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「わかばさん。貴女を失いたくない。あまり無理はなさらないでください」
「どうしたの?急に変なこといって」
利吉はわかばに向き直り、まっすぐに彼女を見つめた。それは利吉の本心だった。
今のまま一人で炊き出し活動を続ければ絶対に彼女の身に何か起こるはずだ。万が一命を落とされてしまっては、この子ども達や、戦で傷ついた兵士を救う人がいなくなってしまう。・・・利吉はそう思っていたが、どうやらそれも本心とは違うらしい。利吉はわかばから目をそらし、うつむいた。
「私は、若い女性と言うものは浅はかで自分勝手なものだと思う。ほんとのこというと、寄られるとやっかいです」
「それ、いくらかっこいい利吉くんでも女の子に叩かれるわよ?」
「正直な気持ちです。皆同じものだと思っていました。でも違った。わかばさん、貴女は不思議な人だ。共にいると妙に離れなくなって、でも恐ろしいと思う時もある。この・・・この気持ちはなんなんだ?」
やはり利吉はわかばのそばにいるとひどく懐かしくて、暖かくて・・・どうしようもなく切なくなってしまう。戦も恐れぬ忍であると言うのに、一人の、普通の女性に畏怖を感じてしまう。その不思議な感覚に利吉は戸惑っていた。その感覚は母に持つ気持ちと似ていた。
「私みたいな人がきっと物珍しいのよ。よく言われるから」
「いえ・・・違うと思います」
利吉はわかばに静かに詰め寄った。利吉はいけないと思いつつも彼女を熱っぽく見つめてしまう。二度目しか会ってないと言うのに、ずっと共にいたような気がした。
「貴女は、私の母に似ているんだと思う。同じ世の中の女性でも、私の母は違った・・・私にとって、あの人は特別なんだ。だから、貴女も・・・」
「利吉さん。あなた、もしかして」
ふっとわかばは利吉の顔を覗き、きょとんと一言いった。
「マザコン?」
「だーー!」
その一言で利吉は渾身のコケを見せる。妙な雰囲気もわかばの一言でかき消されてしまった。利吉は疲れたように頭に手をやってため息をついた。
「はぁ。全くなぜ君が・・・。自分の好みを疑うよ」
「なにいってるかわかんないわ。利吉くん・・・」
「いえ、わかってもらえなくても結構です。改めて貴女に言います。私もわかばさんの行いを手伝います」
利吉のまっすぐな眼差しにわかばはぽけっとしている。前会ったときは野次馬のような態度に実は利吉のことをあまりいい目では見ていなかった。しかし、今は真剣な様子で自分の炊き出し活動を手伝いたいと言う。
「慈善活動で、ヒーローにでもなるつもり?」
「そんなつもりではありません。私は貴女を放っておけないのです。ただ、それだけです。わかばさんが皆に炊き出しをするように、私も貴女を守りたい」
「・・・」
わかばは利吉の真意を見抜こうと彼と目を合わせる。目をそらそうとしない利吉をみて、彼が本心で言っているのだと、わかばは察した。そしてくすりと笑う。
「利吉くん、変な人」
「貴女に言われたくない」
わかばは立ち上がり利吉と向かい合う。わかばは利吉のことはあまり知らないが、彼が凄腕の忍者であることは伊作から聞いて知っていた。根は手堅く真面目な利吉のことだ。仕事もコツコツ行っているのだろう。
「仕事あるんでしょ?」
「・・・」
利吉は一瞬迷いが出た。その瞬間をわかばは見逃さなかった。
「大丈夫。私、自分の覚悟はできてるつもり。利吉くんが心配する必要なんてないから」
「私は・・・」
続きを言おうとして言葉が詰まる。仕事を優先させ続けていた今の彼に、わかばの気持ちを変える力はなかった。しかし、この気持ちは本当だ。どうすればいいのか浮かばないまま、利吉は黙り込む。
返す言葉もないまま、目の前に数人の子供がやって来た。彼らはわかばの手を引いて連れていく。
「わかばさん、僕たちにもお料理教えて」
「教えて!」
「いいわよ。そうねぇ、よもぎののおひたしでも作りましょうか」
利吉はその姿を黙ってみることしか出来なかった。自分は、彼女の世界には入ることはできないのかと、遠くなっていくわかばの背中にひどく何かを喪失した気持ちになったのだった。
お昼の炊き出しが終わり、用具委員は学園へと帰っていった。利吉もわかばを自宅まで送り届けた。利吉はその帰り、ぼんやりと考えていた。浮かぶのはわかばの笑顔。彼女は本当に炊き出しの活動にやりがいを感じているのだ。そんな彼女を守りたいという気持ちと、忍びとして生きてきた自分との間に、溝がある。利吉はぼんやりしながら、意識が戻った頃には夕暮れ。もうすぐ夜がやってこようとしていた。顔をあげると見慣れた我が家があった。いつの間にか、遠い氷山に帰ってきていたのだった。
