クレアとの●●の話3


「なるほど。そうなると話は変わってきますね」

顎に手を当てて生真面目に考え出したリズさんとは対称的に、クロエさんは少し赤面して口をあんぐり開けていた。

「あ、アンタ何言って……。てか、リズもそんな真面目に考えてんじゃないわよ」

クロエさんにつられるようにしてして自分の顔が赤面してるのが分かる。
やはり、人に話す内容ではなかったか。
じわじわと後悔をし始めた私とクロエさんをリズさんは交互に見た。

「クロエさん、貴方処女ですか?」

「なっ……!」

絶句。という言葉がぴったりな形でクロエさんは言葉を失った。
紅潮してた彼女の顔が更に赤くなる。どうやら図星らしい。

「経験が無いのに新婚がセックスレスなんておかしいと言ってたのですか?」

「わ、悪かったわね!」

赤面したままのクロエさんが、年相応らしく狼狽える。
可愛いな。こういう人がモテるのではないのだろうか。いやでも処女なのか。この時代のアメリカと私がいた日本ではモテるタイプに違いがあるのだろうか。

「もう!この話は終わりよ!アンタもさっさと帰んなさいよ!送ってあげるから!」

クロエさんが話を広げたのに。
理不尽を感じたが、確かにこれ以上遅くなるとクレアが心配するしな、と広げていた帳簿を手早く片付けた。
店を出る直前にリズさんがクロエさんには聞こえないように小声で「まずは、スキンシップを変えてみてはどうでしょうか。いつもより、多めに、大胆に」と真顔でアドバイスをくれたのが嬉しかった。






先程まで濡れていたクロエさんの髪は、もうすっかり乾いていた。

夜道は暗かった。
寝間着に上着を羽織って帰り道を送ってくれているクロエさん表情はよく見えない。
先程までの狼狽えながらも賑やかだったクロエさんはずっと黙っていた。

「すいません、変なこと相談して」

「……そんなこと気にしなくていいのよ」

とぼとぼと歩きながらの沈黙に耐えられなくなって、私から話を切り出すとクロエさんはようやく口を開いてくれた。

「さっきはごめんなさい。勝手なこと言って。アンタがそういう事相談してくれるの、本当は嬉しかったの。だから舞い上がっちゃって、無神経なこと言っちゃった。アンタって秘密主義というか、あんまり自分の事話さないでしょ。私達の事も深く聞こうとしないし、距離取られてるのかと思ってたの。だからこういう話出来て嬉しいわ」

春になり暖かくなってきたとはいえ、日が沈んだ時間帯は少し肌寒さを感じた。
しかし、それに反してクロエさんらしくないぼそぼそとした喋り方で伝えられる思いは随分と暖かい。

「……そんな風に私のこと思ってたんですか」

「意外だった?」

「はい」

「でしょうね。アンタって、何というか……」

突然立ち止まったクロエさんを振り返る。

「クロエさん?」

名前を呼ぶと暫く無言で見つめられる。
彼女は何かを考えているようだった。
沈黙が続く。もう一度こちらから適当な話で沈黙を打ち切ろうかとも思ったが、目の前彼女の雰囲気からそれをしてはいけないように感じた。
やたらと長く感じられた数秒後、彼女はようやく口を開いた。

「…………私、レズビアンなの。だから男との経験なんて無くて、リズの言った通り処女なのよ」

沈黙を切り裂いた言葉が予想外過ぎて、思わずクロエさんの顔をまじまじと見つめる。
夜道は相変わらず暗くて表情はよく分からなかった。

「……そうなんですか」

何を返したら良いか分からなくて、とりあえずその一言だけ返した。

「……………………それだけ?」

「へ?」

「それだけなの?他に何かないの?」

「他に?何かありました?」

「……っ! アンタ、レズビアンの意味分かってる!?」

「え!女の人のことが好きな女の人ですよね!?」

「分かっててその反応なの!?!!?」

「ええ!?!?」

首を傾げる。
今まで身近に同性愛者がいたことがない。少なくともカミングアウトされたことはない。なので、正直どう接したらいいかは分からない。何か不愉快な思いをさせてしまっただろうか。

