葡萄酒と運命8 ヴィクター・タルボット


「ヒューイさんって、昔はやんちゃだったんですね。偽金とか作ったりして」

手に持った試験管を振っていたヒューイさんが振り返る。

「まあ、そういう年頃でしたからね」

いや、十代の若さで偽金を作ることが出来る人は世界中探してもそうそう居ないと思うのだが。
それこそ同時期に同じ街にいた『腐り卵』みたいなのが、「そういう年頃」で説明される行為の範囲じゃないだろうか。
まあ、歴史に名を残している天才というのはだいたい変人だったし、変に頭がいいとおかしな方向に発揮されてしまうのは避けられないのかもしれない。
しかし、ヒューイさんの記憶を思い出しているとヒューイさんは異常なほど頭が良かったみたいだがそれ以外は比較的変わった性格や思想があるわけでもない。どちらかと言えば、その時期に出会っているまだ幼さの残るエルマーさんの方がそういう面では異常性が際立っている。
当時はこの二人の友情が200年以上も続くと誰も予想しなかっただろうが、続いてしまった今考えると、異常な二人の出会いは運命みたいなものなのかもしれない。
出会わなければずっと孤独だったかもしれない。ヒューイさんも、エルマーさんも。

「瑞樹!」

名前を呼ばれて振り返る。
私の名前を呼んだ人が、こちらに駆け寄ってきていた。
そういえば、この人もなかなか異常性が際立っている。特にその目とその歯に。

「……クリスって友達とかいるの?」

「友達?」

赤目が不思議そうに首を傾げた。





***





「セラード・クェーツを?」

「ああ。探してるんだ。知らないかい?」

「……多分、もう亡くなってますよ」

「亡くなってる?」

ヒューイさんへ面会に行くタクシーの中、私の言葉にエルマーさんは驚いたようだった。
死なないはずの不死者が亡くなっているのだ。驚くのは当然だし、死因は一つしかないわけだから、その死因をもたらしたのは誰なのか気になるだろう。

「直接確認した訳ではありませんが……」

私が見たアニメの通りなら、セラード・クェーツはフィーロ・プロシェンツォに食われているはずだ。
しかし、フライング・プッシーフット号でも私が知っている展開とは違うことが起きていたし、もしかしたらセラードに関しても何か変化が起きているかもしれない。

「ちょっと改めて確認してみます」

「いや、大丈夫だ。自力で調べてみるよ。誰に食べられたのか気になるし」

俺には時間はたっぷりとあるからねとエルマーさんが笑う。
タクシーが停車した。





「エルマー!」

「やあ、ヴィクター。久しぶり」

現れたヴィクター・タルボットはヒューイさんの記憶の通りのしかめっ面だった。
旧知の仲であるエルマーさんとの再会を喜んでいるようには見えない。いや、喜んでないという可能性もありそうだ。
ヴィクターさんは特徴的な四角いメガネの奥からじろりと私を見下ろしてきた。

「あ?そっちの東洋人のガキは誰だ?」

「ヒューイのお仲間」

「ヒューイのお仲間ぁ?」

エルマーさんの紹介で見慣れない顔の私を不審げにじろじろとヴィクターさんが見回す。
警察にこんなじっくり見つめられるのは初めてで緊張する。
別に疾しいことがあるわけでも……いや、あった。つい昨夜、列車テロを起こしたばかりだ。そもそもヒューイさんと行動を共にしていた時点で疾しいことがたくさんある。
この場で逮捕されたりしないよね?と不安になった。

「ヒューイさんの面会に来ました。瑞樹と言います」

とりあえず礼儀正しくしようと思いぺこりと頭を下げる。
頭を上げるとヴィクターさんは面食らったような顔をしていた。

「女か?」

「いい子だろう?」

エルマーさんが楽しげに笑った。





「おや、これは予想外の組み合わせですね」

久しぶりに見たヒューイさんは依然となんら変わりない調子で私を見た。
紛うことなき牢屋に入っているというのに、この人の落ち着きからは何年も前からここが自室だとでもいうような態度だった。

