恋とはやばいものである1



忍術学園を卒業して数年。笹山兵太夫は忍者の仕事をする傍ら、武士として丹波の一部の領地を守護する役人になっていた。つまり彼の仮面は二つある。下克上を行ったとある軍の腹心として忍ぶ自分と、その軍を制圧しようとする幕府の武士として過ごす自分。戦国と呼ばれる時代にさしかかろうとしている今、このような出来事は至るところで起きている。そんななか、兵太夫は軍にも幕府にもつくことはなく、その行く末を傍観者のように見ていた。忍術をだれのために生かすでもなく、もてあましてるともいえるその状態に、彼は自分を皮肉に見ていた。

「学園にいるときの自分の方がしっかりしてたな。僕」

昼間は武家屋敷に住んでいる兵太夫。ぼんやりと庭で一人、そんなことを呟く。さらに悩ませるのは両親から届いた一通の手紙。くしゃくしゃにまとめたその紙を兵太夫はもう一度開き黙読した。

”見合いの話を持ってきた。お前も武家の者として責任を果たしなさい”

兵太夫は再びため息をつく。彼は今年19歳になる。自分は武家の一人息子だ。家元のために他の武家の娘との結婚は当然のことだった。本来ならもっと早く縁談がきてもおかしくはなかったが、自分が忍者になったことと、そういった話に一切興味を持たない自分をみて多少遠慮していたのだろう。しかし、ついに切り出されてしまった。

「最悪だ・・・」

自分は所帯を持つような人物ではないと常々思っていた兵太夫。しかし武家の息子として生まれたからには当然の流れに、どうしようもないと諦めるしかなかった。しかし、仕事にも淡白で忍術を生かせない自分を浅ましく思い蔑んでいる兵太夫にもひとつの憧れがあったのだった。

それは恋をすることだった。

これを遠い場所にいる友に言ってしまうと絶対に笑われるであろう。自分には色話の”い”の字もないぐらい子どもだ。むかしはからくりばかりに没頭して、今は仕事ばかりやっている。女性をみてときめくことはあったが、そんな自分の気持ちを打ち明けたり、なにか行動を起こしたことなど一度もなかった。周りがそんな話をしてもとんと興味はなく、黙って聞き流していた。

だからこそ、兵太夫は恋愛がしてみたかったのだ。

兵太夫は庭を歩く。戦いに備えて馬術の練習でもしようと馬の元へ行こうとしていたとき、炊事場から出てきた汚れた服の女が一人、釜を抱えて出てきた。その娘は自分と同じ年頃。焼けた化粧気のない肌だったが、少女のような儚げな表情。しかしその眼差しはきらりと光っているように見えた。

娘は今から釜を洗うのだろう。井戸のそばに寄り水を汲んでいる。兵太夫はなにも考えず、ぼんやりと彼女に吸い寄せられるように向かった。一所懸命釜をたわしで擦り洗う娘に兵太夫は影を落とす。娘はやってきた一人の武士に手を止めて頭を下げた。下女である彼女にとって武士は格上の存在だ。

「・・・・・・」
「あ、あの、なにかご無礼でも・・・」

兵太夫の無言に耐えかねて娘は恐る恐る聞く。その瞳をみて、兵太夫は決めた。

「僕の恋人になってくれない?」

一言、感情もなく言い放った兵太夫の言葉に娘の思考は吹っ飛んだ。信じられない言葉を聞いたとでも言うように「え?」と娘は震えながら聞き返した。

「今なんと・・・」
「だから、僕の恋人になってっていってるの」
「な、なぜでしょう」

突然恋人になれと言われても困ってしまうと、その理由を兵太夫に聞く。兵太夫はその疑問に特にためらいもなく答えた。彼にとって、今は恋をする相手を適当に見つけられればよかった。それはまだ恋とはなにかを知らない兵太夫の、やはり浅はかな考えだった。

