあの三人まで仲間に引き入れることは無かったのではないかとアパムは常々思っていた。
彼女等は、男性陣が御免被りたい婦人服店の店番を任されているが、しょっちゅう店の物を倒して破壊したり、計算ミスをして店の売り上げを減らしている。
しかし、今度のリーダーは以前のリーダーとは違い、随分と慈悲深いらしく、彼女等のミスを「わざとではないのだから」と笑顔で注意し再発防止の指導する程度で済ませていた。

階段の半ば辺りまで来てそっと階下の様子を伺う。
大したことが無いようだったらすぐに上に引き返すつもりだった。命の恩人ではあるが、正直あの三人は苦手だった。

だが、店の入口に立っている女性に目を奪われる。

「シャーネさん!」

慌てて階段を降りると入口に立っていたシャーネが座り込んでいたラナから視線を上げてアパムを見た。

「お、おはようございます」

アパムの挨拶にシャーネはこくん、と頷く。それが彼女の挨拶だった。声の出ない彼女はコミュニケーションのほとんどを首を縦か横に振ることによって済ませていた。

そのシャーネが店内を見回す。
アパムは彼女の意図を察して声をかけた。

「瑞樹さんならまだ仕事から返って来てませんよ」

瑞樹という名前に反応してシャーネがアパムを見る。

「あっ、でも、もうすぐ返ってくると思います」

なんとなく、その視線が残念がっているような気がして、慌てて希望的観測を付け足す。実を言えば、彼女達の帰りは予定より随分と遅い。何かトラブルがあった可能性が高いのだが、何の連絡も入っていない以上、自分達は待機するしかなかった。その待機中に暇だろうからと、隠れ蓑になっている婦人服店の商品の製造を指示されていたわけなのだが。

直後、入口が荒っぽく開いた。

「だから!アンタのせいで見つかったのよ!どう落とし前付けるわけ!?」

朝っぱらから元気過ぎる程の叫び声はクロエのものだった。その後ろには顔をしかめてるリアムがいる。

「だから謝ってるだろ」

「謝って済む問題じゃないわよ!!!」

「お、お帰りなさい」

キンキン怒鳴るクロエにラナの横にいたパネラがおそるおそる声をかける。
するとクロエの後ろから返事が返ってきた。

「ただいま。シャーネもおはよう」

店に入って真っ先にシャーネに声をかけたのはこの店の店長であり、彼等のリーダーでもあり、先程まで話に出ていた瑞樹だ。
横にはぐったりとした様子のルーカスもいる。

シャーネは瑞樹を見つけるとあからさまに顔を綻ばせて返ってきたばかりの彼女を迎え入れた。

「瑞樹!それでこのクソ野郎をどうするわけ!?」

「……何かあったんですか?」

やはり帰りが遅くなった何かがあったのだろうかと、クロエの言葉に瑞樹に問いかけると、彼女は苦笑いをした。





■ルーカスの場合

はああああああああと自室に入るのと同時に長い溜息を吐く。
諜報担当の自分が現場に行くだけでも疲れるのに、思わぬアクシデントのおかげで走り回って不要な疲労が増えた。
クロエやリアムは現場経験が豊富で仲間内でも戦闘に長けているが、自分自身は特にそういうわけでもなく。
瑞樹と行動を共にしていたのは、彼女と一緒なら自分が銃を撃つなどしなくても良いからだ。まぁ、今回に限って一発撃ったのだが。

フィーロ・プロシェンツォに会ったのは予想外だった。しかし、気にとめる程の事でも無いだろう。マルティージョのシマで騒ぎを起こした事で警戒されたが、それもガンドールの名前を出した事でなんとか治まった。

上着を脱いで銃を机の上に置く。
疲れを癒やすべく、さっさとベッドに入ろうと寝間着を引っつかむと窓が開いた。
寝間着を掴んでいた手を離す。
ひとりでに開いた窓を凝視する。嫌な予感しかしなかった。
置いたばかりの銃を掴み、そっと窓に近寄った。
ゆっくりと窓を覗き込む。

「物騒だな」

にゅっ横から出てきた腕に手首を掴まれ捻られて、一瞬で銃を落とした。

「やっぱりアンタか!」

腕の主を見る。
窓枠に我が物顔で腰を下ろし、不適に笑った赤髪の青年は元クレア・スタンフィールド現フェリックス・ウォーケンだった。

「手、離してくださいよ!朝っぱらから何の用ですか」

「帰りが遅かったから何かあったのかと思って心配したんだよ」

「だったら俺じゃなくて、その心配な本人のところに行けばいいでしょう!」

「瑞樹にはここに来るなって言われてるからな」

じゃあ来るなよ、と言いかけたが不意に離された手にタイミングを失う。

この男は瑞樹から自分達「レムレース」の残党との接触を禁じられているはずだった。だから、自分達の住処であり、副業の婦人服店になっているこの家に来るなと言われるのも当然と言えば当然だ。

しかし、この男は度々自分に接触してきた。最初の一回は偶然だったが、それ以降は意図的だ。俺と接触すれば瑞樹の情報が手に入る事を知っているからだ。

「瑞樹さんなら怪我一つありませんからご心配なく。というか、あの人が無事なのなんて分かりきっていることでしょう。それよりもさっさと帰って朝食の準備でもしたらどうですか。もう少ししたら帰宅しますよ」