「元気そうじゃないか、ヒューイ」

「そちらも変わりないようですね、エルマー」

エルマーさんを見たヒューイさんの表情が和らぐのが分かる。
やはり久しぶりに親友に会えるのは嬉しいのだろう。

「瑞樹とは大陸横断特急で会ったんだ。凄く礼儀正しくて良い子だな」

「コイツ、本当にお前の連れか?」

エルマーさんは相変わらず笑ってて、ヴィクターさんが私を指差しながらヒューイさんに凄む。

「なかなか面白い子でしょう」

ヒューイさんが二人に笑いかけた。
面白い、という評価が若干気にはなる。まあヒューイさんの面白いは『興味深い』の意だし未来から来た人間なんて興味深い以外の何物でもないだろうと深く考えるのをやめた。

「大陸横断特急の旅はどうでしたか?」

「聞いていると思いますけど「レムレース」は壊滅状態です。一部生き残りがいますが、行方は分かりません」

「そうですか。何が原因だったんですか?」

「おい、お前ら何俺の前で堂々と情報共有してんだ!つうかお前テロの実行犯か!?」

ヴィクターさんがつり上がっていた眉を更につり上げる。
しまった。ヒューイさんに聞かれて普通に話してしまった。
すぐに口をつぐんだが、ヒューイさんがヴィクターさんの言葉を否定した。

「瑞樹は実行犯ではありませんよ。彼女が年末に大陸横断特急に乗ることは私が捕まる前から決まってたことです。「レムレース」とは直接関係なく、たまたま同じ電車に乗り合わせてただけですよ」

「たまたまとかそんなこと信じると思ってんのかよ!コイツお前の仲間なんだろーが!?」

「私の仲間ですが、今回のテロには関与してないということです」

「そうだよ、ヴィクター。俺も同じ列車に乗ってたけど彼女はテロとは別行動を取ってたし、むしろ止めようとしてくらいだ。それに、もし瑞樹が実行犯だったら、列車での取り調べで捕まってるはずだろ?」

「うまく取り調べをかわしただけじゃねえのかよ!」

「例えそうだとして、貴方達警察は現場にいた実行犯をまともに取り調べられない程に無能なんですか?」

ヒューイさんの挑発のような問いにヴィクターさんの顔がひくつく。
ヒューイさんとエルマーさんは二人とも弁が立つから結託するとなかなか厄介だなと私は庇われている身で呑気に考えてた。

「それにヴィクター。君だってあの列車で何が起こっていたか知りたいんじゃないかい?」

「……うるせぇよ」

「瑞樹、続けてください」

「はぁ」

ちらりとヴィクターさんの顔色を伺うが、エルマーさんの言った通り気になることは気になるらしく私を無言で睨んでいた。

「何、と言われると難しいですね。色々な要素が絡み合ってという感じでしょうか」

「色々というと?」

「ルッソファミリーの一味がいたり、列車の貨物を盗んだ少年達がいたり、殺し屋のヴィーノも紛れていたみたいです。それから私が確認出来ただけでも、あの列車には私を含め不死者が六人乗っていました」

「六人だぁ?」

ヴィクターさんが眉間にぐっと皺を寄せる。先程からつり上がりっぱなしの眉と合わさってしかめっ面が更にしかめっ面になる。

「なんだ?あの日あの時間あの列車に不死者が六人も集まったのか?偶然か?偶然同じ列車に乗車したってのか?お嬢さんよ、不死者ってのはそうそういるもんじゃねえぞ。そんな偶然あるかよ」

「……事実なんですからしょうがないじゃないですか」

ヴィクターさんの圧の強い言い方に反抗心が芽生える。
確かに偶然にしては出来過ぎているが、事実なのだからしょうがない。

「ヴィクターさんは世界中の不死者を把握してるんですか?不死者達が今どこで何をしてるのか分かるんですか?世界中に散らばってるっていったって、貴方達と同じ船に乗っていた不死者の大半はアメリカにいるんです。国を横断する列車に乗ることだってあるでしょう?」

「随分と反抗的じゃねえか。ここがアウェイだってこと忘れんなよ」

「だったらなんですか?今すぐ私を逮捕でもするんですか?さっきから随分と高圧的ですけど警察ってのはそんな態度じゃなきゃ職務を全う出来ないんですか?」

ヴィクターさんの額に青筋が浮きあがる。

「君ら初対面なのにもう仲良いなあ」

「良くねえよ!」

にこにこと笑ってるエルマーさんにヴィクターさんが噛みつく。
そんなやり取りをヒューイさんは興味深げに見ていた。

「だいたいお前こそ世界中の不死者を把握してんのかよ。あの船に乗っていたヤツのほとんどがアメリカにいるってなんで分かるんだよ」

「200年も前から生きてる貴方達はこの国の戸籍がありません。戸籍が無い状態で国外に出るにはルートが限られますしリスクも高いです。東郷田九郎のような目的がある人ならともかく、普通ならアメリカ内に留まってると考えるのが自然です」

