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昼餉を終えた後、あやめは屋敷の食事の片付けをするために井戸のそばにきた。井戸のとなりにつまれた食事の終えた者達の山ほどの食器を見てあやめはため息をつく。ほかの下働きは他の仕事があるため、あやめに食器洗いはすべて任せられている。見ていても仕方ない、とあやめは気合いを入れ直し、たすきを肩にかけた。
しばらく無心に食器を洗っていると奥から人の足音が聞こえる。下働きの者かと顔をあげるとそこにはこの屋敷の主、昌鷹が身軽な着物姿で歩いている。意外な人物にあやめが見ていると彼がこちらに気づいて手をあげた。
「やあ。あやめ、ご苦労様」
「はい。昌鷹さま。どうしてこちらに?」
彼がなぜここにきたのかと訪ねると彼はすこしきまりが悪そうに肩をすくめ苦笑いする。
「先程まで食事をしながら会合だったもんでな。気が張ってどうしようもなかったから気分転換だ」
昌鷹はあやめのとなりに詰まれた食器をみてあやめと見比べる。
「これ、全部あやめが洗うのか?」
「ええ。皆さんお忙しいみたいで」
彼はすこしそれを眺めた後うでまくりをしてその食器のそばまでよってかがむ。とつぜんなにをするのかあやめは止めようとしたが、昌鷹はひとつのお椀をもってにこりと笑う。
「私も手伝おう。どうせ部屋に戻っても難しい話ばかりだ」
「でも・・・」
「大丈夫だ。なにか言われても私が言い出したことだと説明する」
そのまま彼は井戸水で食器を洗い始めた。その楽しそうな表情にあやめも言うのをやめて共に食器を洗うことにした。しばらく洗っていると昌鷹がそうだ、と手を動かしながら顔を上げた。
「そういえば、君は草之助の姉だろう?話はできたか?」
「はい。草之助がいつもお世話になっています。おかげで元気な草之助に会うことができました」
あやめは素直に昌鷹にお礼をのべる。すると昌鷹はすこし寂しい顔を見せてせつなげに微笑んだ。
「いいさ。私も兄がたくさんいるなかの末っ子だったんだ。草之助をみるとそれを思い出す」
「そうなのですか?」
「あぁ。いまは代官なんかをやっているが生まれは町の味噌屋だった。兄たちの背中を見ていつも追いかけていた。おかげで親は私に厳しかったな・・・」
そう語る昌鷹の顔には憂いがあった。あやめはだまって話を聞いている。
「だから俺は足軽になったんだ。そうしたら案外戦えたもんでいつのまにか代官なんかやっている。不思議なものさ」
そういって彼は手を止めてあやめを見た。まっすぐな瞳だ。
「だから草之助も、大事なんだ。私は君たちに可能性があると思う。金なんぞそれにくらべたら単なるきっかけにすぎん」
昌鷹は姉を追いかける草之助に過去の自分を重ねていた。このまま消えていく希望を見過ごすことはできないと昌鷹は草之助を下働きにひきとったのだ。あやめは改めて頭を下げる。彼がいなければ弟はきっとさらに大変な思いをしていたに違いない。そんなあやめを見て彼は謙虚に首を振った。そしてぎこちなく視線をはずす。
「まあ、その、君も私にとっては希望だ。君がいいならここでずっといてもいい。あやめはほかの女中とはすこし違うし、興味がある」
「ええ。私、ただの貧乏人ですよ!借金もしてるし」
その言葉に彼は反応する。もう一度言ってくれ、と彼は真剣な眼差しで聞き返してきた。あやめは疑問に思いながらも繰り返す。
「借金もしてるし?」
「いくらだ?」
「ご、ごひゃくもん・・・」
それを聞くと昌鷹はなにか考え始めた。あやめが不思議そうに見ていると遠くから声がした。それは海老太郎の声だった。
「昌鷹どの!かってに会合を抜け出して〜!こまりますぞ」
「うわ、見つかってしまったな!すまない、また次は手伝う!」
「あ、はい・・・!」
昌鷹は海老太郎に見つかるや否や立ち上がりあやめに一言挨拶し立ち去っていった。どうやら彼は会合を終わらせる前に逃げ出したようだった。真面目そうな昌鷹だが、難しい話は嫌いなのかもしれない。そう思ってあやめは昌鷹の洗った食器を運ぼうと先程まで彼がいた場所をみると筆がおいてあった。
「あれ、これ昌鷹様のものよね」
洗い場に置かれた携帯の筆である矢立を拾いあやめはまじまじとみる。きっと洗い物をする時に濡らしてはいけないと置いたのだろう。昌鷹の部屋に届けておこうとそのままあやめは部屋へと向かった。
この時間は下女は休憩をとっているのですれ違うものも少ない。おまけに昌鷹は会合中だろう。昌鷹の部屋について、入ろうと一声をかけようとした途端、部屋の中から物音がした。もしかしたら逃げ切った彼が部屋にいるのだろうと声をかけるとなぜか女性の声がした。不思議に思って恐る恐る開けるとそこには丸子が立っていた。
「丸子?どうしたの?こんな所で」
「い、いえ。ちょっと掃除をしてたのよ」
丸子を見るが今は掃除時間ではなく、道具も持っていないのであからさまに不自然だ。未だ不思議そうにあやめが丸子を見ていると彼女はそのまま慌てたように部屋を出ていった。
「どしたんだろ。丸子」
足早に去って行った丸子をみて、あやめは呆然とする。すると丸子とすれ違いに昌鷹の姿が見えた。
「どうした?私の部屋になにかようか?」
「あ、勝手に入ってすみません!あの、この筆を届けに来たんです」
昌鷹は筆を見て思い出したのか懐に手をやった。少し照れたように笑う。
「忘れてたよ。ありがとう」
「では、私はこれで」
そうして部屋を出ようとして昌鷹があやめに声をかける。あやめが振り返ると彼は少しぎこちない様子であやめをみた。
「いや、なん、でもない。すまない。引き止めてしまって」
あやめはすこし彼の様子が違うと思ったがきっと海老太郎に追われて焦っているのだろうと思った。立ち去ろうともう一度あやめは昌鷹に頭を下げる。それを彼はだまってみていた。そういえば、ときびすを返す前にあやめは頭をあげる。
「さきほど丸子さんがいたんですが、お掃除でもお願いしたのですか?」
「丸子か?いや・・・そんなことは頼んでないが」
彼女は掃除にきたと言っていたがあれは違ったのだろうか。どこか様子も変であったしあやめは不安になる。これを昌鷹に、きり丸に言おうか悩んだが、彼女は自分の友人である。優しく気のよい丸子が間者であるはずがない、とあやめは思うことにした。
「そうですか。わかりました。では失礼します」
違和感を無理矢理ぬぐいさり、あやめは踵を返した。昌鷹はそんな彼女の後ろ姿を消えるまで決して目を離さず見守っていた──。
きっかけの縁 −完−
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