葡萄酒と運命5 笑顔中毒者


エルマーを引っ張って車両の通路を早足で進んでいく。
途中何人か白服に出会ったが何人かは気絶させたし何人かは列車の外へ放り投げることに成功した。
シャーネやラミアに教わった護身術を実戦で活用するのは初めてで、普段の私なら鍛錬の成果に感動するなり感激するなりしているかもしれないが、今はそれどころじゃなかった。

なんで、彼がここに居るんだ。
生きているはずがない。
それなのに、なんだ彼は。
なんだアイツは。
なんだアイツは!!!
アレは本当に、ただ死なないだけの人間なのか―――!?

あの声を思い出すだけでまた血の気が引いていく。
あの声にある、決定的な違和感。
自分は一切関係ない、渦中には居ないという立場でありながら、コチラの言動を制限してくるような強い圧力があった。
私達から一歩どころかかなりの距離を保ちつつ、一方的に己の欲望を押し付けてくるような、しかし決して逆らえない邪悪とも言える身勝手さ。
一方的で圧倒的な悪。それがフェルメートだった。

「瑞樹様!」

一等車両までたどり着くとグースが客室から顔を出して私を呼んだ。
返事もせず、グースを押しのけるようにして客室に入る。
珍しく乱暴な私にグースの傍にいたスパイクさんが驚いたような顔をした。
部屋の隅にはベリアム妻子とニースさんと見知らぬ男が縄で縛られていた。
ベリアム妻子とニースさん達が同時に捕まっていることに僅かな違和感を覚えたがどうでも良かった。

「ご無事でしたか。貨物車両にいる者から不審な通信があったので心配だったんですが……」

「貨物車両にいた人達は皆死にました」

私の言葉に室内の「レムレース」のメンバーの視線が集まる。

「後ろの方は?」

「古い友人です」

グースが眉間にしわを寄せた。
信じていないようだった。当たり前だ。
エルマーと私は今日が初対面で友人でもなんでもないし、そもそもこんな状況で見たこともない人を連れてきて「古い友人だ」なんて信じる方がおかしい。
だけどそんな事は今は問題ではない。

問題は何故アイツが、フェルメートがこの列車に乗っているかだ。フェルメートはチェスに食われたはずだ。生きてるはずがない。
物語が変わってきているのか?それともここは私が知っている世界とそもそもが違うのか?
頭が混乱する。訳が分からなかった。

ただ一つ確実なのだ、フェルメートに近づいてはいけないということだ。
先程のフェルメートの声によってヒューイの記憶が強制的に思い出される。
ヒューイの記憶が私をじわじわと浸食していくような感覚に陥った。
頭を振る。心臓が早鐘を打つ。
自分の記憶ではないと分かっているのに悲しくて恐ろしくて涙が溢れそうになる。

「瑞樹様、貨物車両で何があったんですか。仲間を襲った奴は……」

「そんなことはどうでもいいんです!」

自分で出した声の大きさに驚く。
我に返って周りを見渡すとグース達もニースさん達も驚いたように固まっていた。
早鐘を打っている自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。いや、むしろ、世界の音が私の心音に集結したような錯覚に陥るほどだった。

「大丈夫かい?」

突然エルマーに顔を覗き込まれた。
ぎょっとして身体を引く。私のそんな反応は気にも留めずエルマーは笑った。

「そんな悲しそうな顔はやめよう!確かに君の仲間の一人はフェルメートと一緒に落ちてしまったけれど、彼は君を守ろうとして落ちたんだ。そして君は生きている。つまり彼の望んだ通りになっているじゃないか。きっと彼は幸せだよ!悲しむことじゃない。だから笑おう!彼の分まで!」

私に集まっていた視線がエルマーに注がれる。誰もがエルマーを不気味そうに見ていた。
この状況で「笑おう」などと言えることは正気じゃない。だから、皆の感じた不気味さは普通の事だろう。
だけど、私は違った。記憶と寸分違わぬ物言いにむしろ懐かしさを感じて涙と一緒に笑みが零れた。

「笑ったね」

エルマーが満足そうに笑った。
零れた涙を拭う。心臓の音はもう聞こえない。指先も頭にも血が回りだしていた。
深呼吸をして、室内を見回す。捕虜になっているニースさん達が目に入った。

「瑞樹様?何を……」

スパイクさんの怪訝な声を無視してニースさん達に近寄る。
ベリアム妻子もニースさんも知らない男も私を不安気に見上げていたので安心させるように微笑んで縄をほどく。
4人分の縄をほどくとグースに向き直った。
グースの表情には信じられないと言わんばかりに苛立ちが広がっていた。

