葡萄酒と運命23


「シャーネ」

夜明け前の、がたんがたんと揺れる血塗れのフライング・プッシーフット号の上で、クレアの背中を見送って、シャーネと二人きりになった。

「あのね、私」

シャーネがじっとこちらを見つめている。
この視線に始めは冷たさを感じていた。
だけど、今は違う。

「この時代に残ろうと思うの」

私の言葉にシャーネはその目を見開いた。
ゆっくりとこちらに伸ばしてきたその手を取る。

「だから、これからも一緒だよ。シャーネ」

同じくらいゆっくりとその手を引いて、抱きしめる。
ぎゅうとシャーネが抱きしめて応えてくれた。

「シャーネ、私ね」

互いの腕の中で、互いに聞こえる程度の声で会話をする。
と言っても、声を出せるのは私だけだが。

「シャーネのこと、守りたい」

少し、驚いた様な気配がした。

「シャーネが、私に守られる程弱くないのは分かってるけど、それでも、私に出来る範囲で良いから、守りたい。シャーネを傷つけるもの達から」

それは数日後、シャムに「守れると思うんですか?」と一蹴されてしまう程無謀な誓いだけれど。

「大好きだよ、シャーネ」

その誓いは、無謀な程に、深く堅く。






***






「シャーネ!」

大通りに出て少し歩くと、シャムことシャフトの言った通り、シャーネの姿を見つけられらた。

出会い頭に抱き着く。
当たり前のように抱き返してくれるシャーネにぎゅっとする。

「見つかってよかった。探してたの」

抱きしめながら見上げるとシャーネがこてっと首を倒した。

「うん。ちょっとした用があってね。婚姻届の証人の欄に署名をして欲しくて」

シャーネの眉間が寄る。といっても、僅かだが。
こういう些細な表情の変化を読み取れるよになって久しい。

「シャーネ、やっぱり怒ってる?この世界に残るとか、結婚するとか、相談も何も無く決めて急に報告して。挙げ句に婚姻届の証人なんて」

ぎゅうとシャーネの腰に回していた手に少しだけ力をいれる。
ふるふるとシャーネは首を横に振った。
シャーネの肩に頭を預けるように頬を付ける。

「ごめんね。私もずっと迷ってて、自分の事だから自分一人で決めなきゃって思って誰にも相談しなかったの。それなのにいざ決意したらクレアと握手してもらったり、証人署名してとか身勝手だよね……」

もう一度、ふるふるとシャーネが顔を横に振る。ぎゅっと抱きしめてくれた。

「ありがとう。シャーネ」






***






シャーネの名前が入った婚姻届を瑞樹が大事にしまう。

「シャーネ、ありがとう」

お礼を言うと、シャーネは笑顔で頷く。

「瑞樹さん!少しいいですか?」

階下からニースの声が聞こえて、瑞樹が階段を下りて行った。

「なんだよ」

瑞樹がいなくなった途端、横からあからさまに殺気が飛んできて肩をすくめる。
先程まで瑞樹に向けていた表情とは一変した険しい顔をシャーネから向けられた。

「認めたわけじゃないって?分かってるよ。俺もすぐに認めてくれって言ってるわけじゃない。いつか認めてくれればいいさ。俺と瑞樹がどれだけ愛し合っているかって事をな。仲良くやろうぜ、これで俺達は正真正銘『家族』なんだから」






***






「イブさん!」

「瑞樹さん!?クレアさんも!」

「よう、久しぶりだな」

ミストウォールの前まで来るとイブ嬢とチックさんマリアさんと合流出来た。
シャムが事前に個体を利用してここに誘導してくれていたのだ。その証拠にジャグジー達の仲間のジャック、シャムの個体が一緒に居る。

「わあ、ヴィーノさん、瑞樹さん、ひさしぶりー」

「お久しぶりです、チックさん」

「ヴィ、……ヴィーノ!どうしてヴィーノがここにいるの!?」

「こっちの台詞だ」

すげない声で言葉を返すクレアには、簡単に今ジャグジーさん達がガンドールやマルティージョから目を付けられている話をしてある。
と言っても、私もつい先ほどシャムから聞いたばかりの話だが。

「なんでこのアミーゴ女がお前と一緒なんだよ。っていうか、なんで拷問係のお前が話し合いの使いで……」

「えっと、ラックさんはー、もうマルティージョさん中心で話が進んでるけど、顔だけは出しておかないとって言っててー。暇な僕が選ばれたみたいですよー」

「……初耳だよ、アミーゴ」

マリアさんは少し呆れているようだ。

「瑞樹さん達はどうしてここに?」

「ええ、ちょっと知り合いがここにいまして……」

「瑞樹さんも?私も兄さんがここにいると聞いて来たんです」

「そうみたいですね。でも、中は危険です。お兄さんは私達が探してきますので、イブさんはここにいてください」

「確かに、なんかヤバそうな匂いがブンスカするよアミーゴ!なんか、中でいっぱい人が倒れている!」

マリアさんがミストウォールの閉じられたガラス扉から中を覗く。

「催眠ガスがどうこう言ってたんで、多分寝てるだけだと思います」

シャムことジャックさんが神妙な顔をしている。
偶に考えるけど、シャムは数えきれない個体を操って頭が混乱したりしないのだろうか。
この場だけで自分が二人いるなんて、私だったら考えただけで混乱する。

