葡萄酒と運命24


「ニューヨークに?」

「ええ。明日の大陸横断特急で行くんです」

「そうか。懐かしいな」

「ティムさんは昔ニューヨークにいたんですか?」

「ああ。一応出身地だ」

「そうなんですか。じゃあ、ご家族はニューヨークに?」

「……多分、兄はまだいるだろうな」

「兄って前話してた、ハサミが大好きな?」

「そうだ。ま、生きてりゃの話だがな。そういうアンタはどうなんだ」

「え?」

「アンタがなんでこの国に来たのか俺は知らないが、故郷に家族がいるんじゃないのか」

「……ええ。いますよ」

フライング・プッシーフット号に乗車する前夜、私はヒューイさんの研究機関にいた。
ここの主であるヒューイ・ラフォレットが警察に捕まったというのに、ここは何事も無かったの様に静かだ。

実際、大した問題ではないのだろう。
ヒューイさんの指示は基本的に「双子」を通じて伝わる。だから、ヒューイさんがどこにいようと、例えそれが牢の中であろうと関係ないのだ。「双子」には。

私が今夜ここに来たのは、明日の準備の為だ。
準備と言ってもそう大したものではない。
愛用のナイフとグローブ、それから不死者用の薬をいくつか拝借しに来たのだ。
明日の列車に乗っているだろう不死者達はそんなに警戒するような相手ではないと思うが念には念を入れて損はないだろう。なんたって、ニューヨークに辿り着けなかったらこの1年が無駄になってしまうのだから。

そして、それらを鞄に詰め込んで帰ろうとしたところでばったりとティムさんに出会ってしまった訳である。

「ま、なんであれ、暫くお前とも会えなくなるわけだな。ヒューイ師も捕まっちまったし、ここも静かになるかもな」

「そうですね」

ラルウァの面々には、私が別世界の人間だとは言っていない。
だから、ティムさんは私が「レムレース」の一員としてテロを行うとしか思ってない。

ようやく終わる。この世界が。
ようやく帰れる。元の世界へ。

ようやく叶う。

そう、叶うのだ。

私の、願いが。

私の、消えて無くなりたいという、願いが。

だけど、

消えて無くなれば、元の世界だけじゃなく、この世界に来てからの事も消えてしまう。

この世界の私の1年間も。

シャーネやクレアや、このラルウァの人達と出会った1年間も。

「瑞樹?」

「クリス」

名前を呼ばれて振り返ると、赤目がいた。
名を呼び返すとにこにこと嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。

「ティムと何してたんだい?」

「なんもしてねぇよ」

「ちょっとナイフとか取りに来ただけ。もう帰るよ」

「……そうなんだ」

帰るという言葉にクリスがあからさまに肩を落とした。尻尾が着いていれば、確実に垂れ下がっていただろう。
感情表現が豊かなホムンクルスだ。その感情は人とかなりズレているけれども。

「ねぇ、瑞樹。明日はどこ行くの?」

「どこってニューヨークに」

「その後は?」

「え?」

「……リーザに聞いたんだ。瑞樹、もう戻ってこないつもりなんでしょ。ニューヨークで探し人を見つけたら、そのまま故郷に帰るんだって」

リーザ。確かヒルトンの個体の1つだ。
確かに「双子」は私が別世界から来てることは知ってるけど、まさか、よりにもよって、クリスに話すなんて。

いや、クリスだから話したのだろう。
ヒルトンはヒューイさんへの忠誠が特に強いから、強すぎて度々私を邪険に扱ってきた位だから、だからクリスに話して私の邪魔にでもなれば良いと思ったのかもしれない。

「ここにいなよ」

ぎゅっとクリスに手を握られる。
クリスが私に対して抱いている執着心は日々強くなっていた。
特に私が鉄道会社に勤め始めラルウァの研究施設にあまり顔を出さなくなってから、会えなくなった反動か、クリスはしつこい位私に言い寄ってくる様になった。