「……やけに俺達のことに詳しいな」

「ヒューイさんと一緒にいて詳しくならない訳ないじゃないですか」

私の反抗的な物言いにヴィクターさんの青筋が増える。

「そうかよ。お嬢さん、お前さっき『私を含め』って言ったな。つまりお前も不死者なんだな?ヒューイの野郎に不死者にされたんだな?だったら俺が右手一つでお前を食っちまえることは知ってるな?ヒューイと一緒にいたんだもんな?それ位知ってるよな?さっきも言ったが、ここはお前らにとってアウェイだ。俺の陣地だ。俺がその気になれば今すぐ同僚達を呼んでこの場でお前を抑え込んでその小さな頭に右手を置いてお前を食っちまうくらい簡単にできるんだよ」

「出来ませんよ」

「あん?」

会話をじっと聞いていたヒューイさんの突然の否定にヴィクターさんが訝しげに見る。

「瑞樹」

ヒューイさんが立ち上がって近づいてきて、牢の格子の間から右手を伸ばす。
意図に気付いて、屈み込み自分の頭をヒューイさんの右手の下に潜りこませる。
ヴィクターさんが息をのんだ。

「ほら。食うことが出来ないでしょう」

「あ?……ああ!?そんなん、お前が『食いたい』って思わなかっただけの話だろうが!」

「思いましたよ。疑うのであれば試してみますか」

ヒューイさんの右手が頭から離れると同時にヴィクターさんの手の届く範囲に移動して「どうぞ」と頭を差し出す。
ヴィクターさんは信じられないものを見る目で私を見ていた。

「……どういうことだよ。コイツ不死者じゃねえのかよ」

「完全な不死者ではありません。不死ではあるが、不老ではないのです。いずれ寿命で死にます」

「不完全だから食うことは出来ないってことか」

「そうです」

エルマーさんの言葉をヒューイさんが肯定する間もじっと見上げる私の目を戸惑ったようにヴィクターさんが見下ろす。
不完全な不死者である私をどう思ったのか、青筋はもう見当たらない。

「話を戻しましょうか」

ヒューイさんが元の場所に座りなおす。

「瑞樹、貴女以外に乗車していた不死者の五人は誰だったんですか?」

「エルマーさんとチェスくんとミリアさんとアイザックさんと……」

「ミリアとアイザック?」

聞きなれない名前にヒューイさんが反応する。

「マイザー・アヴァーロの知人です」

「……ああ。あの騒動で不死者になったヤツらか」

「騒動?」

「1年位前に、セラードの爺さんが不死の酒を完成させたんだが、それをどういう訳か、マイザーのお仲間が普通の酒と間違えて飲んじまったんだ」

私がアニメで見たあの騒動ことだろう。

「ついでにその騒動で不死者になった一人がセラードの爺さんを食っちまったよ」

「本当にセラードの爺さん死んだんだな」

「知ってたのかよ」

「まあ、風の噂で」

「どれくらいの人間が不死の酒を飲んだんですか?」

「さあな。正確な人数までは把握できてねえ。マイザーに聞いたら分かるだろうが……」

マルティージョファミリーでの騒動は、大方私の知っている通りだと思っていいみたいだ。
男の悪魔もいるだろう。マルティージョに近づかないようにしなくては。私はこの世界で生きていくと決めたのだから。

「瑞樹、最後の一人は?」

ヒューイさんの言葉に最後の不死者を思い出す。
あの恐怖が蘇って背筋に冷たいものが走る。ぶるりと身震いをした。
三人の視線が集中したのが分かった。

「……ラブロ・フェルメート・ヴィラレスク」

ヒューイさんが僅かに眉を寄せた。

「ヒューイさん、フェルメートという人物は何者なんですか?彼は本当にただ死なないだけの人間ですか?」

あの列車で唯一残った気がかりがフェルメートだった。
フェルメートはあの列車に乗っているはずがなかった。フェルメートはチェスくんに食われたはずだ。私が見たアニメと展開が違うのかとも考えた。もしかしてチェスくんはフェルメートを食うことなく、共に行動し続け、一緒に列車に乗ったのかと考えたのだ。
しかし、チェスくんに直接確認したが、やはりフェルメートはチェスくんに食われていた。

