葡萄酒と運命4 三人の不死者 「貴女は不死ではあるが不老ではない。貴女相手に私は偽名を名乗れない。しかし、貴女は私相手でも偽名を名乗れる。貴女自身は公的機関への偽名使用も可能。私が貴女の頭に右手を乗せても食うことは出来ない、と。貴女と私の違いはこんなところですね」 淡々と述べたヒューイさんを見る。 私は「レムレース」の一員となることを承諾してからいくつかの実験を行った。実験、というと大げさだが今ヒューイさんが話したようなことが分かるようなことを色々と試したわけだ。 初めて銃で頭を打ち抜かれた時の痛みを思い出して身震いする。いっそ死にたいと思ったときはあるが、あの痛みをまた味わいたいかと聞かれたら話は別だ。 この世界に来てヒューイさんに拾われたのは幸運だったかもしれない。 もし不死を知らない一般の人やヒューイさん以外の不死者だったらここまで自分自身のことは分からなかっただろう。 シャーネが入れてくれた食後のコーヒーを飲む。 話している内容は些か物騒ではあるが、穏やかな昼食だった。 「老いるという点を除けば貴女は私たちより幾分か優位ですね……。貴女は私達完全な不死者を食うことが出来るんですか?」 「……試したことないのでなんとも」 コーヒーの入ったマグを手に持ったまま肩を竦める。 女の悪魔は私が不老ではないが不死であることくらいしか教えてくれなかった。 自分の右の掌を見つめる。何の変哲も無い掌だ。この掌に不死者たちを食らう力はあるのだろうか。正直考えられない。 「不死者を食べれるか、貴方で試してみましょうか?」 「遠慮しておきます」 悪戯心でヒューイさんに聞いてみたら即答で断られた。 冗談の通じない人だな。 ヒューイさんはあまり生に執着があるようなタイプには見えないが、やはり死ぬのは嫌なのだろうか。 それか、単純に死ぬのと食われるのは彼の中の区分が違うのかもしれない。 「貴女が私たちより優位なのは、男の悪魔を探すのに不死者に関わることが想定されていたからでしょうね。悪魔にたどり着く前に不死者に殺されては意味がない。男の悪魔というのはマイザーの側にいるのでしょう?」 問いかけに頷く。 確かにこの時代の男の悪魔の周りには不死者が多くいるはずだから、不死者にうっかり食われてしまったら元も子もない。 いや、違うか。これから増えるのか。 アイザックとミリアがマルティージョファミリーに不死の酒を振る舞うのは1930年の話だったはずだ。 「記憶や知識を与える事は出来るんですか?」 「与える?」 「私達不死者は右手を頭に載せる時に『食いたい』ではなく『知識を与えたい』と思うとそれだけで知識を与える事が出来るんですよ」 アニメでセラードがエニスに対して記憶を見せていたりしたので、それの事だろう。 「貴方で試してみますか?」 「遠慮しておきます」 先程と同じやり取りを繰り返す。 手に持ってるマグカップに視線を落とすと飲みかけのコーヒーが波を立ていた。 記憶か。私に他人に見せたい記憶なんてこれっぽっちも無い。むしろ見られたくない記憶の方が多い。 不死者に喰われる身体じゃなくて良かった。喰われると記憶まで受け継がれるなんて、単純に死ぬよりも質が悪い。 ふとマグカップに影が差して顔を上げるとヒューイさんが目の前に立っていた。 「瑞樹、これからこの国で過ごすのならばある程度この国の知識が無いと困るでしょう。知識を与えるという事がどういうことか、実践してみましょう」 ぞっとする程楽しそうな表情をしたヒューイさんを視界に捉えた数秒後、私は悲鳴を上げる事になる。 *** 「エルマー……?」 クレアと別れて貨物車両を出て出会った見覚えのある男性に驚いて咄嗟に呼び止めてしまった。 私の声に反応した男性、エルマーが車掌室に向かっていた身体を捻り私の顔を見て、笑顔のまま首をかしげる。 「君、俺のこと知ってるのかい?どこかで会ったことある?」 「あ、いえ、初対面です」 私の返答でより一層首をかしげるエルマーに、なんと言っていいものか思案する。 というか、名前を呼んだのだから知り合いの振りでもすべきだったのでは。 エルマーの性格なら道端で泣いていれば知らない人にでも声をかけそうだ。貴方が忘れているだけで昔迷子になって途方に暮れていた時にお世話になりました瑞樹です、とでも名乗れば良かった。多分納得してくれる。時すでに遅しだが。 今更にはなるが、私は咄嗟の質問に弱いのかもしれない。 そんな自覚が生まれた瞬間だった。 エルマーに見覚えがあるのは実際に会ったという訳ではなく、ヒューイさんが見せてくれた彼の記憶の中で見ただけだ。 「この国での生活に困るだろうから」と言ってヒューイさんが見せてきた記憶は、アメリカの事だけではなく、ヒューイさんの生まれ故郷から今までのほとんどの記憶だった。 