葡萄酒と運命3 友達とヒーローと


「いつまで泣いているのですか」

当時の私にはそれが随分と冷ややかな声に聞こえた。

実際、愛情なんかは微塵も籠っていないので間違いではないのだが。
あえて言うなら愛情もないが敵意も悪意も無く関心すらも無い、無機質で無表情ともいえる声だ。

頭の先まですっぽりと被っていた毛布から顔を出して鼻をすする。

「……ごめんなさい」

「謝って欲しいわけではないんですがね」

ふうと溜息をついた青年の名はヒューイ・ラフォレットと名乗った。
アニメで見るより随分と整った顔をしている。整った顔が無表情だと近寄り難く感じた。
私をここに連れてきた女性はシャーネと呼ばれていた。ヒューイさんと顔が似ているし、シャーネ・ラフォレットで間違いないだろう。

「それで?お話の続きを聞かせてもらえますか?」

脚を組んだヒューイさんがこちらを見る。
先程まではなかった感情がその声色に映っていた。

「貴女が2020年から来たというお話を」





「つまり、貴女は悪魔を名乗る女に『存在を消して欲しい』という願いを叶えてもらう代わりにその女の言う男の悪魔を探すよう頼まれた訳ですね」

私の拙く途切れ途切れの言葉も根気よく聞き続け、しっかりと話の内容を掴んでいてヒューイさんは賢い人だなと思う。
ずびっと鼻を啜る。だいぶ落ち着いてきたので涙はもう乾いていた。

「更に貴女はその男の悪魔を探す前に死んでしまうことがないよう、不死の酒を飲ませられ、この国のこの時代に連れてこられたと。そして、まさか男の悪魔を探すのが90年ほど前の外国だとは思いもよらず貴女はパニックになってこの三日三晩泣き続けたと」

言葉にトゲがあるような気がする。
乾いていた涙がまた出そうになるが今の状況では火に油だと感じて必死に堪えた。

「貴方達のことは少しだけ知ってます。男の悪魔から不老不死の酒を手に入れた人達だって」

「それは女の悪魔から聞いたことですか?」

首肯した。本当はアニメを見て知っているわけだが、そんな話をすると更に拗れそうだ。全くの嘘というわけでもないし。
ヒューイさんが私を物色するかのようにゆっくりと上から下まで見る。居心地の悪さに思わず毛布を固く握った。

「貴女は不死ではあっても不老ではないのですね」

「はい」

「ふむ……。なるほど」

ヒューイさん何かを考え込み始めた。

今は1929年の冬らしい。ならば、男の悪魔はマイザー・アヴァーロと一緒にニューヨークにいるはずだ。
ヒューイさんの元に居ればいずれはマイザーに辿り着けるだろうか。
フライング・プッシーフット号に乗れたなら、ニューヨークの駅でマイザーに出会えるはずだ。その為には「レムレース」に同行することが一番確実だろう。
正直、あのフライング・プッシーフット号に乗りたいと思うなんて自殺志願者位だろうが、今の私は不死者なのだから恐れる事などない。
というか私は自殺志願者みたいなものだ。
ただチェスワフ・メイエルのように拷問されないよう気を付けねばならないだろう。痛いのは嫌だ。

そこで品のない音が私の腹からなった。
流石のヒューイさんも考えを中断させて私を見た。かぁと顔に熱が集まる。

「……すいません」

「生理現象ですから恥ずかしがることではありませんよ。特に貴女の場合ここ3日程食事らしい食事をしてませんからね。食欲はありますか?何か食べるものを持って来させましょう」

スマートなフォローに顔の熱が治まる。
ヒューイさんは普通に話しているだけならとても紳士的な男性のようだった。

ヒューイさんが部屋を出て行って間もなくして食事を持ってきてくれたのは私を助けてくれたシャーネだった。

「ありがとうございます」

お礼を言って運んできてくれたサンドイッチを受け取る。
ハムとレタスの挟まったサンドイッチを頬張る。
久しぶりの食事なだけにとても美味しく感じた。

「あの、お名前を聞いてもいいですか?」

もぐもぐとサンドイッチを咀嚼している間、始終無言のシャーネに気まずさを感じて、既に分かってはいるがシャーネの名前を尋ねた。
シャーネは近くにあったメモを手にし、何かを書いている。恐らく彼女の名前だろう。
じきに「CHANE」と書かれたメモが差し出された。

