葡萄酒と運命20


「シャーネさんなら今出掛けてて居ないんです」

ニースさんが申し訳なさそうに眉を下げた。
背後ではジャグジーさんが仲間の少年少女達と騒がしく戯れている。ジャグジーさんが一方的に弄られている様にも見えるが。

婚姻届のもうひとりの証人をシャーネに頼もうと思ったのだ。
今シャーネはジャグジーさん達の元に身を寄せているので訪ねに来たのだが、ニースさんからはシャーネの不在を告げられた。

「どこに出掛けてるんだ?」

「気分転換に散歩してくるって言っていたのでどこにいるかまでは分からないんですが……」

「そうか。どうする瑞樹?」

「うーん……」

「何か急用ですか?」

「急ぎって訳ではないんですが、婚姻届の証人になってもらおうと思って……」

「婚姻届ですか……!」

ぱっとニースさんの顔が明るくなる。

「入籍されるんですね。おめでとうございます!」

「えっ、いや、す、すみません」

「なんで謝るんだ?」

突然のお祝いの言葉に恥ずかしくて咄嗟に的外れな謝罪をしてしまう。
隣のクレアが首をこてんと傾げている。可愛いな。

「なるほど。シャーネさんに証人の署名をお願いするんですね……」

ニースさんが綻んだ顔で頷く。イブ嬢の時も思ったがやはり女性と言うものはこの手の話が好きなんだなと、自分も女なのに他人事の様に思う。

何はともあれ、シャーネを探そう。
証人署名は急ぎでは無いが、あまり長引かせたいものではない。
シャーネがこのニューヨークに行きそうな場所の心当たりは無い。本当に散策にでも行ってるのかもしれない。

それなら、探す手段は一つだ。

「ちょっとシャーネ探してくる。クレアはここで待っててくれる?」

「俺も一緒に探す」

「大丈夫。心当たりがあるから」

嘘だけど。クレアは何か言いたげだったが、分かったと了承してくれた。
ジャグジーさん達のお屋敷(厳密にはイブ嬢のお屋敷だが)にクレアを置いて、外に出て人を探す。

まず探すのはシャーネではなく男の人、つまりシャムの個体だ。
シャーネがどこに行ったか分からない現状で、一番手っ取り早いのはシャムに探してもらうことだろう。シャムなら大勢での人捜しも容易だ。

街外れにあるので、シャムの個体を見つけるのはちょっと骨が折れそうだ。
街中まで行った方が早いかもしれない。

街中に向けて足を進める。
大通りだと遠回りになるので、裏路地を使った方が直進的に進めるはずだ。
そう思い、裏路地に入ってすぐ、帽子を被った青年が目に入った。シャムだ。

「すいません。ちょっといいですか」

「え?」

思った以上にシャムの個体を早く見つけた事に安堵して、声をかけると同時に青年の腕を引く。
少し目を見開いて青年が振り返る。

「悲しい……悲しい話をしよう」

帽子を被った青年が私を見て何か言う前に別の声が遮った。
帽子の青年の後ろに遮った声の主が居た。

年は二十歳前後の、異様に鮮やかな青い工具服を着た金髪の青年だ。
手には人の腕程もある大きなモンキーレンチを持っている。
瞬間、記憶が蘇る。とても特徴的で見覚えのある青年だ。確か名前を、グラハム・スペクターといった。

「どうして俺が悲しい話をしなければならない?それはな、シャフト、お前のせいだ」

モンキーレンチがゆらりと揺れる。
大きいので小さな動きでも視線が奪われる。

「イヴ・ジェノアードの誘拐失敗して絶望の淵に立っている俺の話を無視して、お前は東洋人のガキに気を取られている。つまり俺を無視しているんだ!この俺を!これ程悲しい話があるか?この悲しみに耐える為に何か壊さなきゃ気が済まない。いや、気が晴れない、か?この場合どっちが正しいんだ?ヤバイ。分からない。分からないなんて更に悲しい話じゃないか。悲し過ぎる。この悲しさをどうにかしなければ俺は今夜眠れない気がする。大変だ!この悲しみをどうにかするには原因を潰すしかない!!そうだよな―――シャフト?」