ともあれ、少し前にシャムから聞いた情報では倒れている人達は一度クリス達に殺された人達のはずだ。
ビルにいる人間全員を皆殺しにしろなんて指示をだすヒューイさんは分かっていたけど狂ってると思うし、ビルに居る人間全員を不死者にしたネブラ社も狂っている。

「思ったよりもヤバそうだネ……イブちゃん、瑞樹の言う通り、俺らは外で待ってた方がよさソウだよ?」

「はい……。あの……兄を……よろしくお願いします……」

心配そうにする兄想いの妹に頷く。

「ま、あいつは不死身だって話だから、心配することないんじゃないか?」

あっけらかんとしたクレアがビルの入口に向かう。それに着いていく。
ファンさんとジャックさんもイブ嬢と残っている。横を見るとルーカスさんが眉間に皺を寄せていた。

「ルーカスさんも残りますか?」

「……残りたいところですけどね、アンタを一人で行かせたら後からクロエに何て言われるかたまったもんじゃないので」

「一人じゃないけどな」

ルーカスさんの言葉に私が返事をする前にクレアが遮った。

「……そうでしたね、すみません」

何とも言えない雰囲気に、やっぱこの二人を一緒に行動させるのは良くなかったかな、と思うけども、もう少しで辿り着くので我慢してもらおう。
幸い、クレアも私の前だからか、比較的大人しく、ルーカスさんに挑発するような発言は控えている。

後ろでマリアさんとイブ嬢が話しているのを聞きながら、ビルの入口を見る。『防災設備の緊急点検中につき、立ち入りを禁ず』と書かれた看板がたてかけられており、玄関には全てカギがかけられていた。

「叩き斬って入ろうか、アミーゴ」

後ろから追いついてきたマリアさんが日本刀を構えるのを見て、クレアが呆れたように呟いた。

「やれやれ……騒ぎを大きくする気か?殺し屋とは思えない大胆さだな」

「……じゃあどうするの?」

頬を膨らませるマリアさんの髪に手を伸ばし、クレアはその豊かな髪から一本のヘアピンを抜き取った。

「あッ、何するのアミーゴ!」

クレアは抗議の声を無視して、ヘアピンの先を扉の鍵穴に差し込んだ。

「わあ、クレアさん、そんな事もできるんですかー」

「今はフェリックスって呼んでくれ。まあ、昔色々とな」

色々ってなんだろう。
「色々」が本当に色々ありそうで、そこに突っ込むのは躊躇われた。

クレアが得意げにヘアピンを操っていると後ろから近付いてくる影がガラスの反射から見えた。
振り返ると、傘も差さずに濡れたエニスさんが立っていた。

「エニスさん?」

「……瑞樹さん」

何かあったのか神妙な顔つきのエニスさんと目が合う。

カチャリ、と鍵の開く音が響いた。






「リーザ?」

「ええ。そう名乗る女の人から電話があったんです。
瑞樹さんは誰か知りませんか?」

「いや……。分からないですね」

多分、ヒルトンの個体の一つだろう。
それなら、エニスさんをこのビルに導いたのはヒューイさんの指示かもしれない。エニスさんとクリス達を引き合わせる目的は何だろうか。
気になったけど、この場でルーカスに扮しているシャムに聞くわけにはいかない。

――……リン……――

エレベーターのベルが最上階に辿り着いた事を知らせた。
ゆっくりと扉が開く。途端にナイフが三本飛び込んできた。
クレアがそれを難なく受け止める。

「危ないな」

クレアがナイフを軽くジャグリングしながらフロアへ進んでいく。
それに続いてフロアに出る。
ぐるりと見回すと、シャムから聞いていた通り、フィーロさんとクリス達がいた。

「……このエレベーターの扉には、ダーツの的でも飾ってあるのか?だとするならば、俺はそのスリリングな試みをした支配人を褒めたたえたいと思うがどうか」

「クレア……?」

フィーロさんが呆けた声を上げる。

「クレア……おい、やっぱりクレアか!」

「おお、フィーロじゃないか。相変わらず童顔だな」

「ハハッ!数年ぶりだってのに、ひでえ言いようだなオイ」

「そうそう、フィーロ。残念ながらクレアは死んだ。俺の事はフェリックス・ウォーケンと呼んでくれ」

「ラックからもそれ聞いたけど、本当にわけわかんねえなお前は」

フィーロさんは笑顔でクレアと会話に、横にいたエニスさんが驚いた顔をした。
そういえば、私クレアの紹介をちゃんとしてない。クレアがフィーロさんと幼馴染だって事とか。私の夫である事とか。
っていうか、フィーロさんにもしてない。私とクレアの関係を。

「瑞樹?」

「……クリス」

久しく会うクリスが私の存在に気付いて名前を呼ぶ。
その顔があからさまに綻んだ。

「やっと僕の子供産んでくれる気になった?」

「 ―――は?」

聞いたことのない程低いクレアの声がした
2018.10.31
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