「シャーネさん?私の名前は瑞樹です。助けてくれてありがとうございます」

サンドイッチを一旦皿の上に置き、ぺこりと頭を下げてお礼を言う。
シャーネがメモにまた何か書き始めた。

『お礼を言われるようなことではありません』

思ったより丁寧な言葉遣いだなと思う。字も綺麗だ。

「助けられたのは事実です。感謝してます」

今度はシャーネの目を見て言った。シャーネが少しだけ照れた、ような気がした。





「今なんて?」

「ですから、今私が率いている組織「レムレース」の一員となって欲しいのです。私から不死を与えられた信者として」

ごくんと口の中のサンドイッチを喉の奥へ押しやる。
思わぬ展開にまじまじとヒューイさんを見つめてしまう。

「もちろん、タダでとは言いません。この時代で生きていくのに不自由ない程度の衣食住はご提供しましょう。悪魔探しも優先して頂いてかまいません。悪い条件ではないでしょう?」

悪い条件どころか、好条件過ぎて怖いくらいだ。
「レムレース」の一員になればフライング・プッシーフット号にほぼ確実に乗ることになるだろうし、頑張って殺し合いに巻き込まれないようにしてニューヨークの駅までたどり着ければマイザーに会えるだろう。そうしたら男の悪魔に辿り着いたも同然だ。
しかし、何事も上手く行き過ぎると不安になってしまう。

「何を企んでいるんですか」

「おや、人聞きが悪いですね。まるで私が悪いことを企んでいるかのようだ」

「違うんですか」

「信用して頂けませんか?」

「出会って3日もない人を信用する方がおかしいと思います」

はっきり言うとヒューイさんが少しだけ笑った。

「泣いてばかりの気弱な少女かと思ったら、言う時はハッキリと言うんだな」

クツクツとヒューイさんが笑うのをシャーネが興味深げに見つめていた。
私自身、腹が満たされて少し気が大きくなっているのかもしれない。

「正直にお話ししますと、今「レムレース」内で内部分裂が起きつつありましてね。私自身の不老不死を信じていない者、また信じてはいてもそれが本当に自分に与えられるのか疑っている者、そもそも「レムレース」の思想に着いて来れない者などいまして、そこで私以外の不死者の存在を出すことによって信者達の意識を改変出来ないかと思いまして」

「そう上手く行くとは思えませんが。古株の信者さんというのもいるのでしょう?その方より先に私が不死を与えられたと知ったのなら気を悪くするのでは?」

「その辺りは上手く説明しますよ」

こう見えて弁は立つ方なのです。と軽く肩をすくめながら言われる。
いや、見たままだけど。自分がどう見えてると思っているんだろう、この人。嘘がつけない人畜無害な青年にでも見えると思っているのだろうか。めちゃくちゃ怪しいし、本当のことなんて今まで一度も話したことが有りませんって感じの胡散臭さしかないけど。

「……悪魔探しを優先させて良いというのは?」

「貴女の目的の妨げになってはご協力頂けないかと思ってのことなのですが、違いましたか?」

本当、何を考えているのだろう。
この人が口にしていることが全てではないことは分かっている。
私も実験台のひとつに過ぎないのだろうか。シャーネと同じで。

「少し、考えさせてください」

「分かりました。ゆっくりと考えてください」

余裕な態度が、私が断らないことを見越しているようで腹が立った。





新聞を広げる。
あれから一晩ぐっすりと寝て、頭がすっきりした。
紙の新聞なんて久々に触ったなと思いながら記事を斜め読みする。
シャーネと会話した時に気付いたが、どうやら私は英語が読めるようになっているらしい。話している言葉もあまりにも違和感がなくてスルーしていたが英語を話している。
トリップしたオプションだろうか。不死が与えられるならその程度のオプションは造作もないことだろう。

あの悪魔を名乗った女の人は「貴方たち人間と縛られてるルールが違うだけよ」と言っていたけれど悪魔ってこんなにもなんでも有りなのに、仲間を見つけるのは自分では出来ないのか。
人間には理解が及ばないルールだ。