「母上、ただいま帰りました」
「利吉?おかえりなさい」
家のなかに恐る恐る入る。我が家だというのになぜかよそよそしい利吉の姿に、彼の母はすぐにその違和感を察した。縫い物をしながら母は顔をあげる。
「仕事で失敗でもしたの?」
「いえ、違います」
「そう?じゃぁ、好きな娘にでもふられたのかしら?」
母の冗談めいた言葉に利吉は黙り込む。この手の冗談には利吉はいつもそっけない態度で流すが、今日に限ってはその言葉が彼に届いてしまっている。息子のことを知り尽くしている母は彼になにかあったのだと縫い物をしていた手をとめた。
「そう。振られちゃったの」
「振られたわけでは・・・あっ」
とっさに言って利吉はしまったと視線をそらした。母のひっかけにするりとはまってしまい利吉はばつがわるそうにうなだれてため息をついた。
「母上に心配されることではありませんから」
「利吉は妙なところこどもっぽいから、あとしつこいところもあるし今後は気を付けなさい?」
「なんで振られた前提で仰るのですか・・・。私はただ・・・」
そうして利吉は黙る。脳裏に再びわかばの顔が浮かんだ。自分はわかばの背中を追いかけることができなかった。忍びとして生きていた自分を変えることに怯えてしまったのだ。人を想うことで今の仕事に抵抗を覚えてしまったらどうするのか?忍びのこと以外を考える自分が想像できずに、利吉は躊躇っていた。利吉の母は迷っている利吉の表情をみて、優しく微笑んだ。
「利吉、人は人を想うと変わるものなのですよ」
「母上・・・」
利吉は母の言葉に顔を上げる。その言葉の意味はなんだろうと、利吉は考えた。彼は母に直接的な事情は話さない。母は自分の考えていることなどすでにお見通しなのだと、改まって語ることはしなかった。
「私は、今やるべきことを行っています。自分にはそれしかないと・・・母上や父上をみてずっとその背中をみて来たのに、どうして今悩んでしまっているのか」
利吉は正座して膝にのせた拳をきつく握る。
「自分がなにをしていいのか、わからない」
利吉は独り言のようにいい放ち、囲炉裏にともる炭のほのかな明かりをみていた。寺で話したあのとき、自分は彼女にそれでも共にいたいと言い切らなくてもよかったのだろうか。言えなかったということは、自分はなにかに怯えているのだと利吉は思った。
「忍者の世界では迷うことが命取りになるわ」
「自分が、ふがいないと思います」
「私が言っているのは忍者の世界での話よ。でもふがいないのは確かね?私は貴方をそんな風に育てた覚えは、ないのだけど?」
「しかし・・・」
「利吉?」
利吉の母は完璧に美しい笑顔を向ける。利吉はその笑顔をみて背筋がぞっとした。母が完璧に美しい顔を向ける時は大体殺気だっている。
「母上、まあ、落ち着いて・・・」
「落ち着いているわよ?ただ、忍者がどうこうという前に、自分の気持ちに臆病になる我が息子がみていられないので?どうしたらいいのかしら・・・そうね」
すっと立ち上がる母。袖から出したのは一本の棒手裏剣。あっと思ったときには遅かった。
「その根性、一から鍛え直してあげましょう!」
「わー!」
利吉の足元に一本の棒手裏剣が突き刺さる。裁縫にしては大きな針を使っているなという冗談も言える雰囲気ではないと利吉は構える。次から次へと手裏剣が打たれ、利吉は床を転がり自宅の戸の前に立つ。一流忍者である彼でも目で追いかけることで必死なぐらい母の手裏剣打ちは速い。命の危機を感じた瞬間、殺傷能力の高い八方手裏剣が利吉の肩めがけて飛んでくる。利吉は間一髪でそれをかわし、そのまま家を飛び出ていった。
「失礼しました!」
利吉は走り去りながら振り返らず一言叫んで家から遠退く。母は戸の前で利吉を追いかけずに見ていた。月の明かりに照された山道はいつもより明るい。実家を追い出された利吉は今夜は家には帰れないなとため息をついた。
ふるさとの山を駆け降り、月夜に照らされた街道をあるく。この時間にあるく者はいない。利吉は開けた道の街道を黙って駆けていた。峠を越えると町が見える。その町はわかばがすむ町だった。灯の光がまばらにちらつく。利吉は足早にその町へと向かう。
(おいおい、いったいどこへいくんだ私は)
町へ入るが足は止まらない。自然ととあるところへ動いていく。行ってどうする。と自問自答しても答えはでなかった。答えを探すように、利吉はある弁当屋の前にやってきたのだった。山から駆けていったと言えど辺りはすでに深夜近い。寝ているだろうと思ったが、うっすらぼんやると灯が店から漏れている。まさかと思いつつ、利吉は戸の前で控えめに声をかけた。
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