「瑞樹は不死者だから怪我をしてもすぐ治ることは分かっているが、それでも心配なものは心配だろ。今回のベリアムからの仕事は手こずるような案件だったのか?」

「案件自体はそんなに難しくなかったですけど、仲間の一人がミスをしましてね」

いや、ミスなんてものでは無かったが。リアムの失態を思い出して苦虫を噛み潰したような気分になる。仕事中に盗みを働くなんてどういう神経しているんだ。クロエが散々リアムを罵ってなければ、自分が彼をなじっていただろう。
当のリアムは反省した様子は無く「昔からの癖なんだ。しょうがないだろ」と開き直っていた。そんなリアムに肝心な瑞樹は責めることはしなかったものの、何からの罰を与えると言っていたので任せて自室に上がってきたのだ。

コンコンっとドアがノックされる。

「ルーカスさん、ちょっといいですか?」

瑞樹だ。窓を見ると赤毛の青年は既に姿がなかった。

「大丈夫です。何かありました?」

ドアを開けて返答をする。
ドアの前に立っていた彼女は首をふるふると横に振った。

「今日の店番のシフト伝えに来ただけ。今日は店にいつもの三人とリズさんとシャーネがいるから。ルーカスさんは今日は終日非番で大丈夫」

「分かりました。……リアムのやつは結局どうしたんです?」

「リアムさんは明日から一か月下着売り場の刑」

「……それはそれは。大層な罰で」

伝えられた罰を聞いて思わず肩をすくめる。リアムの心底嫌そうな顔が瞼の裏に浮かんでくる気がした。
ただでさえ男達は女の園である婦人服店に立つのを嫌がっていて、更に下着売り場となれば誰もが近づく事すらも避けたい場所だった。その上、リアムのやつはその端整な顔立ちから来店した婦人達に絡まれる事が多かった。そんなやつが下着売り場なんて想像しただけで笑いが込み上げてきそうだった。

「窓開けたの?寒くない?」

瑞樹の言葉に背後を振り返ると開けっぱなしの窓から冷たい風が吹き込んでいた。慌てて閉める。

「ちょっと換気してたんです」

「そっか。銃は?落としたの?」

彼女の視線を追うと先程落とした銃が窓の側に転がっていた。

「え、ええ。ちょっとさっき肘をぶつけて落としたんです」

「……ふーん」

彼女の目敏さに慌てて落ちていた銃を拾う。
何故自分があの男を庇う様な真似をしなければならないのかと苛立ちもあったが、正直に彼の話をしてこれ以上トラブルになるのは避けたかった。
そこでふと疑問が湧き上がり、彼女にストレートに質問をぶつけた。

「瑞樹さんって、結局旦那さんに仕事の事どこまで話したんですか?」

「え?何、突然」

「いや、ちょっと気になっただけです」

先程まで窓枠に座っていた男は自分達がしていることを詳細に把握しているようだった。

「諜報担当ってものは、自分以外がどんな情報を持っているかも気になるものなんですよ」

「……どこまでって言われても、正直そんなに話してないんだよね」

部屋に入ってそっとドアを閉める。この家に住んでいる自分以外のメンバーの前で、彼の話は禁句だった。

「レムレースの人達と爆弾とか作って売ってるって言ってある。その隠れ蓑で婦人服店やってるっていうことも」

「……それだけですか?不死の話とかベリアム議員の話は」

「してない」

首を傾げそうになるのを堪える。つまり、瑞樹が話していないはずの情報を彼は知っていたということだ。
しかも、不死の件もベリアム議員の件も、そう簡単に知る事が出来る情報ではない。彼はどこからその情報を手に入れたのだろうか。彼は殺し屋でもあったから、何か独自の情報源を持っているのかもしれない。だとしたら、その情報源は非常に気になる。情報の価値を自分はよく理解していた。

「聞きたい事はそれだけ?私もう帰るね。クレアが心配しちゃう」

「あ、はい。お疲れ様です」

帰っていく瑞樹の後姿を見送る。

気になることは多々あったが、ここで彼女を引き留めても、彼女の帰りを待ちわびるあの男が心配するだけだろう。
久しぶりに走り回った身体も重い。
銃を机に再度置き、今度こそ寝間着を着込んでベッドにも潜り込む。

思えば、あの二人も随分変わった。

鉄道会社に入社したばかりの瑞樹は1年も在籍しないことが分かっていた会社で、交友関係を最低限に保っていた。彼女の同僚の中には、寄付金と共に入社した東洋人に良い意味でも悪い意味でも興味津々な人は多くいたが、そのほとんどと彼女は一定の距離を保っていたように思う。

それをあの男にひっくり返された。

シャムの個体の一つは彼女の上司として、護衛兼監視をしていたが、ある日彼女の目の前に現れた男の存在には驚いた。
当初は他と同様に距離を保っていた。というか、むしろ他以上に避けていた。しかし、明らかに避け続ける彼女を、彼は楽しそうに追いかけていた。
そんな男に、気が付けば彼女は気を許していた。
好奇心で何があったか聞けば「根負けした」と彼女は困ったように笑っていた。ヒューイのところではほとんど笑うことが無かった彼女のあんな笑みを見たのはそれが初めてだった。
せいぜいシャーネとラルウァの一部にしか向けられていなかった笑みを引き出したあの男も、彼女と接しているうちにその非常識さが少しはマシになったと思う。多分。

仰向けになり布団を被ってゆっくりと息を吐きだす。

子供を持った個体はたくさん居るが、自発的にこんな気持ちになるのは初めての事だった。

2017.11.11
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