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久作は人ごみを抜けてしずかな通りへと出る。小川が流れる水車がならぶ通り。その側で、わかばは佇んでいた。彼女の姿を見つけた久作はわかばの元へ駆け寄った。わかばは久作をみると驚いていた。
「能勢先輩?学友の方とは一緒じゃないのですか?」
「一緒じゃない…なんでいきなり離れたんだ」
久作の言葉にわかばはきまずそうにしていた。
「あの…私が側にいると能勢先輩に迷惑になると思って」
「変なところに気を遣うなよ。あいつらにはいつでも会えるし」
「でも、能勢先輩も困ってました」
わかばはつらそうにそう言い返す。確かに一瞬彼らにからかわれるのではないかと焦ったのは本当だ。しかしそれ以上に久作はわかばと共にいたかったのだ。彼女は人一倍感受性も高くて、観察眼も鋭く、「女子と一緒にいるとからかわれる」と久作の思ったことなど軽く見通せただろうが、優しさから怒ることもせず彼の気持ちを優先させたのだ。
わかばは独り言のように自分の想いを言葉にする。
「私、能勢先輩が私の本を読んだって言った時、先輩と話せて嬉しかったんです。私は以前から図書室で真剣に作業さなっている姿が好きでした」
「えっ・・・俺の姿が?」
わかばは久作の方を見ずに小川に映る自分を見ている。その顔は微笑んでいるように見えたがどこか悲しそうだ。
「はい。あの物語の主人公は、実は能勢先輩を意識していたんです。図書室にいるといろんな人が出入りして、お話になりそうな人を探したりして・・・でも、その・・・能勢先輩を見てしまって」
物語を書くことが好きなわかばは執筆の為に図書室に行く傍ら、登場人物も身近にいる人物をあてはめていくことがあった。そのなかでも目を引いたのは一つ上の忍たま。図書委員の能勢だった。彼女はなぜか無意識に彼を目で追いかけることが多かった。本を書くために来ているので借りることもなかったわかばは能勢にも話しかけたことがなかったのだ。しかし真剣に本を取り扱う彼の姿をみるのが、わかばは好きだった。そしていつからか、図書室へ来るたび遠くから久作を見るようになったのだ。
「能勢先輩の姿を見ていると、ふっとお話の主人公の姿が浮かんだんです」
「そうだったのか。知らなかった・・・」
「だから、能勢先輩が私の本を読んでたときはすっごく焦りました」
わかばは小袖から自分の書いた本を取り出す。それを一枚一枚めくる。それは久作を思い浮かべた主人公が織り成す物語。この中の彼は真面目で、冗談の通じない、頑固な一面があった。すべて、彼女が図書室でみた久作の姿だったのだ。しかし、それはすべて自分が遠くからみた久作の、ほんの一部だ。わかばは彼のことなど知らない。ただ彼と話して、幸せな気持ちになることを空想し、夢見ていたのだ。
「一人で勝手に考えて・・・あたかも貴方と話しているみたいに錯覚して・・・私、バカみたい・・・」
そうして自分のしていることの無意味さを痛感し、涙でわかばの視界がぼんやりと滲む。はじめは憧れからだったが、この本を書いたお陰で遠くから見ていた久作と話すことができた。本を書いている間も幸せな気持ちだった。しかし、そんな気持ちは自分だけだったのだとわかばは思った。彼は自分といても迷惑になるだけなのだ。胸が苦しくなってわかばは悲しい激情にまかせ、その本を高くあげて小川に流そうとした。
「やめろ!」
その腕を久作は掴んだ。そして力任せにその本を取り上げる。久作が本をとりあげたのをみて、わかばはぽたりと涙を一滴落とした。その涙で潤んだ瞳をみて、久作は本心を彼女に話した。
「俺は・・・君の話が好きなんだ。はじめてこの本を読んだとき、どんな人がこの話を書いたんだろうかと思った。わかばが書いていると聞いたときはびっくりしたんだ。俺よりも年下の女の子が、こんな話を作るなんて」
久作は手にした本をみつめる。わかばは黙って聞いていた。
「とにかく俺はこの話が読みたかった。でも、読んでいくうちにわかばの事が頭に浮かぶんだよ。君と話したことなんてないのにこの物語を読んで俺は・・・君のことを知っていくんだ」
「そ、れは・・・」
わかばが袖でそっと涙をぬぐう。
「俺はわかばのことを知ってるのに、わかばに自分からは何も伝えてない・・・。だから、えっと、女子と出掛けるなんてはじめてだし、気のきいたこと、言えないけど・・・俺、君のことはす、素敵だなって、思う。これは、本当のことだ」
その言葉を聞いてわかばが久作の方へと向き直る。涙をぬぐったせいか、彼女の目元が少し腫れている。
「私が能勢先輩のこと、考えてても変じゃないでしょうか?」
「変じゃないけど・・・恥ずかしいかもな。あ、嫌って訳じゃないぞ」
そういってわかばは微かに微笑んだ。久作は女子にたいして気遣う気持ちをもったのははじめてだった。久作はわかばにもっと優しくしたいと思う。不思議な気持ちだった。
「もうこれ、捨てたりしないか?」
「・・・はい」
「俺のせいで台無しになっちゃったな。これじゃあ恋の話なんて、書けないよなあ」
久作は心底残念そうに呟いたが、わかばは首を小さく振った。そして一言言うのだった。
「この話の続き・・・もう書かなくてもいいかもしれません」
「どういうことだ?」
わかばは久作への憧れからこの話を書いていた。自分が決して話すことがないであろう気になる彼の姿を。しかしひょんなきっかけから今はこうして話すこともできる。近くで彼の優しさに触れることができる。わかばは本を胸に抱いて久作を見つめた。
「この話の続きは・・・これから私があなたに伝えていくんです」
そういってふいにわかばはちょこんと背伸びして久作の頬に口づけした。急に距離が近くなったわかばに久作は顔を真っ赤にさせて変な声を上げながらわかばからとっさに距離を取る。
「うわぁ!な、な・・・」
慌てる久作に笑顔を向けるわかば。そんなわかばの表情に久作は変に胸が高鳴った。わかばは改めて考える。
わかばにとってこの物語は自分の箱庭であった。しかし、ある日それは突然破られて久作が彼女の世界にやってきた。歩み寄ってくれた久作に、わかばは箱庭で一人で言葉を紡ぐことをやめて、彼にだけ、この物語の続きを送ることにしたのだ。
そんな仲睦まじい二人の姿を遠くから覗く三人の姿。それは久作の級友である三郎次、左近、四郎兵衛だった。
「なんだよあいつ、好きな子がいたなんて水くさいぞ」
「あーゆー子が好みなんだな」
「応援してあげなきゃ」
そうして事情を知った彼らは、どうやら仲直りして無事に二人で学園に帰ったその晩、忍たま長屋で当人の久作に冷やかしと質問の嵐を浴びせた。げんなりするほどからかわれた久作はやっぱり同級生には彼女のことは話せないと、色んな意味で決心する久作だった。
物語が始まるまで ー完ー
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