葡萄酒と運命2 大陸横断特急


「シャーネ、入るよ」

声をかけて部屋へ入ると黒いドレス姿のシャーネが立っていた。

「似合うね、そのドレス」

装飾が少なくシンプルなドレスだが、そのシンプルさが着ているシャーネの美しさを際立てていた。
私はというと別行動なので普段着のままだ。
私は普段着に男物の服を着ている。
東洋人特有の小柄な体格と併せて少年に見えるような格好をするのは割りと気に入っていた。

今日は私たち「レムレース」が大陸横断特急フライング・プッシーフット号に乗車する日だ。

結局今日までクレアに「レムレース」のことやシャーネ、ヒューイさんのことを話せなかった。
今回の乗車は表向きは新婚旅行ということになっている。
私は寿退社をしたし、クレアは今回の仕事の後にしばらく休暇を取っている。
実際、クレアにニューヨークに着いたら家族同然の幼馴染達を紹介すると言われているし新婚旅行みたいなものかもしれない。
ただ、ニューヨークに着いてすることは観光ではなくマフィアの抗争なわけだが。

「瑞樹様、いらっしゃいますか」

こんこんっとドアをノックされる。この声はグースだ。
ドアを開けて顔を出しながら返答する。

「います」

「ご準備は整いましたか。そろそろ出発致します」

「大丈夫です。シャーネも良いよね」

シャーネが頷く。
駅までは「レムレース」の人達に送ってもらうことになっていた。

私が「レムレース」に加わったのはちょうど1年前のことだった。
突然現れた悪魔に不死の酒を飲まされこの世界に連れて来られた私は治安の悪い裏路地をふらふらしていたことによって、暴漢に捕まり、暴行を受けた。
殴る蹴るの暴行に非力ながら抵抗はしたがほとんど意味の無い行為だった。
抵抗の気力がなくなったころに私を殴っていた汚い手が私の衣服を剥ぎだした。
何をしようとしてるか察した私は今まで以上に必死に抵抗したが結果は先程と変わらず。
もう駄目かもしれないと絶望を抱いた時、偶々通りかかったシャーネに助け出された。

シャーネは、私が殴られた瞬間に飛んだ血液が私の身体へ戻っていくのに気付いて助けたそうだ。
この女は自分の父親と同じ不死者だと。

その後ヒューイさんと引き合わされ、私があれよあれよという間にヒューイさんを盲信しヒューイさんと同じ高みに登り詰めた信者に仕立て上げられたり、シャーネやラミアの人達から護身術を叩き込まれたり、望んだらヒューイさんの手配によって多額の寄付金と共に鉄道会社に入社出来たりと色々あったが、それもあと数時間で終わる。

心残りがあるとすればヒューイさんが捕まる少し前に都合がつくはずだった私の戸籍くらいか。
私にはこの世界での戸籍がないのでクレアとの入籍を何かと理由をつけて先延ばしにしている。
ヒューイさんを奪還したら戸籍の都合はつくだろうか。
いっそ、クレアの幼馴染み達に相談してみてもいいかもしれない。
マフィアならそういうの得意なんじゃなかろうか。

車の中でグースから今日の段取りを説明される。
クレアがこの説明を聞いたら怒りそうだな、とぼんやり思った。





***





「それで?この黒服達はお友達か?」

クレアが怒っていた。

分かってはいたが、返り血を全身に浴びた夫(入籍していないので正式には婚約者だが)というのは目の前にするとなかなかにインパクトがある。
ましてや怒っていたらインパクトどころか湧き上がるのは恐怖だ。思わず後ずさると背後にあった貨物に背中をぶつけた。
視線を下げると文字通りぐちゃぐちゃになった「レムレース」のメンバーがいる。
ヒューイさんがいた頃から「レムレース」のメンバーには極力会わないようにしていたので名前も覚えてない人達だが、安全な客室にいるはずが貨物車両に現れた私の身を案じてくれていた人達でもあった。

「瑞樹」

クレアに呼ばれて視線を上げると視界がぼやけていることに気付いた。

「すまない。泣かないでくれ。お前の友達だって知らなかったんだ」

素直に謝られて驚く。もう怒ってはいないらしい。

「ち、ちがう」

「友達じゃないのか?じゃあなんで泣いてるんだ」

なんでと言われても。
友人とまでいかなくても、顔見知りだったし仲間ではあった。それに例え友人じゃなくても目の前でこれ程のぐちゃぐちゃ死体を見たら普通ではいられなくなるだろう。
この世界に来て、シャーネやラミア達から簡単な護身術や銃の扱い方を教わったりしたが、実際に活用したことはない。
「レムレース」のメンバーが銃で人を殺すところを何度か目撃したくらいだ。それだって目撃した日は食欲がわかなくなった。

