葡萄酒と運命18 「おかえりなさい」 ガンドールの事務所に戻るとチックさんが出迎えてくれた。 「何かあったんですか?大丈夫ですか?」 ヴィクターさんとマイザーさんと別れて、クレアとの話で泣き腫らした私の目に気付き、心配そうに覗き込んでくる。 「大丈夫だ」 返事につっかえていた私の代わりにクレアが私の手をぎゅっと握って答えた。 クレアを見上げて頷くとチックさんは安心したように微笑んだ。 「もうすぐ夕食出来ますからね」 私が頷いたことで安心してくれたのか、チックさんはいつもの柔和な笑顔で手に持っていたハサミをシャキンと動かした。 そこで初めてチックさんの手にハサミがあることに気付く。 「……ハサミで料理するんですか?」 「そうですよ〜。あ、ちゃんと拷問に使うのと分けてるから安心してください」 拷問?チックさんののんびりとした話し方には似合わない言葉に首を捻る。 そういえば、アニメにそんなシーンがあったような気がする。 アニメの記憶を思い出そうとすると、それ以上に新しい記憶が出てくる。以前聞いた彼の話を。 「チックさんって弟います?青い目をした、頭の良い……」 キッチンに入りかけていたチックさんが驚いた顔で振り返った。 「……タックのこと知ってるんですか?」 「タック?」 知っている名前と違う名前が出てきて再度首を傾げる。人違いだっただろうか。 いや、でも、ハサミを肌身離さず持っている男性なんて、広いアメリカといえどそうそういるものではないだろう。しかも、ここはニューヨークだ。彼の言っていた出身地と一致する。 「多分知ってます」 「……元気でした?タック」 「え?ええ。元気でしたよ」 気苦労が耐えなそうだったけど。 私の返事を聞いてチックさんは気が済んだのか、キッチンに入っていった。 青目の彼を思い出す。「ラミア」や「ラルウァ」という我の強い人達の寄せ集めを統制するのに難儀する日々を送っているようだった。 おそらく彼は本来ならヒューイさんの処にいるべきではなく、普通の家庭で普通に勉強して普通に進学して普通に大企業に就職でもしているべき人材なのだろう。あの好戦的な集団を統率するには彼は穏健過ぎる。 「瑞樹」 クレアに名前を呼ばれながら手を引っ張られる。 「これ、さっきのヤツが持ってきたお前の戸籍謄本だ」 先程ヴィクターさんが持ってきてくれた茶封筒を渡される。 封を開けて中身を見ると、正真正銘私の戸籍がそこにあった。 父はヒューイ・ラフォレット 母はルネ・パルメデス・ブランヴィリエ 記憶にあるその名前を凝視する。その名前があるのは私の記憶ではない。ヒューイさんの記憶だ。 私が記入した情報ではないから、後からヴィクターさんがヒューイさんから聞いたりしたのだろう。 戸籍上だけとはいえ、あの人が母親か。会ったこともない人だけど、ヒューイさんの記憶を見た限り、あまり良い印象は抱かない。 というか、これだとシャーネと姉妹ということになってしまうな。それも良いかもしれない。 「瑞樹」 呼ばれて顔を上げるとクレアが嬉しそうに微笑んでいた。 「明日婚姻届を取ってこような」 クレアがあまりにも嬉しそうに言うので私までつられて嬉しくなった。 翌日、婚姻届を取りに行く前に、クレアは一人で出掛けてしまっていた。 起きた時には居なかったクレアに、大人しく帰りを待っていると、ドアがノックされた。 「瑞樹さん、ちょっといいですか」 ラックさんだ。 「お客さんです」 「お客?」 「ルーカスさん」 デジャヴを感じながら表に出ると、来客はシャムことルーカスさんだった。 「どうかしました?」 「そろそろ俺達の家を決めたくて、相談に来たんです」 あ、そうか。 私の新居がいるように、彼等の新居も必要なのだ。 「でも相談って?私ニューヨークの土地勘ないし、この時代の常識をよく知らないから家を決める相談相手には向かないと思うけど……」 「自分達の住む家くらい自分達で決めれますよ。ただ、問題があって……」 「問題?」 「……金が無いんです」 なるほど。 皆列車テロから命優先で逃げた身だ。家を借りるお金なんてあるわけがない。 そもそも、定職に就いていない人達が家を借りれるものだろうか。 この時代の常識は知らないが、元の時代でも収入や保証人の無しで借りれる物件は限られたはずだ。六人分の物件を探すのは苦労しそうだ。 まぁ、それよりも先にお金だが。 「お金かぁ」 借りられる当てがあるとしたら。 ガンドールの事務所に戻ると、中にいるラックさんと目が合った。 「ラックさん、ガンドールファミリーって貸金業やってます?」 「ちょっ……!」 ついてきたルーカスさんが慌てて私の肩を掴んだ。 「マフィアに金借りる気ですか!?」 「だって他に当て無くない?」 「当てって!」 「あの中に真っ当な銀行からお金借りれる人居るの?」 「それは……。」 ルーカスさんは気まずそうに黙り込む。 私だって知人とはいえマフィアからお金を借りたいわけではない。しかし、定職に就いていない元テロ組織の構成員が真っ当なところから融資を受けれる可能性はゼロに等しい。そうなったら、利子が高いのは覚悟のうえでマフィアという裏社会の組織に頼るしかないだろう。 「お金がいるんですか?」 「はい。友人達の住む場所がなくて」 「友人?」 「偶々同じ列車でニューヨークに来た友人達なんですけとちょっとトラブルがあって、皆、無職の無一文みたいなものなんです」 「トラブルですか……」 流石に列車テロをしてたとは言えない。 