「ニューヨークになんて行かないで、ここにいなよ。僕らと一緒に。ヒューイの旦那は瑞樹の事随分気に入ってる。僕ら以上の研究対象さ。瑞樹が残るならヒューイの旦那だって大歓迎だよ。まだまだ研究したいことが沢山あるだろうし」

「……おい、クリス」

じわじわを熱が入り出したクリスに、ティムさんがクリスとの間に割って入る。

「故郷に帰るんだろ。この国に来た目的を果たしたならここにいる理由が無いだろ。家族もいるっていうし、無理に引き留めるのは……」

「じゃあ……、じゃあ僕の子供産んでよ!」

「「…………は?」」

クリスの発言に私とティムさんは、二人して固まった。
対するクリスは自分の発言を、名案だ!とばかりに顔を明るくした。

「そうだよ。瑞樹と僕で子供を作ろう!そうしたら、瑞樹はこの国にも家族が出来るんだから、この国にいる理由が出来るでしょ?ホムンクルスと不死者の子供だなんて、ヒューイの旦那も喜ぶよ。良い研究対象だって。それで僕と瑞樹で一緒に育てよう!そしたら僕等は家族になるんだ」

「お、おい……クリス落ち着け」

興奮気味のクリスに思わず後ずさる。
ティムさんも流石に戸惑っている。
クリスはラルウァの中でも比較的ネジが外れてる所があるけど、まさかそんな発想に至るとは思ってもなかった。

─────赤目の好意という名の執着に気付いてない訳ではなかった。

後ずさる私の手を掴むクリスの力が強くなる。

「瑞樹」

その執着に、気付いてない訳ではなかった。

「ここにいなよ」

ただ、その言葉は。

「瑞樹!」

赤目の手を振り払って走る。
背後でティムさんの声が聞こえた。
どうやら追い掛けようとしたクリスをティムさんが引き留めてくれているようだった。
ティムさんは本当にラルウァなんて組織に向いてない人だ。知り合って1年経たないくらいの私の為にそんな事するなんて。戦闘員のクリスを頭脳派のティムさんが止めるなんて無謀であることはティムさんが一番よく分かってるだろうに。
ティムさんが引き留めたってクリスは言うこときかないことも、大して長くは引き留められないことも。分かっているのに。

私は振り返ることなく走った。







「どうした?」

「え、と……」

肩で息を繰り返す。
追いつかれない様に無我夢中で走ってしまった。

クリスの手から逃れて、私はクレアの住まいである車掌の寮に来ていた。
扉を開けたクレアは驚いている。
当たり前だ。
本来私は今夜ここに来ない予定だったからだ。

フライング・プッシーフットに車掌として乗るクレアと、乗客として乗る私では、家を発つ時間が違う。なので前夜はそれぞれの家で過ごし、列車の中で会う予定だったのだ。
だから、今夜私がここに来るのはおかしい。
それでも、肩で息をして、どう言い訳したものかと迷っている私をクレアは部屋に引き入れた。

「水飲むか?」

クレアの問いに呼吸を整えながら頷く。
瓶に入ったミネラルウォーターが手渡される。冷蔵庫で冷やされていたそれはひんやりと冷たい。
そのまま促されてベッドに腰掛ける。
荷造りの途中だったのだろう。近くにはキャリーバッグが口を開けており、その中に几帳面なクレアらしくきっちりと衣類が詰められている。

同じミネラルウォーターを持って、クレアが私の横に座った。

「どうかしたのか?」

「……。」

クレアの問いに、今度は沈黙する。
呼吸はほとんど整って、ミネラルウォーターを二口飲んだ。

「……。」

「……。」

二人して沈黙する。
いや、多分、クレアは口を開きたくて仕方がないだろうけど、こういう時の私に対して口を開いた方が逆効果だとわかっているから黙っているのだ。

その気遣いに応えたい。

「こんや、」

「ん?」

「今夜、ここに泊まっていい?」

「もちろん、いいぞ」

即答で帰ってきたクレアの言葉にほっとする。
今の精神状態で一人になりたくなかった。

クレアがそれ以上問い詰めてこないことを良いことに、ミネラルウォーターをベッドサイドのテーブルに置いて、ベッドに横たわった。
クレアがそっと手を伸ばしてきて、頭を撫でた。それが気持ちよくてクレアの手にすり寄る。