つまり、私は全米に名を轟かせている殺し屋と結婚した身でありながら、人の死に耐性がほとんどなかった。

「うっ」

こみ上がってきた吐き気を口元を押さえて飲み込む。
堪えきれない涙が目からこぼれ落ちた。
ぐっと身体が持ち上がる。
クレアが抱きかかえてくれたようだ。
そのまま隣の車両へ運ばれる。
隣の死体がない貨物車両にきて、近くの貨物の上にそっと座らされた。

「大丈夫か?」

血で真っ赤になったクレアの顔が近くにある。
再度上がってきた吐き気を必死で飲み込みながら頷く。

「悪い。死体を見て気分悪くなったんだな」

あやすように背中を撫でられた。
いつもクレアだ。慣れたぬくもりにほっと息をつく。
服が汚れるのも構わずクレアの首に腕を回して縋りつくと、しっかりと抱きしめられた。鼻をすすって涙を拭う。

「ごめんなさい」

「何がだ?」

「話してないことがたくさんあるの」

「そうみたいだな」

クレアに殺された「レムレース」のメンバーは殺される直前に私の名前を呼んでいたから、関係性があることはクレアも分かっているだろう。
目尻の涙を真っ赤な手で拭われる。

「黒服は殺さない方がいいか?」

他に聞きたいこともあるだろうが、今必要な最低限の質問だった。多分、私を気遣ってのことだろう。
クレアとの関係が始まってから、彼の印象はガラリと変わった。
付き合う前はコチラの意志をしばしば無視した強引さを発揮していたが、それが付き合ってから私が言葉にして伝える前に私の意志を汲み取り先回りした行動に変わった。
その気遣いに沢山救われた。何しろ私には隠し事が多すぎた。それを無理に聞き出さず、受け入れてくれるクレアをいつしか本当に好きになっていた。

「シャーネは殺さないで」

「シャーネ?」

「黒服の中に一人だけ口のきけない女の人がいるから。その人は殺さないで」

「分かった。瑞樹は安全なところに……」

クレアが言葉を切った。
すぐそばで足音がする。どんどん近づいてくる。
あっという間にクレアに抱え上げられ貨物の陰に隠れた。

入ってきたのはチェス君だった。
ラッド・ルッソを連れている。

そういえば、食堂車で話した人達は今どうしているだろう。





***




「久しぶりにお米を食べました。とっても美味しかったです」

「そリャ良かっタ」

久しぶりに持った箸を親指で撫でながら、カウンターの中にいるチャイニーズの料理人を見る。

アメリカの料理は正直まずい。
味付けも大雑把だし食材の切り方も乱雑だ。あとやたらペースト状のものが多い気がする。食感を楽しむ文化はないらしい。おかげでこの国に来てから私は随分と痩せた。
和食が恋しく思って、日本の食材を取り寄せてもらえないかヒューイさんに頼んだことがあったが、そもそも流通していなかったりかろうじて流通しているものも粗悪だったりして断念したのだ。
フライング・プッシーフット号にチャイニーズの料理人が乗っていたのは本当に良かった。和食ほどではないが、中華料理はアメリカ料理の大雑把とは違い、繊細さが有り美味しい。

チラリとカウンターの私が座っている端とは反対の端に座っているカップルを見る。
彼らがアイザックとミリアだろう。さっきからその奇異な格好もあり何度も視線を送ってしまっているが愉快なカップルは2人の世界に入っていてこちらの視線には全く気付かれていない。

デザートに杏仁豆腐を頼んだ頃に、私と愉快なカップルの間に顔に入れ墨や傷痕を持った人たちが座った。
顔に入れ墨をした少年、ジャグジー・スプロットが愉快なカップルと話して打ち解けていく様をぼんやり見る。
アニメで見ていた光景を目の前で見るというのはなんとも不思議な気分だ。

「お一人ですか?」

じっと見ていたせいか、眼帯をした顔に傷のある少女が私を見ていた。

「一人ではないですが、今は一人です」

咄嗟の質問に私が少しズレた返答をすると、不思議そうに少女、ニース・ホーリーストーンが首を傾ける。

「客室の方に連れは居ますが、食堂車へは一人できました」

「ああ、なるほど。というか、女性だったんですね」

「紛らわしい格好をしていてすみません」

「いえ、どんな格好をするかは個人の自由ですよ。私も服装についてはよく言われますから」

「確かに、寒くないんですか?」

「暑がりなので。そういう貴女は?」

「スカートとか好きじゃないんです」

建前だろうなぁという返答をされたのでこちらも建前で返す。
傷跡や眼帯が目立ってはいるが、ニースはなかなかの美人だった。

「良かったら、お名前を聞いても?」

「ニースです。あっちで話してるのはジャグジー。貴女は?」

「私は瑞樹です。ニースさん」

そのままカウンター席に座っている面子で談笑をし、チェス君や議員妻子と出会い交流を持った。
レイルトレイサーの話が始まり、ジャグジーさん達が車掌室へ向かった後に食堂車で騒ぎが起こった。