膨大過ぎる情報が一度に頭に流れ込んできて、私は悲鳴を上げた。 ヒューイさんの記憶は、決して幸せなものではなかった。 故郷で母を失った事件も、ロットヴァレンティーノで殺されたモニカの事件も、不死者になってから行っている実験も、どれも私の常識を逸脱していて頭がおかしくなりそうだった。 実際、ヒューイさん自身も絶えられない記憶だろう。少なくとも事件当時の幼いヒューイさんの荒れ様は顕著だ。 しかし、それもこのエルマーという男性に会ってから変わっていく。 彼の狂気にも近い性質にヒューイさんが惹かれていく過程の記憶は、ヒューイさんの中でもとても大切な記憶のようだった。 目の前にいるのはまごうことなきエルマー・C・アルバトロスだ。 ヒューイさんの記憶が色濃く残っているせいで懐かしさを感じてしまったが、向こうからしたら会ったことのない東洋人に名前を呼ばれたんだ。不審にも思うだろう。 とは言え、当のエルマーはにこにこ笑っているので実際不審に思っているのかどうかは定かではない。 ヒューイさんの記憶を見て、ヒューイさんが私の想像を遙かに超えた人生を歩んできたことと、そしてそれに伴い異様とも言える知識欲の塊であることを知った。 実の娘すらモルモット扱いする程の彼の探究心の方向が少しでも変われば、彼の実験で私はいつ地獄を味わってもおかしくはないだろう。 死にたいと思っていたこともあった。消えて無くなりたいとも思っている。 だけど、痛いのも辛いのも嫌だった。 そんな無い物ねだりを叶える為に、私は悪魔と契約したのだ。 ヒューイさんの数少ない友人であり、親友のエルマー。 これは好機だろうか。 エルマーとここで何か関係を築いた方がいいかもしれない。エルマーは恐らくヒューイさんを止められる唯一の人物だろう。 ヒューイさんの手によって、私が望まぬ事態に巻き込まれた時、エルマーが味方についてくれれば助かる可能性は格段に違う。 そう確信して目の前のエルマーにもう一度声をかけようと口を開いた。 ごとっ足下から物音がして視線を落とす。 私とエルマーのちょうど真ん中にへたり込んでいる「レムレース」の一人がこちらを見上げていた。 「瑞樹様……」 「大丈夫ですか?」 私を見てほっと安心したように息をつく仲間に特に何も考えず手を差し伸べようとした時だった。背後から声が聞こえた。 「邪魔」 ぞっとするような気味の悪い声だった。一瞬で頭から血の気が引いていく。差し伸べた手の指先まで急激に冷えていくのが分かった。 電灯に照らされた影の動きで背後の人間が何かを振り上げていたことに気付いた瞬間、血の足りない頭が、血が足りないことによって冷えた頭が、急速に回転した。 服の中に隠していたナイフを取り出すと同時に振り返る。 声の主は、エルマーと同様に、ヒューイさんの記憶の中で見覚えのある男だった。 その男が手に持ったナイフを振り下ろしてくる瞬間がやけに長く感じて、間抜けにも私は自分の左の二の腕にナイフが振り下ろされるのを無防備に見ていた。 二の腕にナイフが食い込んだ痛みで私はようやく我に返り、ほとんど反射で目の前の男へナイフを投げた。 男がナイフを避けるのに私を刺しているナイフから手を離した。 その隙に床を蹴って後ろに飛び退く。 「うわっ」 「あっ!すみません!」 へたり込んでいた「レムレース」のメンバーの上に着地することになり、倒れこみながらも慌てて謝る。すぐに彼の上から退いた。 「フェルメート」 エルマーがその名を呼んだことで男の動きが止まった。 「エルマーか」 おそらく200年ぶりに邂逅を果たした旧知の2人の空気は重かった。 お互いの近況を聞き合うような雰囲気では決してなく。むしろ、互いに警戒している。そして一方は嫌悪している。 そう、フェルメートはエルマーを嫌悪している。それがヒューイさんの記憶から得たフェルメートの情報だった。 しかし、私の記憶からは一つの疑問が得られていた。 何故、彼がここに居るのか。 だって彼は―――。 2人の異様な雰囲気に黙っていると私の隣にへたり込んでいた「レムレース」のメンバーが居心地が悪そうに身動きをした。 その際に私にぶつかり、私の二の腕に刺さっていたナイフが落ちる。 カラン、と軽い音を立ててナイフが落ちた。 その光景を見てナイフを刺した男、フェルメートが口を開いた。 しかし、その開いた口から何か言葉が発される前に、落ちたナイフに付着した私の血がずるずると私の身体に戻っていった。 フェルメートが口を閉ざす。 代わりにエルマーが口を開いた。 「不死者……?」 フェルメートもエルマーも私に注目する。 出血した血は戻ったのに、私の頭に血は戻りそうもない。 2017.08.14 拍手 |