「僕今度結婚することになって。どうせ政略結婚だからさあ。その前に恋愛がしたいなーって思ったの。てきとーでいいから僕と恋愛してくれない?」
「あの・・・本気ですか?」
「本気なわけないだろう?僕が本気で人を好きになるわけないんだから。まあ、いわゆるデートとか、そーゆーのがしてみたいだけ。形だけでもいいから、付き合えよ」

兵太夫の適当すぎる申し出にさすがに武士のお願いでも娘は断ろうと思った。しかし、ふと見せた兵太夫の物悲しい表情に娘は言葉をつまらせる。それは子どもがひとりぼっちになったような、なんとも言えない孤独な表情だった。

「わ、かりました。では、少しの間だけ、お付き合いします」
「うん。僕は笹山兵太夫。君の名前は?」
「わかばです」
「よろしく。わかば」

わかばは彼の寂しげな様子を無視できず、そのお願いを聞いた。まるで仕事の話をしているかのような淡々とした受け答え。わかばにはいままで恋人がいたことがなかったが、これは愛でも恋でもないことはわかっていた。

こうして二人の奇妙な恋仲の関係は始まった。その日から兵太夫はわかばが仕事を終えた後はかならず会いに来た。真夜中に隠れるように人気のない庭で二人ならんで星を見ながら語ることが多かった。話す話は他愛のないものだ。兵太夫は今日会ったとりとめのない一日を話し、わかばがそれに相づちをうつ。ただのおしゃべりだったが、兵太夫はそのやりとりに妙な安心感を持ち始めていた。

「・・・ってことがあったわけ。あいつら迂闊だろ?」
「ふふっ、兵太夫さんは賢いですから。でもすごいですね。敵を罠にかけて陥れるなんて」

戦の最中で兵太夫は道中に仕掛けた罠の話をしていた。自分の仕掛けた罠に敵がどんどんかかっていくのが楽しかった思い出を兵太夫は語っていた。わかばが兵太夫を誉めるとまんざらでもないように腕を組む。

「まあね。結構得意なんだ。罠とかからくりの仕掛けとか」
「からくり・・・昔町でからくりの見世物をみたことがあります

わかばは幼い頃、母につれられて町の見世物小屋で人形が動くからくりがあったことを思い出した。兵太夫はからくりの話題になると目を輝かせた。

「そう、そのからくり!好きなんだ。作るのも得意だよ」
「へえ、兵太夫さんって、武士の方ですのに、そんなことができるんですね」

武士、といわれて兵太夫は難しい顔をする。

「正直、僕は武士なんてなりたくなかったんだけどね」
「立派なお仕事ではないですか」
「そりゃこの時代はね。でも、もっと僕にはやりたいことがあったんだ」

兵太夫はそういってうつむく。兵太夫が恋人になってほしいと言ったときのような、寂しそうな眼差しだった。わかばは考える。彼は今の生活がきっと満たされてないのだと。まだ会ったばかりだが、なにかを諦めたかのようなその姿にわかばはなぜか胸を痛めた。

「君は、やりたいことってできてるの?」

ふと兵太夫がそんなことを聞いてきた。わかばは考える。自分はこうして下働きをして世の中の勉強をしているが、自分もいつかは実家に戻り結婚をして家庭を築かなければならない。いわば自分だって彼とおんなじなのだ。

「私は考えたこともなかったです。今やることで精一で・・・でも兵太夫さんがやりたいこと、私もやってみたいです」
「僕のやりたいことでいいの?」

兵太夫は不思議そうにわかばをみる。わかばはうなずいた。星空が輝く空を見上げてわかばは呟く。

「だって恋人の願いは叶えてあげたいじゃないですか」
「そんなもんかな・・・そうだな。僕のやりたいことは・・・」

兵太夫はそれっきり黙ってしまった。どうやらなにをしようか考えているらしい。その答えを聞けぬまま、その夜は別れ、次の朝になった。その日はわかばは非番だったが、いつもどおり早く起きてしまい、どうしようと下女たちの住み込む長屋のなかで考えていると廊下から足音が近づいてきた。



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