「……偏見というか、危機感が無いというか、アンタの旦那が心配性になるのも分からなくはないわ」

立ち止まっていたクロエさんが今度はずんずんと歩き出す。追い越された私は小走りで付いていく。

「言っとくけど、アンタは今レズビアンと夜道を2人っきりで歩いているのよ」

「はぁ」

「はぁって何よ」

「何って言われても」

「……私が男でも同じ反応したわけ?」

クロエさんの言わんとしている事が分からなくてハテナを飛ばしてしまう。

「だから、送り狼になるとか、路地裏に連れ込まれて襲われたりしないかとか考えないわけ!?」

ああ、なるほど。
レズビアンだからクロエさんが私を恋愛対象に見ててもおかしくはないし、夜道で強引に迫ってくる可能性もあるから危機感を抱かないのかってことか。
なんだ。そんなの愚問じゃないか。
だって、

「クロエさんはそんな事しないでしょう」

あっさりと返した私にクロエさんはぽかーんとした表情をしていた。

クロエさんはちょっと感情的で口うるさい面もあるが、根は面倒見の良い優しい人だと思う。
彼女はあのシェアハウスの住人の食事をほとんど一人で用意している。
下ごしらえをリズさんや手が空いた男衆が手伝っているのを見たことはあるが、それでも毎日献立を考えて買い出しに行き6人分の調理をするのはなかなかの重労働だろう。
店に出勤している時は私やシャーネも昼食を摂らせてもらうが、いつも手が込んでいて美味しい品ばかりだ。
それは彼女の性格の現れだと思っている。

暫く呆けているクロエさんと私で沈黙が続く。
それから彼女はぎゅっと口をつぐんだかと思うと、ゆっくりと私に手を伸ばしてきた。
その手を何の抵抗も無く迎え入れる。
警戒する必要なんて無い。
クロエさんは優しく、だけどしっかりと私を抱きしめた。

「アンタって本当、そういうとこあるわよね」

「はぁ」

「さっきからその『はぁ』てやる気の無い返事は何よ」

「すみません……。」

私の耳の横でクロエさんがくすりと笑ったのが分かった。
先程から度々訪れる沈黙だったが、今はもう気まずさを感じなかった。

「瑞樹」

聞き慣れた声がして夜道に目を凝らすと見慣れた赤毛がこちらに向かって歩いてきていた。

「クレア!」

クロエさんの腕を振りほどいてクレアに駆け寄ろうとすると、ぐっと腕を掴まれる。

「クロエさん?」

振り返って私の腕を掴んでいる彼女を見ると、先程とは雰囲気がガラリと変わり、眉間には皺を寄せていた。

「……アンタの、本当、そういうとこが―――」

「え?」

言葉尻が聞き取れなくて聞き返そうとした途端、彼女の顔がぐっと近付いて来た。

ばしっと私の腕を掴んでいたクロエさんの手が力尽くで振り払われる。
私の背後から伸びたクレアの手によるそれは随分と冷たい対応に思えた。

「何するんだ、お前」

「…………っ!」

クレアに見下ろされたクロエさんの身体が僅かに跳ねる。
クレアから至近距離で発せられる殺気に彼女の身体が震えているのに気付いた。
間に挟まれた私は慌ててクレアに向き直る。

「クレア!この人は大丈夫だから!」

ぐっとクレアの襟元を引っ張って、視線を私に向けるとクレアの雰囲気が和らいで、ほっと息をつく。
予想外の事態に混乱するが、とりあえずクロエさんを帰そうと振り返る。

「クロエさん、送ってくれてありがとうございます。クレアが迎えに来てくれましたし、ここまでで大丈夫です」

クロエさんを見るとその目には見たことない感情が浮かび上がっていた。
彼女の身体は未だ少し震えていた。

「クロエさん、大丈夫ですか?」

「……大丈夫よ」

私の言葉に少しだけ目を伏せて、くるりと身体を反転させてクロエさんは帰って行った。

「クロエさん!また明日」

「……ええ。また明日」

彼女の背中に声をかけると一度足を止めて返事をしてくれた。

「瑞樹」

名前を呼ばれてクレアを見上げると、不機嫌そうに見下ろされていた。

「今、何されそうになったか分かってるだろ」

「……ごめん」

先程の彼女の言葉を思い出す。まさか、クレアをの目の前でキスをしようとしてくるなんて。

「アイツ、女だよな?」

「うん。女の人だよ。普段はあんな事する人じゃないの」

そう、クレアさんはあんな事する人じゃない。例えレズビアンだとしても。
まるで、嫌がらせみたいな。
私は何か彼女の気分を害する事をしてしまっただろうか。
自分の言動を振り返るが、心当たりが無い。

「帰ろう、瑞樹」

「……うん」

2018.01.01 拍手より加筆修正の上掲載
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