扉がノックされる。
「どうぞ」と返事をするとシャーネが食事を持って入ってきた。
私がここに来て以来、シャーネは私の世話係になっている。食事を運んでくれたり着替えを用意してくれたり、欲しいものを伝えると持ってきてくれたりした。この新聞もシャーネが持ってきてくれたものだ。
更に私の話し相手にもなってくれる。私が色々聞いて、シャーネが筆談で返す。シャーネは美人なので一見気が強そうにも見えるが、話してみると控えめでどちらかというと大人しい人だった。
ただ、父親のヒューイ以外に対する興味が極端に乏しい。余りにも他に対する興味が乏しいので会話に困って「好きな食べ物は?」とか子供に聞くようなことを聞いてしまった。答えはもちろん「特にありません」だった。
途中からは私が話してることが多くなった。シャーネは黙って(口がきけないので当然だが)私の話を聞いてくれていた。
一方的にだが打ち解けて「敬語じゃなくてため口で話しませんか」と言ってみたりして仲良くなった、と思う。
少なくとも、この世界に来てシャーネと話している時間が唯一私が癒される時間だった。

「シャーネは「レムレース」が好きなの?」

シャーネは首を横に振る。

「じゃあ、ヒューイさんが好き?」

今度は首を縦に振った。

「シャーネは私がヒューイさんに協力したら嬉しい?」

じっと何かを考えるかのように数秒間私を見つめた後、首を縦に振った。

「あのね、シャーネ」

一度言葉を切る。
こんな事言っても引かれたりしないだろうか、と思ったが、どうせじき終わる人生なのだ。恥も何もないだろう。
シャーネの目を真正面から見る。

「私と友達になってくれない?」

死ぬ前に、友達の一人位望んでも罰は当たらないだろう。
そんな軽い気持ちだった。





***





「瑞樹」

ふっと意識が浮上する。
目の前に真っ赤なクレアがいた。

「眠いか?」

「ごめん」

目をこする。
信じられないが一瞬意識が飛んでいたらしい。
銃声を聞いた覚えはあるが、いつの間にかチェス君もラッド・ルッソも居なくなっていた。
相手が不死者と言えど、殺人の場で寝てしまうなんて自分のことながら信じられなかった。

「疲れが出たんじゃないか?昨夜全然寝れてなかったみたいだし」

ばれていたのか。
今日のことを考えると緊張で寝れなかったのだ。
ヒューイさん抜きで「レムレース」と長時間行動を共にするのは初めてだし、人の死を短時間で何度も見ることになるのも初めてだ。
そしてこの列車での事が終わったら元の世界に帰る事になる。
そして、それらをクレアに知られたらどうなってしまうのだろうと考え始めたら止まらなくなって気が付いたら空が白んでいたのだ。

「寝てればいい。俺が客室まで運ぶ」

「大丈夫。子供じゃないんだから客室に戻るくらい、一人でできるよ」

そっとクレアの腕から離れる。
服のところどころにクレアから移った返り血がついていうのに気が付いたが、上も下も黒い服なので大して目立ちはしないし、問題ないだろう。
返り血も寝不足も不安も苦しみも悲しみも、全て今夜一晩耐えればいいのだ。大したことじゃない。
それに、これ以上クレアと一緒にいると……。
ぐっとクレアに腕を掴まれた。

「黒服の他に白服のルッソファミリー連中も居る。俺に部屋まで送らせてくれ。俺がそうしたいんだ」

その言い方はずるい。
クレアは付き合ってから随分と私の扱いが慣れたと思う。
どういう言い方をすれば私が断れないか分かっている。
だけど今日は駄目だ。

「本当に大丈夫だから。車両の上を移動すれば見つからないから。ここまで来るのもそうしてたし。それに、」

ぐっとクレアの胸板を突き放すように押す。

「それに、これ以上クレアと一緒にいると安心し過ぎて離れたくなくなっちゃうから駄目」

殺人の現場で一瞬でも意識を手放せたのは、それ以上の、絶対的な安心感があったからだ。クレアの腕の中という絶対的に安全で何処よりも居心地の良い場所だったから。

「その言い方は逆効果だな」

ぐっと引き寄せられて開いていた私の身体とクレアの身体の隙間を埋められる。

「クレア!」

咎めるように名前を読んでもクレアには全然響かない。
クレアが私を抱きかかえて移動し始めたので咄嗟に脚をばたつかせて抵抗する。

「駄目だったら!今晩一晩は一人で頑張るって決めてたの!だから降ろして!」

「勝手に決めるな。夫婦なんだから俺の意見も尊重してくれ」

ばたつかせていた脚は軽く掴まれて意味の無いものになる。

「クレア!じゃあ、こうしよ!?」

力で抵抗してもクレアに対しては無意味だということを思い出す。なんとか話し合いに持ち込まねば。

「今日は、私が頑張る日ってずっと前から決めてたの!クレアに会う前から!だから私最後まで一人で頑張りたいの。その代わり、ニューヨークに着いたらクレアに沢山甘えさせて。ね、お願い!」