「あの列車にフェルメートがいました。だけど、それは有り得ないんです。あそこにフェルメートがいるはずがないんです。だって、だって!」

じわじわとヒューイの過去の記憶が蘇る。
どうにも私はヒューイ過去に弱いらしい。何度思い出しても涙が出そうになる。

「フェルメートはチェスに食われたはずなんです!それなのに、あの列車にフェルメートはいた!!有り得ません!!!食われた不死者が生きているなんて!!!」

「チェスが食べたというのは確かなんですか?」

取り乱す私とは裏腹にヒューイさんは冷静に問いかける。

「ちゃんと『見せて』もらったので確かです!」

「なるほど……」

ヒューイさんが考え込む。

「おい、ちょっと待てよ。俺らにも分かるように説明しろ」

「説明といわれましても、何故食われたはずのフェルメートが生きているかは私も知りたい位です」

「そっちじゃねえよ。『見せてもらった』って方だよ。誰に何を見せてもらったんだ。まさかチェスにか?」

ヴィクターさんの質問に冷静に対処しているヒューイさんに苛々して、ヴィクターさんの問いかけを無視する。

「ヒューイさんは!フェルメートのこと憎くないんですか!!」

「瑞樹、落ち着きなさい。貴女は私の記憶に影響を受けすぎです」

「っ!そんなこと!」

そんなことない、という否定の言葉を途中で飲み込む。無理矢理自分を落ち着ける。
フライング・プッシーフット号でグースに向かって怒鳴ってしまったことを思い出した。フェルメートに対する恐怖で感情的になってしまう癖でもついてしまったのだろうか。
ヴィクターさんとエルマーさんは黙って私達のやり取りを聞いていた。

「ヒューイさんは、本当に憎くないんですか?あの男が」

「昔の私だったら感情的になっていたでしょうね」

「……ヒューイさんは昔の話になると途端に嘘つきになりますね」

眉間に皺を寄せて言うと、ヒューイさんが諦めたように苦笑した。

「今日面会に来てくれたのは何か用があったからではないんですか?」

突然話題を変えられてはっと本来の目的を思い出す。
そうだ。フェルメートの存在は気がかりだが、それよりも目の前の問題を解決したい。

「あの、ヒューイさんがこんな状況で聞くことではないでしょうけど……。その、私の戸籍ってどうなりました……?」

戸籍。それが無ければ私はクレアと正式に結婚が出来ない。
クレアの知り合いのマフィアやいっそクレアに相談しようかとも思ったが、ヒューイさんが捕まる前に戸籍が都合つくように手配してくれていたはずなので、そちらが問題なければそちらの戸籍を受け取りたかったのだ。

「実はそれなんですけどね、私がこの通り捕まってしまったので都合がつかなくなってしまったのです」

ヒューイさんがわざとらしく残念そうに溜息をつく。
内心は大して残念がってないのがありありと分かって思わずジト目で睨む。

「戸籍が無いのかい?」

「……はい」

ヒューイさんを睨んでいるとエルマーさんが心配そうに声をかけてくれた。

「ヴィクター、この子の戸籍なんとかならないのか?」

「は?」

「そうですね。都合つかなくなったのは貴方が私を捕まえたからですし、責任の一端はありますね」

「おいおいおい。どういう理屈だよそりゃ」

二人の不死者に同時に詰められてヴィクターさんが慌てる。
確かに国に雇われている不死者のヴィクターさんなら戸籍の都合くらいつきそうだ。

「なんでコイツ戸籍ないんだよ!不法入国か!?」

「出生届を私が出してないんです」

「出生届!?」

「その子は私の娘です」

沈黙。

「……お前よお。嘘つくならもうちょっとマシな嘘をつけよ?どうやったらお前からこの東洋人が生まれんだよ?」

「突然変異です」

いけしゃあしゃあとホラを吹くヒューイさんにヴィクターさんの青筋が復活する。すかさずヒューイさんが続けた。

「その子、婚約者がいるんですよ。戸籍がないと結婚できないでしょう?大陸横断特急に乗ってニューヨークに来たのも婚約者の家族に挨拶する為なんですよ。ヴィクター、貴方可哀相だと思いませんか?年端も行かぬ若い娘が恋に落ちた男と結ばれないなんて」

