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菫の花を取りに行った一年ろ組は無事に長屋へと戻る。そのまま平太の部屋に三人が集まって再び輪を囲んだ。遅れて怪士丸が風呂敷をもってやってくる。伏木蔵が怪士丸の持っている荷物に注目した。
「怪士丸、その風呂敷はなあに?」
尋ねられた怪士丸は、風呂敷を前に出し、その場に座り結び目をほどいた。解かれた風呂敷の中にはしおりに使う和紙と、辞書が積まれてあった。孫次郎がぽんと手をうつ。
「あぁ、押し花の道具だね?」
怪士丸は頷く。彼は押し花を作る手順がすでに頭にできているようだ。勉強机に怪士丸は座り、その道具を机に広げた。平太もその隣に座って摘んできた菫の花を並べる。怪士丸は平太に小さい厚めの短冊のような形に切った和紙を手渡す。
「僕の言ったとおりにすればきっとできるから」
「う、うん…」
押し花を作ったことのなかった平太は怪士丸の言ったとおりに作業をする。しおりの台紙と薄めの和紙。平太は台紙の上にまだみずみずしい菫を二輪向かい合うように並べる。その上に薄い和紙をかぶせ、重い辞書を慎重に上から載せて押す。
「これだけ?」
平太は拍子抜けしたように怪士丸をみる。怪士丸はうん、と頷いた。
「あとは風通しのいい場所に4日ぐらい置いておくんだよ。4日の朝には押し花になってると思う」
「たのしみだねえ。じゃあ4日後はすみれちゃんに会いに行くんだね」
孫次郎の言葉に平太はどきどきしてしまう。あんなにおおっぴろげに気持ちを話してしまった自分。いったいどんな顔して会いに行けばいいのか迷っていた。固まった平太の姿を見て伏木蔵と孫次郎ははなだめるように平太に言った。
「大丈夫だよぉ。ちゃんと気持ちを込めて渡せば、伝わると思うよ」
「平太なら…できるって」
孫次郎は平太の肩をぽんぽんと叩く。平太は短くうめいて縮こまった。どうやらまだ決心がつかないらしい。みんなはこの人一倍ビビりでひっこみじあんな平太をどう後押しすればいいか考える。すると怪士丸が辞書に目をやる。ふと彼の頭にある案が浮かんだ。
「ぼ、ぼく、ちゃんと話せるかな。勇気ないよ…」
「じゃあ、文字はどうかな?」
文字、と聞いたみんなが怪士丸へと視線を向ける。
「手紙ってこと?」
「ううん。もっと簡単な…でも深いもの…つまり歌だよ」
彼は辞書を借りる傍ら持っていった和歌集を風呂敷から取り出す。そこには「古今和歌集」と書いてあった。
それをみた伏木蔵が頬に手を当ててうっとりとする。
「わあ。ろまんちっくぅ!」
「それなら口下手な平太でもきちんと気持ちが伝わるね」
歌、とつぶやいて平太は渡された古今和歌集の本をぱらぱらとめくる。古の言葉で綴られたその思いの言の葉。たしか恋の歌も多々あったはずだ。さまざまな歌の文字を見つめて平太はうなる。
「いっぱいありすぎて、どれがいいんだろ…」
「その中から一つ選んでしおりの裏に書き綴るのはどう?」
孫次郎が新たに提案する。怪士丸もその案に頷いた。
「素敵だと思う〜。平太、4日目の朝までに決めて書いておきなよ」
古今和歌集をぺらぺらめくっていた平太が悩みながら頷く。平太がどんな和歌を選ぶかみんなは興味津々だった。
そうして「平太をはげます会」は終了し、彼らは解散する。夕方をすぎ、夜になっていまだ寝ようとしない同室の平太の背中姿を眠たげに孫次郎は見ていた。すでに孫次郎は床に就こうとしているが、平太は寝巻のまま机に向かっている。開いているのは忍たまの友ではなく古今和歌集だ。
「平太、寝ないの?」
「うん。もうちょっと…」
「無理しないようにね〜」
平太は生返事をして本を読んでいた。そのまま孫次郎は眠りについた。夜になると必ず怯える平太だったが、その夜から平太は怖れることも忘れて古今和歌集を読み続けていた。
あれからあっという間に4日目が過ぎた。
─4日目の朝、孫次郎は朝の日差しと物音で目が覚める。うっすらと瞼をあけると、昨晩に見た平太の背中姿があった。孫次郎は驚いて体を起こす。平太は孫次郎が起きたことに気づいて笑顔を向けた。
「…平太、もしかして昨日は寝ずにずっと考えてたの?」
「えへへ…気づいたら朝になってたよ。でもやっと歌は決めたんだ」
昨日から1日起きていたというのに平太の表情はやつれていなかった。きっと没頭して疲れが感じにくくなったのだろう。孫次郎も起き上がって平太の前の机に置かれた既に完成した押し花をみる。色鮮やかにみずみずしさはそのままにしおりに閉じ込めたその菫の花の形は美しい。
「わあ。うまくいったね。で、なんの歌にしたの?」
「…ないしょ。ほら僕にかまわず、着替えなよ」
平太はすでに制服姿になっていた。内緒にしたいという平太の気持ちを理解して孫次郎は大人しく着替えに移る。平太は集中したようすで墨と本を用意してしおりを前にしていた。その姿を横目に孫次郎はひっそりとほほ笑んでいた。
賑やかな朝食の時間も終わり、学園にのんびりとした静かな時間が流れる。今日は学園は休日。生徒は思い思いに過ごしていた。ろ組の三人は校門の前に並び、しおりと荷物を持った私服姿の平太をみつめた。
「平太、気を付けてね」
「しおり、ちゃんと渡すんだよ〜!」
送っていく友人たちをみて平太はいつもどおりの様子でうなずき、きびすを返す。校門を開けようとして、彼は振り返った。忘れ物でもしたのかと思い見ていると、気まずそうに平太がいう。