「瑞樹様、どういうおつもりですか」

「こんなことをしている場合じゃなくなったのです」

「貨物車両で何があったというのですか」

「説明しても良いですが、説明し終わる頃には私たち全滅しているでしょう。グース、手の空いてる者に一般客は食堂車に導するよう指示してください。白服の連中に手加減は無用ですがその他の方々には危害を加えないように。一般客に危害を加えず、この列車を無事にニューヨークに到着させることを最優先に動いてください」

「……瑞樹様、それはつまり、ヒューイ師を奪還するこの計画を中止するということですか?」

「そうです」

まさかそんな事はないよな、という言外の意図に気付きつつも即答で肯定した私にグースの渋い顔が更に渋くなる。

「納得いきませんな。説明をして頂けないというのなら、いくら瑞樹様のご指示とはいえに従いかねます」

「そうですか。では結構です」

グースの頑固さを知っているので早々にあきらめる。
説得を試みても良いが、正直そんな義理は無い。
「レムレース」に入ってからというもの、ヒューイさんから不死を与えられた第一号信者として祭り上げられ、「レムレース」の内部分裂は一時的に収まったようだったが、他の信者からの私への嫉妬は免れなかった。
ヒューイさんは自分で言っていた通り、随分上手く説明したようなので危害を加えられることはなかったが、一部の信者、特にグースは私のことを良く思っていないことは明白だった。
それでも私の身を案じていたのは不死の秘密を知りたい一心だろう。
しかし、それもヒューイ奪還の邪魔になるなら話は別だ。
シャーネもこの列車での作戦内で殺す算段をしている男だ。下手したら私のことも狙ってくるかもしれない。
さっさとグースから離れよう。逃げるが勝ちだ。

「ニースさん、ベリアム夫人達と一緒に食堂車へ行ってください」

「え?」

突然話しかけられたニースさんが目を見開いた。

「というか、一般の乗客は出来るだけ食堂車に集めて頂けませんか?もし、治療が必要なほど重症な怪我人がいたら二等車両に灰色の服を着た医者がいましたので、その方の元へ連れて行ってください」

ニースさんが戸惑った表情のまま頷く。促すように部屋の出口を開けるとベリアム妻子を気遣いながら客室を出て、食堂車両へ向かっていく。
食堂車両へ入って行ったのを確認して、怒りに青筋を立てるグースに向き直った。

「貴方達が正しいと思う事ならば止めはしません。しかし、私はこの計画から降りさせてもらいます。それに一般客を巻き込むというのも承知しません。見つけ次第それは邪魔させてもらいます。それでは」

数時間前の食堂車両と同様に、言いたいことだけ言い捨ててエルマーを連れて客室を出た。

「連れ回してしまってすいません」

「いいや。俺のことは気にしないでくれ。君達の方が込み入ってるみたいだしね。ああでも、ちょっと聞きたいことがあるんだ。君達はヒューイの仲間なんだね?」

「ヒューイさんは仲間と思ってませんがね」

質問に正直に答える。
エルマーはなるほど、と納得していた。
ヒューイの実験対象の扱いについては彼も知っているのだろう。

「俺のことはヒューイに教えてもらったの?」

「そうです」

「君の名前を聞いてもいいかい?」

「瑞樹です。瑞樹・西園寺」

「そうか。知ってると思うけど、俺はエルマーだ。エルマー・C・アルバトロス」

「よろしくお願いします。エルマーさん」

エルマーさんと握手をする。
にこにこと笑った彼の笑顔がこの状況に不釣り合いでこちらまでつられて笑ってしまった。

「また、笑ってくれたね」

「エルマーさんを見てると自然と笑ってしまいます」

「本当かい?それは嬉しいなぁ」

本当に嬉しそうに笑うエルマーさんを連れて食堂車両に移る。
バーテンダーと料理人の二人と話すニースさんがいた。
ニースさんの頭上に壁掛け時計を見た。

「瑞樹さん……」

「すみません、統率力がなくて」

ニースさんが声をかけてくれたので苦笑交じりに謝ると、ニースさんはふるふると首を横に振ってくれた。

「これからどうするつもりなんですか?」

「そうですね、私はレイルトレーサーと話してきます」

「レイルトレーサーと?」

「はい。一般客をお任せしてもいいですか?」

「それは構いませんが。でも……」

「もし、武器が必要でしたら、貨物車両の楽器ケースの中身を自由に使ってください。エルマーさんもここに居てください。後で聞きたいことが沢山あるんです」

ニースさんもエルマーさんも何か言いたげだったが、構わず矢継ぎ早に要件を告げて食堂車両を出る。
食堂車両にあった時計は直に夜明けが来ることを告げていた。
この時間帯なら「レムレース」は恐らくほぼ壊滅状態になっているだろう。白服も同様だ。
急がなければ。

あと残っているとしたら、きっと彼と彼女だ。

2017.08.14
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