葡萄酒と運命28 偶発


「最近のルッソファミリーはどうもおかしい」

それはシカゴの一部で囁かれている真しやかな噂だった。

「ルッソファミリー?あそこはラッドがいなくなってから没落したんだろ?」

「それが持ち直したって話だよ」

「持ち直した?なんだ。新しいシノギでも始めたのか?」

「腕の良い殺し屋を雇ったって話だぜ」

「どういうことだ?ラッドが戻ってきたのか?」

「違うって。新しい殺し屋を雇ったんだよ」

「新しい殺し屋?」

「それがラッドみたいに派手に殺し回るっていうよりは暗殺が主らしい」

「一瞬で殺しちまう上に証拠も残さないからはっきりとは分かんねぇけど、結構な数やられてるって話だぜ」

「どんなやつだよソイツは」

「それがガキって話だぜ」

「ガキ?俺はチャイニーズだって聞いたぜ」

「何言ってんだよ。すっげぇ美人な女なんだろ?」

噂は広がる。瞬く間に。
人の推測と好奇心を交えて。
嘘と真実と、それから都合の良い偽りの情報が広がっていく。






音は無かった。

夜の街。
シカゴは治安が悪い事で有名な街だった。
明るいうちなら賑やかな通りも、静かになっている。
かろうじて見える人影は、どれも懐に隠し持っているものがある。

その路地を音も無く、通っていく。
黒いフードを顔の半分を隠すほど深く被り、通っていく。
足音は無く、人影の1つに近付いていき、人影が気付く前にその首を切った。

人影がうめき声を上げる間もなく倒れていく。
どさり、と人影が亡骸となって地に落ちる音がする頃には黒いフードは姿を消していた。






「まだ帰ってこないの?」

声をかけられてクリスは振り返った。
リカルドがベッドの中で起き上がり、少し眠そうな顔でこちらを見ていた。

「ごめん、眠れなかった?」

クリスは架けていた椅子の側にある照明に手を伸ばした。
照明の明るさがリカルドの睡眠の妨げになっていると思ったからだ。
しかしリカルドは緩く首を横に振った。

「別に。元々帰ってくるまで起きてるつもりだったから」

「そう?リカルドっていつも帰ってくるのを待ってるよね」

クリスは何が面白いのか口角を上げて頬杖を付き、リカルドを見る。
その態度にむっと口をつぐんだが、数秒後思い直してリカルドは小さく溜息をついた。

「……そりゃ、心配だからね」

「心配?」

「うん。だって、なんか消えちゃいそうでしょ、彼女。目を離してる間にどっかに行っちゃいそう」

目を少し伏せて、何を思い出しているのかリカルドはその幼い顔の眉間に皺を寄せている。

彼女は自分より一回り以上年上だったが、リカルドは彼女の事が心配だった。
ある日、何の前触れも無く消えてしまってもおかしくないと思っていた。
いつだって彼女の瞳は暗く、危うげだった。
弱り切った動物の様でもあった。
辛うじて息をしている。辛うじて食事をとっている。辛うじて動いている。辛うじて、生きている。
彼女は機会さえあれば一切の抵抗も無く死を受け入れるだろう。その確信があった。

だから、彼女が死ねない身体である事に、リカルドは安心していた。

「行かないよ。ちゃんと帰ってくるよ。ここにね」

クリスは口角を上げたままはっきりと言い切った。
その自信ありげな表情に、リカルドの治まりかけた眉間の皺が再び現れた。

「…………どうしてそう思うの」

「愛の力ってとこかなぁ」

「なにそれ、意味分かんない」

「私も分かんない」

急に会話に介入してきた声にクリスとリカルドがドアを見る。
そこには黒いフードを深く被った件の本人が立っていた。

「おかえり、瑞樹」

「…………ただいま、クリス」






***






「……はい。分かりました。ご連絡ありがとうございました、ニースさん」

イブ・ジェノアードはそっと受話器を置いた。
何かに引き締められた様に顎をひき、その場をくるりと振り返り近くにあった自分のデスクの引き出しを開けた。

その中から四角く凝った装飾が施された木箱を取り出す。
それを開けると数通の手紙が出てきた。

イブ・ジェノアードはそれを取り出すと、丁寧に鞄にしまった。

ぱたぱたと駆け足で自分の屋敷を進んでいく。
駆け足ではなくても良いのだが、はやる気持ちが彼女の足を急かした。

「どうしたのですか、お嬢様」

階段に差し掛かった頃、階下からベンヤミンが顔を出した。

「ベンヤミン、車を出して下さい」

「どこへ行かれるのですか?」

イブ・ジェノアードはぎゅっと鞄を抱きしめた。
僅か数通の手紙が入った鞄を、大事そうに抱きしめた。

「ニューヨークです!」

2019.05.21
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