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「土井先生からもらった仕事、やってきました」
「そうか。お疲れさま。あやめくんはどうした?」
きり丸はあやめの名前を聞いてうつむく。その様子をみて土井はきり丸と彼女になにかがあったのだと思った。きり丸は懐から銭の束を2つだして、床に置いた。
「これが、報酬の金です。ひとつは100文の僕の報酬。もうひとつの500文は、あやめの借金の分です」
「あやめくんの?どういうことだ?」
「昌鷹さんが借金を払ってくれました。あやめは今代官屋敷にいます。昌鷹さんに見初められたみたい」
代官の昌鷹はあやめの、いわばきり丸に借金を返す代わりにあやめを側に置いた。つまり500文で彼女を引き取ったということになる。これをおりんばあに返済すればきり丸は晴れて借金なしの身体になるのだ。しかし土井からみてもきり丸の表情は過去にみたこともないぐらい沈んでいた。
「僕・・・へんっすよね。あいつがちゃんと幸せになれるようにって思ったのに、いなくなっちまうとなんで俺がこんなに辛いんだろうって・・・」
きり丸の声は最後はすこし震えていた。きっと彼女の幸せに喜べない自分が自分で嫌なのだろう。しかし、土井はきり丸の気持ちがおかしいなどとは全く思わなかった。あやめという守るべきものができたきり丸はとても強かった。きっと彼女がいることで自分も救われていたのだろうと思う。
「きり丸、お前はどうしたいんだ?」
静かな土井の問いに、きり丸は床に置いた銭をつかむ。そして気持ちを確かめるようにゆっくりと、はっきりとした声で力強く答えた。
「これを返すと、全部終わっちゃう。俺は・・・終わらせたくない。この500文よりも、俺にはあやめがいてほしい」
正直な気持ちを土井に話すと、きり丸の心は落ち着いた。彼にとってはじめて銭よりも大事なものができた瞬間だった。土井はきり丸の頭に手を置いた。昔もしていたように優しく。
「お前はいつも得する方を選んだじゃないか。なにを悩んでるんだ。はやく彼女の元へいきなさい」
「土井先生・・・」
きり丸は今度こそ決心した。つかんだ銭を胸に納めて彼は立ち上がる。外はすでに夕暮れの光が差している。走って向かえば、まだ返済には間に合うはずだ。あやめと共に家に帰ろう。
「いってきます。絶対に二人で帰ってきます!」
「あぁ、いってこい」
そのままきり丸は代官屋敷へと走っていった。大事な人を取り返しにいく──その大きくなった背中をみた土井はしみじみと彼の成長を噛み締めた。
きり丸は走り続けた。夕焼けも沈みかけたころ、ひとつも休まずに彼は代官屋敷までたどり着く。そして隙を狙って忍び込んだ。どこに彼女がいるのか、屋敷の屋根の上からこっそりと下を見下ろす。すると声をかけられた。きり丸はしまったと声のした方を見下げるとそこには桶を抱えた草之助がこちらをみていた。
「きり丸さん?」
「草之助くん・・・よくわかったな」
といえど、今の自分は私服なのではたからみたら全く忍べていないのかもしれない。きり丸は隠れることをやめて草之助の前に降りる。草之助は実際に目の当たりにする忍者の動きにはしゃいでいた。
「すごいですきり丸さん!・・・でもなぜまたここに?」
「あー・・・いや・・・その」
きり丸がどう答えようか悩んでいたら、そうだ!と草之助から話を始めた。
「ねえちゃん、あの後すっごく泣きながら怒ってたんです。姉が泣いているのをみたのははじめてでした。きり丸さんと離れたくないって・・・」
「え・・・。あいつ俺のこと嫌いって」
きり丸のいないところであやめは悩み、やりようのない気持ちをぶつけていたらしい。きり丸は彼女に悪いことをしたと反省した。
「草之助くん、迎えに来たんだ。あやめを。どこにいるか教えてくれる?」
「そうだったんですね!姉も喜びます。姉なら多分昌鷹さまの所で字を教えてもらっていると思います。よんできましょうか?」
あやめは教養をつけられていないため字があまりかけなかった。昌鷹のところにいるなら話が早い。きり丸はきっちりと昌鷹に気持ちを話さなければならないからだ。
「いや、自分からいってみる。ありがとう」
そういって昌鷹のところへいこうとするきり丸をみて、草之助はすこし悩んだが、やはり伝えておくべきだろうと彼を呼び止める。