「え?」

数秒後、シャフトと呼ばれたシャムの個体悲鳴が路地裏に響き渡った。









「ごめん。声掛けるタイミング悪かったね」

「気にしないでください。あの人常にあんな感じなので」

大きなたんこぶが出来ている後頭部をシャムの個体が涙目で摩る。
あんな大きなレンチでたんこぶ程度で済んでいるので、加減はされた様だ。
この個体の名前はシャフトと言うらしい。

シャフトを殴ったグラハム・スペクターは気が済んだらしく、先に彼らの根城に戻っていった。
ラッド・ルッソの時もそうだったけど、この世界には常識を逸脱した衝撃的な人間が多すぎる。
ちょっと会話が成立する自信が無かったのでお引き取り頂けたのは幸いだ。

「シャーネの居場所でしたっけ」

「うん。分かる?」

「さっき街中からこっちに戻ってくるのは見かけました。大通りでしたのでこのまま裏路地通ると入れ違いになりかねませんよ」

「あ、そうなの?じゃあ大通り戻るね」

「そうしてください。すぐ会えると思いますよ」

「ありがとう」

シャムことシャフトに手を振って別れようとすると、その手を掴まれた。

「シャム?」

「ずっと言い損ねてたんですけど」

掴まれた手は心なしか熱い。
シャムは少し目を泳がせてから、言いにくそうに、

「ご結婚おめでとうございます」

とだけ言った。






なんというか、今更になって、じわじわと結婚の実感が湧いてくる。
マイザーさんとか、ニースさんとか、シャムとか、身近な人からお祝いの言葉をもらって、気恥ずかしい。
お祝いの言葉をこんなにも集中的に浴びる経験も人生に数少ないだろう。

結婚。
結婚かぁ。
ついに結婚するんだ。
しかもあのクレア・スタンフィールドと。

元の世界の友人では既婚者もいて、皆結婚する時は少し浮かれていた様に思えたが、確かにこれは浮かれもする。

顔が少し熱くなってきた。大通りをぽてぽて歩きながら1人で赤面してるだなんて不審者みたいだ。
ぱたぱたと片手で顔を扇いで熱を冷ます。

間もなく視線の先にシャーネが見えた。





***





雨が上がった。

昨夜降っていた雨はすっかりとあがり、雨上がりのまだ濡れた石畳を踏み越えて、今日もお店はそれなりに繁盛していた。

フィーロさん達が閉店後に来店してくれてから、しばらく経っていた。

あれから何度かエニスさんはうちを訪れて商品を購入していってくれた。
特にキュロットを気に入ってくれたようだ。この時代の女性からは不評だったキュロットを気に入ってくれるのは大変嬉しく、いつも値引きした価格で売ってしまっている。

チェスくんから聞くと、実際うちの服を着て出掛けてくれたりしているらしいし、本当いい常連さんを持ったなぁという気持ちである。

「瑞樹さん」

ルーカスさんに腕をひかれる。

「なに?」

「……アイツらが来てます」

アイツら。
その言葉に今度は私がルーカスさんの腕をひく。
先程まで良い気分だったのが一転した。

店の奥、お客さん達からは見えない所まで移動する。

アイツらという言葉が誰を指すのか。それはシャムの表情を見れば大方見当が付いた。

ヒューイさんの手の内の者が来てる。

「誰が来てるの?」

「ラミアの面々です」

ぐっと眉間に皺が寄った。
よりにもよってラミアか。
いや、実行部隊だから現場に出てくるのは十中八九彼等なのは分かってはいたが、ついにヒューイさんが動き出した事を理解して背筋に寒気が走った。
あの人はやる時は本当に大胆な事をするので、そういう意味で恐ろしい。

「クリス達なんですけど」

そこでシャムが言葉を切る。
少し言いにくそうにした。

「昨夜、フィーロ・プロシェンツォの家に泊まってます」

「………………え?なんで?」

雨は上がったはずだった。

2018.06.06
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