──────ここにいなよ。

赤目に言われた言葉が頭で響いている。

いいのだろうか。
私はここにいていいのだろうか。

男の悪魔を探すのをやめてしまえば、このままこの世界にいられる。
そうして、元の世界の事を忘れて、自分の願いも忘れて、このままこの世界で新たな人生を。シャーネやクレアと一緒に。

「クレア」

「なんだ?」

「…………私にここにいてもいいのかな」

「もちろんだ。ここにいてくれ」

質問の意味を単に泊まる事の確認だとでも思ったのか、クレアの相変わらずの即答に次第に呼吸が深くなっていくのが分かった。

「クレア」

「今度はなんだ?」

「何かお話して」

「いいぞ。何を話そうか」

決して深く聞いてこないクレアの気遣いに感謝しながら、私は深く呼吸をする。
クレアが語るクレアの生い立ちやガンドール三兄弟の話を聞きながら、私の頭にはクリスの言葉と、クレアの言葉が響いたままだった。


─────ここにいなよ。



─────ここにいてくれ。



その言葉が響いてる時の私は翌日フライング・プッシーフット号でこの世界に残る決心をする事になるとは、この言葉通りの事になるとはまだ知らなかった。






***






「僕の子供産んでくれる気になった?」


「─────は?」


聞いたことないほど低いクレアの声に身体が跳ねる。

対するクリスも、クレアの低音が気になったらしく、少し眉をひそめてクレアを見ていた。

「フィーロさん!」

「エニスッ!」

私達が緊迫していると、クレアの背後からエニスさんが出てフィーロさんへ駆け寄る。おかげで少し緊迫した雰囲気が緩んだ。
エニスさんの存在に気付いたフィーロさんも叫ぶ。

「よ、よかった……無事で本当によかった!」

再会を喜び合う二人の背景では一般人達が非常階段から階下へと姿を消していく。
急激に人口が減り、フィーロさんやエニスさん、そして成り行きを心配そうに見守るジャグシーさん達と倒れたままの一般人と思しき人達が残った。

