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その日、さくらは宿の受付の仕事をしていた。やってくる宿泊客の案内や金銭のうけとり。女中といえどやることはたくさんだ。本日もお客は大入り。別の女中から次の部屋で最後だといわれた。
『部屋をひとつおかりしたい』
さくらは戸惑った。なぜなら二人の客に同時に言われてしまったのだ。この場合、どうすればいいのか。
笠を被り腰に刀をさげる武士らしき男二人は互いに見合っている。
「申し訳ありません。部屋がひとつしか空いておりませんもので…その…」
その言葉を聞いて二人はさらに険しい表情。すると彼らは言い合いを始めてしまう。
「おぬし、あとからこの宿に参られたであろう。私はしばらくこの宿にいた。なので私が先だ」
「何を言う。そなたこそ後から来られたじゃないか。適当なことを言ってだしぬくでない」
「なにを?おい女中。私は宿代を増しで払う。だから私に部屋を借せ」「なら私は倍払おう!」「なに!」「なにを!?」
勢いが増していく言い合いにまずは二人を落ち着かせねばと間に入ろうとするも大柄の男が二人。その圧力に負けてしまい、なかなか言い合いを止めることができない。周りのお客もなんだなんだと集まり始めている。
(間宮さまにお伝えしよう…!)
間宮に報告に向かおうときびすを返した時だった。
「お待ちください。二人とも」
一人の声がざわつく周りをしんとさせた。突然静かになった周りに、男二人もあたりを見回す。すると若い男が前へ出てきた。
腰に長い刀を差している。彼も武士なのだろうか。その男は二人にこう言った。
「私の部屋を使うといいでしょう。私はほかにあてがあります。金も不要です。女中さん。金吾という名が借りた部屋は、この二人のだれかに変えてやってください。では、失礼」
口早にそう伝えた金吾という名の武士は宿を出て行ってしまう。さくらは本日の部屋の帳簿をみると、確かに金吾という名のお客が一人泊まっている。
「…なんというお方だ。まだあれだけ若いというのに…私ときたらはずかしい」「同じく、私もだ」
金吾という武士が去ったあと、男二人は落ち着いたようで、自分の言動に反省をしていた。
なんとか場は収まったのだろうか…ほっと胸をなでおろすさくら。しかし、武士というのは昔から怖いものだとおもっていたが、あのように物腰の穏やかな方もいらっしゃるのか、とさくらは思った。
言い合っていた男たちも改め謝罪をしていた。
「ということが今朝あったんです」
昼過ぎ。いつものように炭を届けにやってきた庄左ヱ門にそのことを話す。ひとしきり話を聞いて彼は実は…と口を開いた。
「その人…うちに来てるんだ」
ええ?と聞き返すさくら。彼は確か当てがあると言っていた。それは黒木屋のことだったのか。
彼には武士の知り合いもいるのか…改めて庄左ヱ門の人脈の広さを感じる。
「そうだったのですね。いえ、その方には申し訳ないことをしたと思ったんです。せっかくうちにいらしてたのに、お金も返せていないし…そうだ!よければ夕方椿亭でごはんを食べにいらしてください!」
彼女は金吾という男性に申し訳なさを感じていた。間宮にそれを話すとなぜひきとめなかったのだ、お詫びもせずに帰すなど宿屋としておもてなしの心が足りていない!とまで言われてしまったのもある。それがこうして再会できるのであればこの機会を逃すわけにはいかない。
「わかった。金吾に伝えておくよ」
「何をおっしゃってますか。黒木屋さんも来てください!あと庄二郎くんも」
「僕たちもいいの?」
「うちのせいで黒木屋さんにご迷惑をおかけしてるんですから。絶対に来てくださいね!」
迷惑だなんて思ってないよ、と庄左ヱ門が言おうとする前に、彼女は炭を運んで行ってしまった。
夕方、人々が商売を終え、それぞれの帰路を辿っている時間。椿亭の食事処は宿泊客で非常ににぎわっていた。
そんななか、庄左ヱ門と金吾が椿亭へとやってくる。事前に食事を用意していたさくらは庄左ヱ門を見つけ、笑顔で迎えた。
「やあ、ご厚意に甘えて三人でやってきました。」「…どうも」
「いらっしゃいませ。お待ちしていました。こちらへどーぞ」
二人を席へ案内する。そうして改めて金吾へ深々と頭をさげた。
「今朝は大変ご迷惑をおかけしました。金吾様のおかげで騒動も収まりました。こちらは宿泊の代金です。お返しいたしますので…」
「い、いいですよ。私は払ったつもりですし」
「いえ…そういうわけには…」「じゃあ、これは庄左ヱ門にあげて」
銭をぽいと庄左ヱ門に渡す。えぇ?と突然巻き込まれて困惑する庄左ヱ門。
「庄左ヱ門んちの宿代」
「もう、適当なんだから。何かのためにとっておくよ」
「じゃあ、ごゆっくりどうぞ」
そういってさくらは三人のそばを離れていった。この客入りだ。きっと忙しい中だったのだろう。
庄左ヱ門は彼女の背中を見送ると、金吾がそっと声をかけた。
「ねぇ、つけてきてる?」
「いや、今は気配を感じないよ」
そうか…と金吾はやっと息をついた。
「さすが忍者宿。警備もばっちりだね」
「ただ、見失ってるだけだとおもうけど」
そっと刀をおろす金吾。行儀よく座っていた庄二郎が小首をかしげた。
「だれなんでしょう?金吾さんをつけてる人って」「きっと忍者だろうな」
「勤めてる城から、指令を受けて牢人に化けて仕事をしている最中…ずっとつけているんだ」
金吾はここまでの道中を思い返す。故郷の相模から出発してからその視線が消えることはなかった。
誰かが自分の動きを監視している。彼も忍者である。もしかしたら狙われるかもしれない。そんな緊張をいままでずっと一人で耐えてきたのだ。
「狙うタイミングはいくらでもあったはずなんだ。でもなにもしてこないのが、また妙に気になってさ…」
「決定的な証拠をつかもうとしているのかも。用心したほうがよさそうだ」
「あのう…」「どうした庄二郎」
話の腰を折るようで申し訳ないのですが、とちょっと恥ずかしそうにしている。
「おなかが…すきました…」
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