ヒューイさんにクレアの話はしたことないが、やはりバレていたらしい。
背筋が伸びる思いがした。

「素敵な人なんでしょう?貴方の婚約者は。」

まあ、私には婚約者会わせてくれなかったですけど。という一言も付け足してヒューイさんがほほ笑む。
からかいの意も含まれているのだろう。顔が少し熱くなった。

「……無理ならいいです。自分でなんとかします。ヒューイさん、今までお世話になりました。これからは自立して一人でやっていこうと思います」

「おや、残念ですね。何か生活の当てでもあるんですか」

「……かろうじて」

「かろうじて?随分と不安気ですね。やはり戸籍がないと不便なのではないですか?」

ヒューイさんがチラリとヴィクターさんを見る。

「ヴィクター、俺からも頼むよ。何とかしてやれないのか?」

エルマーさんまでヴィクターさんを見る。

数秒沈黙の後、ヴィクターさんが頭をがしがしと掻いた。

「分かったよ!戸籍の一つや二つなんとかしてやるよ!!!」





「全くどいつもこいつもろくでもないヤツばっかりだよ!」

怒声をまき散らしながらヴィクターさんがキャビネットを漁る。
連れてこられたのはおそらくヴィクターさんが通常仕事をしているオフィスだ。
オフィスにいた何人かはヴィクターさんが私を連れて戻ってきたのを見て「タルボット副部長、誰ですかその子」と不思議そうにしていたが「俺が知りてぇ!」と答えてばさばさと騒がしいヴィクターさんには興味がないらしく、すぐに各々の仕事に戻っていった。

「ほらよ!」

ばんっと目の前に書類が置かれる。

「とりあえずそこに分かる情報を書け!嘘書くんじゃねえぞ!」

書類を見ると、氏名、生年月日、年齢、住所等々の記入欄がある。
とりあえず、名前を書いて、そこで筆が止まった。

「せいねんがっぴ……」

生年月日はなんて書いたらいいだろうか。月と日は書けたとしても、生まれた年を正直に書くわけにはいかないだろう。今の年から適当に計算して書けばいいか。嘘を書くなと言われたが、こればかりは許されるだろう。
生まれ年に1903、年齢を28と記入した。

「28!?」

ヴィクターさんの声にびくつく。

十代ティーンじゃねえのか!?」

「……にじゅうはちです」

流石に三十路が近くなりつつあるこの年で十代に間違われるのはなんともいえない気持ちになった。
東洋人は西洋人に比べて童顔だが、それにしても幼すぎるだろうか。男の格好を着ているのも良くないのかもしれない。

「住所決まってないんですけど、どうしたらいいですか?」

「住所決まってないって今どこに住んでるんだよ」

「シカゴに住んでたんですけど、多分、このままニューヨークに移住することになるんです」

「じゃあ、次の家見つかるまでどこで寝泊まりする気だ?ホテルか?」

「そうですね……。ホテルか、もしくは、婚約者の知人がニューヨークにいるのでその方のお世話になると思います」

「その知人の住所分かるか?とりあえずその住所書いとけ。住所なんて後からいくらでも変更できるからな」

先程までの荒っぽい態度から変わって親切に教えてくれるヴィクターさんに従って、クレアから教えてもらっていたガンドールファミリーの事務所の住所を書く。
ヴィクターさんは根は親切な人なのかもしれない。まあ、警察だし、極悪人ではないのは確かだ。
記入した書類を渡す。

「とりあえず後はこっちで適当になんとかしてやる。感謝しろよ」

「ありがとうございます」

素直にお礼を言った私にヴィクターさんが片眉をあげる。

「さっきと違っていやに素直じゃねぇか」

「お礼を言うべきだと思ったから言っただけです」

それこそ反抗期の十代じゃないんだから、お礼位は言える。
こんな最低限の個人情報だけで戸籍を作れるはずがない。
おそらくヴィクターさんの持ちうる職権をフル活用して正規ルートとは違う形で戸籍を用意してくれるのだろう。
本来ならお礼を言うだけで済まされる話ではない。

「お前本当にヒューイの仲間か?アイツの性格や考えに意気投合するようなタイプじゃねえだろ?」

「だからもう仲間ではないのです」

ヒューイさんにはちゃんとお別れの挨拶をしてきた。
これからはクレアと共にこの国で暮らしていくのだ。可能ならば平和に。

「そうかよ。俺がお前を逮捕することがないように祈ってるぜ」

「そんなヘマしませんので大丈夫です」

「……お前な」

ヴィクターさんはからかい甲斐のある人だなぁと思わず笑みが零れた。

2017.09.04
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