「おや、これはこれは瑞樹だけではなく、可愛い『妹』まで居るとは」

「……いもう……と?」

クリスの言葉に戸惑っているフィーロさんにクリスが優しい笑みを浮かべたままだ。

「クリス、帰ってくれる?」

遮る様にフィーロさんとクリスの間に立つ。

「帰る?何言ってるんだい。まだ、ヒューイ師からの仕事を終えてないんだ」

クリスが何を言っているんだとばかりに首を傾げる。

「いいから、帰って」

強く突っぱねる様に言うとクリスが眉間に皺を寄せた。

「……おい、」

後ろからフィーロさんに腕を引かれる。

「お前、こいつ等と知り合いなのか。こいつ等何者なんだ」

「……フィーロさん、クリスが何者かも知らずに家に泊めたんですか?」

フィーロさんの言葉に思わず突っ込むと、フィーロさんがうっという顔をした。

「そりゃ、俺だってなんで泊めたか分からないけど……てか、なんでお前が泊めた事知ってるんだよ。こいつ等もだが、お前も一体何者──」

「─────ああ、悪いフィーロ。紹介が遅れたな」

私が答えるよりも先に、いつもより低いクレアの声がすぐ後ろから響く。ぐっと腰を掴まれてクレアに横から抱き寄せられた。

「俺の妻の瑞樹だ」

「「─────は?」」

クリスとフィーロさんの声が重なった。

「はあああああ!?クレアがついに結婚したってのはラックから聞いてたが、瑞樹が相手だったのかよ!?」

「そうだ。フィーロは瑞樹と既に顔見知りだったな。結婚してもうすぐ1年になる」

「すいません、フィーロさん。言うタイミング逃してて」

「逃しすぎだろ!お前は!……それに!」

調子が狂ったように頭をかいていたフィーロさんがじろっと視線をクリスに戻す。
クリスは私の結婚という事実をどう受け止めたのか、眉間に皺を寄せたままだ。

「こいつ等は何者なんだ。知ってるんだろ。それは言い逃す前に教えてくれよ。こいつ等がエニスを『妹』と呼ぶ理由もな」

「クリス達は……セラード・クェーツがホムンクルスを作る過程の研究を元に、ヒューイさんが作ったホムンクルスです」

視界の端で、ジャグジーさん達が何のことかさっぱりと言った顔で私たちの顔を見回している。

「セラードがホムンクルス作る過程、ホムンクルスを完成させる前段階でヒューイさんが研究を盗み、そこから造り出した不完全なホムンクルスです。エニスさんみたいに不死ではありませんが、不老です。代わりにエニスさんの様に『本体』に命を管理されていません。元になった技術が同じ、という意味では妹という言い方もできるかもしれません」

ちらりとクリスを見ると、その表情は先程と変わらず険しい。思えば、彼のこんな顔を見るのは珍しいかもしれない。

「瑞樹、どういう事?結婚って。瑞樹がこの世界に残ったってリーザに聞いて、シカゴを経つ前の僕の言葉に同意してくれて、瑞樹は僕の子供を産んでくれる気になってくれたのかと思ったよ。まさか普通の人間と結婚してたなんてさ」

普通の人間、という言葉に少しおかしくなる。
クレアの事を少しでも知っていたら出てこない言葉だ。

「何笑ってるんですか」

横で黙っていたアデルさんが脅すように槍を構える。
どうやら、私が笑っていたのが気に障ったらしい。
そうでなくても、彼女は私の存在が気に障るのに。
だが、その槍はそれ以上動かない。動こうとしない事を知っている。
ヒューイさんの施設に居る時もそうだった。
彼女は私にきつくあたる事が多かったが、決して再度挑もうとしなかった。怖いから。きっと、怖いから。
もう一度、私に負けるのが怖いから。
だから、彼女がこれ以上私に危害を加える事はない。

「ごめんなさい。あまりにも似つかわしくない言葉だったから」

「似つかわしくない?」

「ええ。『普通の人間』だなんて言葉はクレアには似つかわしくないですから」

「どういう意味─────」

「「おおぉぉぉぉぉぉぉおおおおお」」

アデルさんの言葉は息の合った男女の歓声で打ち消される事となった。

「すげえ!やっぱり手品の力ってすげえや!」

「万能ビックリショーだね!」

レストラン内にいる全員が声の下に注目すると、いつの間に入り込んだのか、厨房の中でアイザックさんとミリアさんが大きな声をあげながら惜しみない拍手を繰り出していた。

「何やってんだ?」

フィーロさんが目を凝らすと、お騒がせカップルが倒れ込んでいる人を挟むように座り込んでいる。その人をよく見ると、その身体の下に蠢く血液かあった。
多分、私達が来るまでにクリスに撃たれでもしたのだろう。そして、死んだ。
いや、死ぬはずだった。普通の人間なら。

そして店内にいたすべての人間達が、その奇跡を目撃してしまった。

「うう……一体……何が……?」

死んだはずの男が、うめくようにそう呟く瞬間を。
頭を正確に撃たれたはずの支配人が、何の傷も、血の一滴すらも纏わずにムクリとその身を起こすのを。

フィーロさんやジャグジーさん達は驚愕し、クリスやアデルさんは気付き、私とエレベーターで来たクレアやチックさん達はそもそも撃たれた事を知らないので疑問符を浮かべている。ルーカスさんは見たくないとばかりに目を伏せていた。

「クリストファー!」

「チー……」

非常階段から声が響き渡った。
汗を垂らしたチーさんがレストランに駆け込んでくる。

「クリストファー!ヤバい……このビルはヤバい!一旦退くぞ!このビルの従業員、『ネブラ』の社員ども、全員不死者だッ!」
2018.12.01
拍手
すすむ