葡萄酒と運命27 選択


─────世の中の全ての子供達は望まれて生まれてくるのです

言葉が、反響する。





物心ついた時から父と母は仲が悪かった。
私はそう思っていた。
だけど、違ったのだ。
違った。
父と母は仲がとても良かったのだ。
私が生まれてくるまでは。

父が一緒に暮らそうと誘ったのは、娘の私と暮らしたかったのではなく、母の面影を追いかけていただけだったのだ。
父としての役目を果たしたかった訳ではなく、母に似た私を側に置きたかっただけなのだ。
決して私の存在認めていた訳ではないのだ。

つまり、私が生まれてこなければ、父と母は仲睦まじく、夫婦でいられてのだ。

私が生まれてこなければ。

目の前で赤く倒れている父を見て状況を理解するのに時間がかかった。
状況理解するにつれて、父の言葉の意味も飲み込めるようになっていて。
それを飲みほした時には涙が溢れて止まらなかった。

泣いて泣いて泣いて。
瞳が溶けるんじゃないかってほどに泣いた。
赤くなった父の身体を横目に私は泣き続けた。

どうして私だったのか。
私は何も悪くないはずなのに。
私は望んで生まれてきた訳ではないのに。
私だって望まれて生まれたはずなのに。
それなのに

─────お前なんて生まれてこなければよかったのだ

父の言葉が反響する。
頭の中で何度も何度も反響する。
その度に涙が零れ落ちて。
落ちて落ちて落ちて。
涙が止まらなくて。
泣き続けていた時に、それは突然現れた。

「貴方の望みをかなえてあげる」

赤い瞳の悪魔が。






***






「父さんが、生きてる」

「そう。貴方の父親はまだ死んでない。今すぐ病院にでも連れて行けば間に合うわ」

傍らにある父の身体を見る。
身体の下からは血が流れてて小さく広がっている。
死体だとばかりに思っていた。
だが、確かに広がっている血の量は致死量ほどではない。
所詮包丁で一刺ししただけの傷だ。
しかも、人殺しなんてした事がない当時の私が、感情的に刺した傷だ。
たいした傷じゃない。
致命傷には程遠い。

生きてる。
父さんは、まだ生きているのだ。

「だけど、それを見捨てなさい」

悪魔がはっきりとそう言った。
視線を父の身体から悪魔に戻す。
悪魔の赤い目の色が、父の血の色と同じだった。

「…………みすてる?」

「そう。見捨てるの。父親を。そうして貴方は選ぶのよ。あの世界を」

「…………あのせかい」

「そう。貴方の存在を認めてくれた人がいるんでしょう?」

私の存在を認めてくれたくれた人。

─────ここにいなよ。

─────ここにいてくれ。

それは、私の存在を認めてくれた人達の言葉。
それは、私の存在を望んでくれた人達の言葉。

母や父とは違う。

─────お前なんて生まれてこなければよかったのだ

─────世の中の全ての子供達は望まれて生まれてくるのです

言葉が、反響する。
頭の中で幾つもの言葉が反響する。
痛いくらいに響くそれに思考を遮られる。

懐疑の答えは出たと思っていた。
だから、私は目の前のこの悪魔に願ったのだ。

消えてなくなりたい、と。

悪魔は言った。
「貴方の望みを叶えてあげる」
そう、確かに悪魔は言ったのだ。

私が生まれてこなければ。
父と母はきっと今でも円満に幸せに夫婦生活を送っていたのだろう。
2人で仲良く愛し合っていられたのだろう。
私が生まれてこなければ。

答えを得たのなら、願いなんて決まっていた。

でも、
それでも、
私は、

「何を迷うことがあるの?」

悪魔は笑う。
何がそんなに楽しいのか。
美しい唇は弧を描いて、その赤い瞳は細められている。

「それ、とっても素敵ね」

悪魔は指差す。
私の左手の薬指を。

「貰ったのでしょう?貴方の存在を認めてくれた男から」

クレアからの結婚指輪を。
華美過ぎず私好みの控えめなその指輪を。

「約束したのでしょう?ずっと一緒だって」

─────ずっと一緒だよ。絶対ね。

─────ああ。絶対に。ずっと一緒だ。

そうだ。約束した。
私はクレアと約束した。
ずっと一緒にいるんだと。
これから共に生きていくのだと。

だって、私は、

「選びなさい、あの世界を。そして切り捨てるの、この世界を。それだけの対価で貴方の望みは叶う」

切り捨てる。
何を?
父を。
母を。
この世界を。

でも、私は、

─────お前なんて生まれてこなければよかったのだ

言葉が、反響する。
私にそんな価値が、
そこまでして生きる価値があるなんて

─────だったら俺を信じればいい

頭の中で、言葉が反響する。
反響して、反響して、反響して。
反響で頭がガンガンと痛む。

─────自分の事が信じられないなら、俺を信じてくれ。瑞樹の価値を信じる、俺を

ガンガンと痛む頭で涙が止まらない。

本当に?
私の価値は存在する?

─────自分の事が信じられないならそのままでいい。

私、
わたしは、

─────だけど、俺の事は信じてくれているだろう。瑞樹の価値を信じている、俺の事なら信じられるだろう。


クレア。


クレア。


クレア。





私は貴方なら、貴方の言葉なら、信じられる。









「選んだわね」



悪魔が笑った。


2019.03.16
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