ラッド・ルッソは強烈だった。
人を素手で殴り殺すなんて正気じゃない。狂っているのは知っていたが目の前で見た時の湧き上がる恐怖は予想以上のものだった。
顔見知りのレムレースのメンバーが、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も殴られている様からは恐怖のあまり目が離せなくなっていた。
そのうち「見ない方がいい」という言葉と共に視界が遮られた。バーテンダーが私の頭を抱えるように目を覆っていたのだ。殴られているのは私の仲間なんです、とは言えなかった。

「瑞樹様、ご無事ですか」

ラッド・ルッソ達が居なくなって間もなくグースが食堂車に現れた。
不死者に安否確認なんて馬鹿げているなぁと思うが建前上でも礼儀正しいグースに大丈夫ですと答える。「お前そいつらの仲間だったのか」と言わんばかりの周りからの視線が痛い。
グースがベリアム夫人に声を掛けているのをぼんやり見る。
そういえば、この時にはベリアム夫人が娘をチェスと逃がしてなかったっけ?と思ったが、チェスくんもメリーちゃんもまだ食堂車にいる状態だった。因みに愉快なカップルは先程ジャグジーさん達を探しに出て行った。
もしかしなくても、物語が変わり始めてる?

「瑞樹様、大丈夫ですか。お顔の色が優れませんが」

「……優れるはずもないでしょう」

カウンター席から立ち上がる。

「どちらへ?」

「気になることがあるので後方車両を見てきます」

「危険です。御用があるのなら他の者に行かせます」

「私がこの目で確認したいのです」

「ですが、お一人では何かあっても対処ができません。せめて護衛を」

しつこいグースに苛立つ。
不死の私に護衛なんておかしな話だ。
ヒューイさんが囚われの身になっている今、不死への繋がりが私しかない状況で私を失うのを恐れているのだろう。私が不死を与えられるわけではないのに。
ふとチェス君が視界に入った。

「一人ではありません。彼がいます」

「え?」

チェス君の右腕を掴む。
腕を掴まれたチェス君の目が見開かれた。

「瑞樹様?何を……」

「私よりご自分の命の心配をしてください。敵は白服だけではありませんよ。それからベリアム夫人と娘さんに失礼のないように」

言いたいことを言い捨ててグースから離れるとカウンターの中の2人と目が合った。

「料理も飲み物も美味しかったです。ありがとうこざいました」

迷惑をかけて申し訳ないな、と思いながらせめてもの罪滅ぼしにお礼を言う。
そのままチェス君の腕をひいて食堂車を出る。
チェス君は意外にも抵抗せずに私に着いてきた。

「瑞樹お姉ちゃん……?後ろの車両行ってどうするの?」

「抵抗しないんですね」

チェス君を見下ろすと睨むように見上げられる。
返答に困っているようで、何かを考えているようでもあった。
大方、こいつが不死者か?とでも考えているのだろう。
いっそ教えてしまったほうがこじれなくて良いかもしれない。

「この列車には私達以外にも不死者が複数人います」

唐突に簡潔に告げた私の言葉にチェス君が目を見開いた。

「やはりお前が不死者だったのか!」

「そうです。私も不死者です。そして他にも不死者がいます」

「どういうことだ。何が目的だ。お前は何者だ。他の不死者は誰だ」

「質問攻めですね。簡単に教えるとでも?」

「……」

チェス君の睨みが一層強くなる。
浮かび上がる殺意は凄いが子供の身体ではイマイチ迫力に欠ける。
子供の身体で不老になるというもの考え物だ。

「正直、貴方を食堂車から連れ出したのはただの思い付きです。ですがこれも何かの縁でしょう。チェスワフ・メイエル。1つだけ忠告します。不死者を探すために他の乗客を皆殺しにしようなどと思わないことです。それが結果的に貴方の身を守ります」

困惑の表情を浮かべたチェス君をその場に置き去りにして車掌室へ向かった。





***





「あのねあのね。食堂車の人達を―――鏖にしてくれないかな?」

忠告したのになぁと思い出しながら、私はクレアの腕の中でまどろみ始めていた。

2017.08.05
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