「あのっ」
「なんだ?」
きり丸は立ち止まって振り向く。草之助は笑顔だった。
「ねえちゃん、きり丸さんが来るのを待ってると思います。ねえちゃんのこと・・・よろしくおねがします」
そういって頭をさげる草之助。きり丸は腕をあげて二の腕に手をやった。いつもの猫のように彼は笑う。
「まかせとけって」
そういってきり丸は再び足を動かす。草之助はその後ろ姿を黙ってずっと見送っていた。草之助にとって姉の幸せが自分の幸せである。あやめがきり丸のそばで心から笑っているのなら、それが一番よいことなのだと。
「ねえちゃん。いい人に買われてよかったね」
誰にも聞こえないように草之助はぽつりと言った。すでに姿の消えたきり丸の背中姿を思いだし、彼は自分の仕事に戻るのだった。
きり丸は昌鷹の部屋の前で立ち止まる。すこし呼吸を整えてできるだけいつも通り声をかけた。
「ちわっす。きり丸です。昌鷹さん。話があって戻ってきました」
その声が聞こえた二人ははたと障子のむこうにいる人影に気づく。声の主に気づいたあやめがまさか、とその障子のそばへより、そっと開けた。するときり丸が真剣な顔をして部屋の前に立ち尽くしている。昌鷹は字を書いていたあやめの隣にいたらしく、机の横で正座してきり丸をみていた。
「話か。わかった。聞こう」
昌鷹は驚いた風もなくきり丸に向く。きり丸も昌鷹の正面に座りまっすぐ彼をみた。そして黙って胸から昌鷹からもらった500文をとりだし、床に置いた。昌鷹はその金をじっとみている。
「これは私が君に渡した金だ。どうかしたのか」
昌鷹が訪ねるときり丸は迷いもなく答える。あやめはきり丸の雰囲気がいつもと違うとすこし戸惑っていた。
「これはあんたに返す」
そっと床に置いた500文を昌鷹に向けて手を差し伸ばした。昌鷹はそうか、と一言言った。あやめはあのきり丸が大金を返すと聞いて驚いている。これを返してしまうとおりんばあから借りた金は返せなくなる。昌鷹もそれはすぐにわかった。
「なぜ、返すのだ?これはきり丸が借金した500文であるぞ?それをもって返済しないのか?」
昌鷹の問いにきり丸はすました顔で答えた。
「俺にとっちゃあやめがいないことが、借金を返すよりも損だってことだってわかったんでね」
「なんのことなの?きり丸・・・」
きり丸の顔を覗きこもうとしたあやめの手を、きり丸はつかみ引っ張る。すると捕まれたあやめは彼にしなだれかかってしまった。突然触れてきたきり丸にあやめはどきりとした。
「昌鷹さんに、お前を渡したくないの。だからこの金は、アンタに返す!」
「うぅ、きり丸〜!」
はっきりと昌鷹にあやめを渡さないと言い切ったきり丸に、あやめは嬉しくなる。あやめも本当はきり丸と共にいたいと思っていたからだ。きり丸がつかんだ手をあやめも強く握り返した。そんな二人の様子をみて昌鷹も困ったように、しかし満足そうに微笑んだ。
「まったくまいったな。これでは私が悪者みたいだ」
「いや、そーゆーつもりじゃないんだけどさ・・・俺もさっきまでよくわかんなかったし・・・」
そういってちょっと気まずそうに頭をかくきり丸。でも本気だと改めて姿勢を正し、昌鷹をみつめる。昌鷹もきり丸にそこまでいわれては仕方ないと言った。
「あやめも君がいなくなってずっと悩んでいたんだ。私といるよりも君と借金を返す方が幸せらしい。辛い思いをしていると思い込んだ私が浅はかだったな」
「昌鷹さん・・・ごめんなさい」
「いや、大丈夫だ」
昌鷹はあやめが幸せでありたい方の選択を選んだだけのことだと思った。そして彼も彼女の幸せを一心に願っているなら、この金はなかったことにするべきだと思った。昌鷹はきり丸の突き返してきた銭を受け取った。
その金を握って昌鷹は思う。なにもかも金で解決しようとした自分は、あやめの親とあまり変わらないのかもしれないと。都合よく彼女が不幸だと思い込み、本当に金に頼りきっていたのは自分であったのだと自覚した。しかしこの二人はそんな境遇でさえ物ともしない。
「君たちならどんな状況も不撓不屈の精神で乗り越えそうだな」
そういって昌鷹は二人に微笑んだのだった。
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