いや、もしかしたらクレアから聞いているかもしれないけれど。 「何人いらっしゃるんですか?」 「六人です」 根掘り葉掘り聞かれたら、正直困る六人だ。 そもそも彼らはどうして「レムレース」に所属していたのだろう。 私は彼らのことを何も知らない。 「昨年、不景気に煽られて、閉めた店があるんです。お金はともかく、住む場所でしたら、そこをお貸ししましょうか?」 「へ?」 「無職の無一文が六人となれば、賃貸物件を探すのも一苦労でしょう。あの店なら1階の店以外に2階、3階と地下室もあって部屋数もそれなりにあります。六人住んでも部屋が余る程度の大きさです。勿論、家賃は出世払いでかまいません」 予想外の提案にルーカスさんと思わず顔を見合わせた。 「いいんですか?」 「建物というのは使わないと傷むといいますしね。あのままにしておくよりは良いでしょう。それに、貴方には借りがありますから」 「借り?」 「私がグスターヴォに殴られそうになった時、庇って頂いたでしょう」 そういえば、そんな事もあったな。 完全に忘れていた。 「まあ、今すぐに決めなくても構いませんよ。住むのなら実際に見て決めたいものでしょうし。その御友人達の都合の良い日をまた教えてください」 「あ、はい」 「……ありがとう、ございます」 余りに上手い話に呆気に取られていたが、私が頷くとルーカスさんもつられるようにして頷いた。 「じゃあ、ルーカスさんは戻って皆の予定聞いといて」 「分かりました。それから瑞樹さん、もう一つ……」 ルーカスさんに引っ張られて、もう一度店先に出る。 「ガンドールのシマに住むなら、裏の社会で仕事することは話はしといた方が良いかもしれませんよ。ベリアム議員の名前まで出さなくても、後々問題になって住処を追い出されるのは困りますから」 「何のお話ですか?」 こそこそと話すルーカスさんの話を私達を追いかけてきたラックさんの質問に遮られ、ぎょっとして振り返る。 ベリアム議員の件については相手が相手で守秘義務的なところが多いので、ラックさんといえど、出来れば隠しておきたい。 「ら、ラックさん。何か言い忘れたことでもありました?」 わざわざ店の外まで追いかけてきたラックさんを見上げると、少し迷ってから答えた。 「貴方に聞きたいことがありまして」 「聞きたいこと?」 「どうして、あの時私を庇ったんですか?私が不死者であることを説明した後だったんですから、庇う必要なんて無いのは分かることでしょう」 「……確かに、そう言われれば、そうですね」 呑気な事を言っている私に、横で黙って話を聞いているルーカスさんが若干呆れた表情になる。 どうしてと聞かれても、正直困る。あの時そんなことまで頭が回ってなかった。ただソファを振り上げるグスターヴォと無防備なラックさんが視界に入って反射的に行動していただけだ。 「うーん。私、あんまり頭良い方じゃないんです」 「というと?」 「目の前で殺されそうになってる人が居る瞬間に、いちいち考えないですよ。不死者かどうかなんて」 「……そうですか」 あっけらかんと答えた私にラックさんは少しだけ呆気にとられた後、そっと微笑んだ。 *** 今更だがこの世界は現実である。 私が見たアニメには出てこない人がいてその営みがある。 私が見たアニメはあの列車が到着し、イブ・ジェノアードが兄を探すところまでだ。あと、大きなモンキーレンチの彼が出てくるところ位までは知っている。 アニメはそこで終わりだが、現実に終わりは無い。 私の知らない1930年代のアメリカで、私は第二の生を謳歌していた。 「後は私とシャーネでやっておきますので、クロエさんはリズさんと夕食の支度をしてください」 「そう?じゃあお願いするわ」 クロエさんは料理上手でこのシェアハウスに住んでる全員分の食事をほとんど一人で作っている。 この時代、キッチンは女のテリトリーで男が入るのは暗黙の了解として禁じられている。 リズさんも料理はするが、クロエさんの方が上手いそうで、基本的にクロエさん主導でリズさんがアシスタントとしてこの家の食事を作っていた。 因みに皿洗いは男衆が交代でやってくれているらしい。 1ヶ月下着売場の刑に処されているリアムさんは閉店と同時に自室に籠もってしまった。 彼の過去を思うとちょっとやり過ぎたかなと思うが、仕事に支障をきたすどころか、今後の信用を失ってもおかしくはなかったレベルの事をしたのだがら、心を鬼にせねば、と刑は続行中である。 シャーネと私で黙々と閉店の作業をしている中、チリンと店の扉が開いたことを知らせるベルが鳴った。 シャーネと顔を見合わせる。閉店の札は出していたはずなのだが。 とりあえず、手に持っていた商品を棚に置いて奥から店頭に出た。 「すいません、もう閉店で……」 そこには見覚えのある顔が並んでいた。 「マイザーさん、チェス君も」 「こんばんは。閉店後にすみません、良ければ商品を見せて頂いてもかまいませんか?」 「商品を?」 婦人服店の商品を見る必要がマイザーさんやチェス君にあるとは思えなくて聞き返す。 「言っとくけど、僕等が見るんじゃないから」 ちょっと呆れた顔のチェス君がマイザーさんの後ろに手を伸ばす。 チェス君に手を掴まれて出てきた少年と女性がいた。 「フィーロさん。それから……」 もう一人、隣にいるのは。 「フィーロお兄ちゃんとエニスお姉ちゃんだよ」 2017.12.08 拍手 |