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もう夜も更けている時間。椿亭は静かに店じまいの準備を始める。
本日のお客様の確認、受付や食事処の掃除。受付の奥では間宮が本日の売り上げの帳簿をつけている。
さくらは表へでて、椿亭の暖簾を片付ける。そのまま戸締りをしようとして、暗闇の中で人影を見つけた。
こんな真っ暗闇の時間に人が通ることはめったにない。こんばんは、と声をかけるとその人影からの返事はなく、どさりと音を立ててその場に倒れた。
慌てて駆け寄り意識を確かめる。
「大丈夫ですか?」
「うう…もうだめだ」
「大変、お医者様を呼ばなくては!」
「お…おなかがすいた」
「へ?」
数人で倒れた男性を事務室に運びさくらは椿亭の厨房で夜食の準備をする。鍋で炊いたおかゆに漬物を添えただけの簡単なものだ。
事務室の布団で横になっている男性のもとへ行き、食事を彼の傍に置いた。
「旅の方、粥を用意しました。起き上がれますか?」「はい…いただきます…」
体を起こし、粥を食べ始める男性。一口運ぶと、どんどん粥をかきこんだ。
あっという間に器を空にした彼は布団から出て正座し頭を下げた。
「旅籠屋さん、ありがとうございます。おかげで生き返りました!」
「いえいえ、でもあんな時間にどうしてこんな状態になるまで歩いていたのですか?」
「それは…私…実は忍者でありまして…」「そうなのですか」
しばらくきょとんとした沈黙が流れる。男性は目をぱちぱちさせて、え?と聞き直した。
「あの、忍者なんですが…驚かないのですか?」
「はい…。うちは忍者も働いていたことがありますし…忍者宿って呼ばれておりますから」
忍者宿ときいて彼はここが!?とあたりを見渡した。
「噂には聞いてたけど、ここが椿亭なんですねぇ。はえ〜。あ、私は山村喜三太と申します」
喜三太と名乗る青年はにこりと人懐っこい笑顔を向ける。気の抜けそうなほどのやわらかい口調。忍者と思えぬ緊張感のなさ。
彼はここまでやってきた事情をぽつぽつと語りだした。
「私、ここから遠く離れたところにある相模の忍者の里に仕えているのですが、そこで極秘任務を任せられました。オウギタケ城に密書を届けるというものだったのですが、ここに来るまでの道のりでその情報が敵に漏れてしまい、敵忍者に狙われるなか必死でオウギタケ城を目指していました。なんとかこの町にまぎれこんで敵をまくことができたんですが、何しろ飲まず食わずで食料もありませんでしたから…お金も落としちゃってないし」
えへへ、と笑う喜三太。どうやら彼はとても危険な仕事をしていたらしい。このまま返してしまうとその敵忍者に襲われてしまうかも…。
そう心配したさくらは間宮に相談する。彼もおなじように考えていたらしい。
「山村さん、よければうちの宿に泊まっていってください。この宿は忍者宿。泊まってくる客はほぼ忍者ですから、下手なことはできません。どうでしょう?」
「それはとってもありがたいんですが、お金がないし…」
「じゃあ、明日、宿分のお手伝いをしていただくというのは?」
喜三太は自分を助けてくれたこの宿になんとか礼がしたかった。こんな自分でも役に立つならと、うなずいた。
「…わかりました!よろしくお願いします!」
間宮は人手が増えるのはありがたいとうれしそうだ。すっかり忍者の存在に慣れてしまった椿亭。さくらは彼を空き部屋に案内した。
部屋に入る間際に、ふと喜三太がこんなことを聞いた。
「この町に、確か知り合いがいるんだ。炭屋をやってて、黒木屋っていうんだけど、知ってる?」
「知ってますよ。うちが使用してる炭は黒木屋さんから仕入れてますから」「そうなんだ!会いに行ってもいいですか?」
「じゃあ、お昼前にここの宿の裏口にきてください。黒木屋さんが炭をもっていらっしゃいますから」「わかりました。さくらさん、明日はよろしくお願いします〜」
そういって部屋へ入っていった喜三太。ほわわんとした雰囲気に忍者にもいろんな人がいるなあと思うさくらであった。
そして、彼がとんでもない忍者であることを、彼女はこの時何も知らずにいたのだった。
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