「一人でお出掛けするの、怖い」
一同が盛大にずっこける。そういえば平太は一人で出掛けるときは必ず大声で歌い恐怖をぬぐおうとするほど怖がりであった。孫次郎が平太に言い返す。
「だめだよ平太!頑張って!」
「ううっ・・・い、いってきます!」
孫次郎に励まされ、気合いを入れ直した平太は勢いのまま学園を出ていく。戸がしまり見えなくなった平太を見送って、三人はほっと息をつく。
「ちゃんと渡せるといいんだけど」
伏木蔵の言葉に、みんなは無言だったが同じ気持ちであった。空を見上げると雲ひとつない空。ふわりと風が吹いて木々が音をたてて揺れる。三人はそのまま、自分達の部屋へと帰ろうとしていた。
孫次郎が一歩、長屋に向けて歩こうとしたときだった。
「あの、すみません・・・」
聞きなれた少女の声に、彼らは足を止めた。
─ここで話は昨日の朝に遡る。平太が夜中まで起きていた日の事、川村堂ではいつもどおりの日常が流れていた。源四郎が店で預かった骨董を整理していると、昼のお使いから帰ってきたすみれが買ってきた食材を抱えてやってくる。源四郎がその荷物を受けとる。
「師匠、店の前にね、こんな手紙がおいてあったんです」
食材の他に、すみれが手にしているのは一枚の文。どこからきたのか、誰に宛てた手紙なのか一切かかれていないその文に、二人は怪訝に思う。源四郎がその手紙を開けると、短い文がかかれてあった。
『川村堂は呪われている。即刻店をたため。災いが起こる』
その文を二人は読み、源四郎は黙り、すみれは怒った。その紙をひったくり、すみれはくしゃくしゃに丸める。川村堂は呪われている、それはいままでいろんな人から言われていたことだが災いが起こると脅しのような事を言われたのは初めてだった。当然こんな文をまともに受けとるはずはない。すみれがゴミ入れにいれようとしたとき、ぽつりと源四郎が言った。
「・・・店をたため。か・・・」
「なにいってるのかしら!こんな脅しみたいなことして!」
怒るすみれとは違い、なぜか冷静に黙っている源四郎。いつもなら「こまったねえ」といって微笑み流すことの多い源四郎だったが、今回は違っていた。
「・・・すみれ、世の中にはもっとすごい作品がある」
「どうしたんです?急に。そんなことは私もわかってますよ?」
源四郎は骨董を整理していた手を止めて、すみれを見た。源四郎の雰囲気がいつもと違うと気づいたすみれは戸惑い、彼を見た。
「すみれにはそれを感じてもらいたいんだ。私も見習い時代はいろんなところへ行ったものだ」
「源四郎師匠・・・?何が仰いたいのですか?」
源四郎の言わんとしていることが理解できないすみれ。真剣な眼差しで源四郎はすみれを見つめる。
「私は川村堂をたたもうと思う」
「・・・え」
源四郎から信じられない言葉を聞いたすみれは固まる。聞き違いか、冗談だと思った。しかし源四郎はその真剣な様子を変えない。すみれは悲しい表情で源四郎を見上げた。
「なにを、いってるんです?まさかこの手紙を本気に?」
「違う。僕は君に、よりよい鑑定士になってもらいたいんだ。君は僕のもとにいないほうがいい」
川村堂をたたむことには反対のすみれ。ここは自分が弟子入りしたときからある大事な思い出のある店だ。たしかに曰く付きばかりを扱っているが、骨董屋としては落ちぶれてはないはずだ。たたむ理由などないとすみれは思った。
「私だって、まだまだ未熟ですけど、源四郎師匠の弟子だもん!川村堂がなくなるのは私は反対です!」
「ここにずっといては、君はなにも見れないまま終わってしまうんだよ。私は、僕の見た・・・いや、僕以上のものを知らなければいけないんだ」
源四郎は常々すみれに自分が見てきた素晴らしい作品の数々を実際にみてほしいと思っていた。しかい川村堂の中にいたのでは見られるものが限られてしまう。それは鑑定士として避けておかねばならないことだ。源四郎はかねてから思っていたことを、この手紙をきっかけにいうのだった。
しかし、すみれは源四郎を尊敬しており、この世界へと導いてくれた川村堂を失いたくはなかった。頼りない一面もある源四郎には自分がついていなければいけないのだと思っていた。すみれは源四郎から離れたくはないのだ。
「いやですっ。川村堂は・・・私の大事なところだから。それに師匠がいないなんて・・・いやです・・・」
「大丈夫だよ。すみれには、私の恩師である元光先生のところへ行ってもらいたいんだ。元光先生は旅をしながら鑑定をしておられるその世界では高名なお方なんだ。近々、ここにこられるそうだから、君をつれていってほしいと思っている」
元光先生は源四郎の師匠のような存在だと以前から知っている。日本を旅し各地の名品を数々手にした有名な鑑定士であり国とも渡り合える人物だと聞いている。会ってみたい人物ではあったが、元光についていってしまうと川村堂はなくなってしまう。
「元光先生のお話は聞きたいけど、川村堂はなくならないでほしいんです」
「すみれ・・・もはや僕一人じゃ、ここはやっていけないよ。でも君にはずっとここにいてほしくない。わかってくれ」
「少し、考えさせてください」
すみれは食材のこともわすれて奥の部屋へと向かう。ふさぎこんでしまったすみれの様子を心配しつつ、源四郎は風呂敷いっぱいにつつまれた野菜を見ていた。
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