「俺との新婚旅行で乗ってる列車なのに、俺と会う前から決めてたっていうのはどういうことだ?」

指摘されてはっと気が付く。
確かにクレアからしてみれば、私がこの列車に乗ってる理由は新婚旅行のはずだ。
クレアに会う前からこの列車に乗る事が決まっていたような言い方はおかしい。

「例え黒服の「レムレース」ってヤツらと先にこの列車に乗る計画を立てていたとしても、ヤツらの目的は捕まったリーダーの解放だ。そしてそのリーダーが捕まったのは最近のはずだ。少なくとも、俺と瑞樹が出会う前じゃない」

そうだろ?と聞いてくるクレアの顔が見れない。
「クレアに会う前から」じゃなくて「クレアと結婚する前から」って言えば良かった。それならまだ誤魔化せたかもしれない。
自分の馬鹿さ加減に冷や汗が流れてくる。
ヒューイさんの爪の垢でも煎じて飲んでおけば良かった。

「瑞樹」

クレアに名前を呼ばれてびくっと肩がはねる。

「話してないことが沢山あるって言ってたな。それは結婚しても話せないことなのか?俺を信用してくれてないのか?」

「……。」

信用してるとかしてないとかそういう問題じゃなくて。
なんて言おう。普通、90年後の未来から来ましたって妻(何度も言うが正確には入籍前の婚約者だ)が言い出したら精神病を疑うだろう。いや、クレアの場合クレア自身が精神病を疑われてしまうような考えの持ち主だから違うかもしれない。
どうしよう。少しだけ話すのも有りかもしれない。いや、どうせまたボロがでるしいっそ正直に全部話してしまおうか。

「瑞樹は俺のことが嫌いなのか?」

「違う!」

思いがけない質問を反射的に否定する。
ばっと顔を上げるとクレアが微笑んでいた。

「ならいい」

怒っていると思っていたのにクレアが嬉しそうに笑っていて呆気にとられる。

「瑞樹、お前が決めたことならそれでいい。でも、もっと俺を頼ってくれ。瑞樹は1人で抱え込みすぎなんだ。俺は瑞樹の恋人ってだけじゃない。もう家族でもある。家族ってのは助け合うものだ。そうだろ?」

クレアが私の頬に手を添え、ゆっくりと撫でる。
付き合い始めて知ったクレアの手の暖かさがこんなにも心地よい。

「分かったか?」

ゆっくりと頷く。また視界がぼやけているのに気付いた。

「それを踏まえて、これからどうする?お前はどうしたい?」

クレアに全部話してしまいたい。クレアに甘えてしまいたい。
でも今日だけは、今日までは「レムレース」の瑞樹だ。

私は男の悪魔を探し出すまでの一時的な期間、この世界に来た。
だから、この世界で得たものはいずれは失ってしまうし、最終的には私がここにいた痕跡は残らなくなるはずだ。
今までヒューイさんやシャーネ達以外の人とは出来るだけ交友関係を持たないようにしてきた。鉄道会社に入社したのはフライング・プッシーフット号に確実に乗る為の保険だったし、社内の交友関係も必要以上に持たないようにしてきた。
それなのにクレアと付き合ったのは、偏に自分の身の安全の為だった。
不死とはいえ、痛みがなくなったわけではないし、私自身この時代のこの国に対して無知であり、無防備だった。それこそ暴漢に襲われてしまうくらいに。だから私はいずれ捕まってしまうヒューイさんの代わりに、この世界で庇護してくれる存在が欲しかった。
そんな、自分の都合しか考えていない、打算的で身勝手な理由だった。

だけど、今は違う。

「今日までは、一人で頑張りたい」

「分かった」

意地を張り続ける身勝手な私にクレアがしっかりと頷いてくれた。
背中を押されたような気持ちになる。

「危ないと思ったら大声で俺を呼んでくれ。すぐに駆けつける」

このやたらと広く騒がしい列車の中で大声で叫んだ位で聞こえるものだろうかと思うが、クレアならきっと本当に駆けつけてくれるだろう。

「……クレア、なんかヒーローみたい」

「ヒーロー?いいなそれ。初めて言われた」

上機嫌に笑ったクレアが最後に私の髪にキスをした。

「じゃあ、また夜明けに」

視界はとてもクリアだった。


2017.08.09
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