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「わかば・・・さん?」
声をかけると足音が近づいていく。
「どなた?」
「私、です。山田利吉です」
閉まっていた戸ががらがらと開く。ふわりとだしのような香りと暖かい空気が流れてきた。わかばは深夜近くにやってきた利吉に少し驚いていた。わかばはそのまま利吉を店の中にいれる。利吉は部屋には上がらず玄関の前で腰をかけた。わかばはすぐにわかばにあたたかいお茶の組まれた湯飲みを渡した。
「どうしたの、利吉くん。こんな時間に」
「すみません。非常識ですよね」
利吉は頭を下げる。突然の来訪に驚いたものの、利吉も相手に迷惑をかけていると思っているらしい。利吉はきっと彼女はすでに寝ているだろうと思っていた。黙って帰ろうと思っていたが、まさか起きていると思わず、上がり込んでしまった。
「なにかあったの?女の子に振られた?」
「同じことをいうんだな」
くすりと利吉は力なく笑う。ムキになって怒るのではと思っていたが、どこか元気のない利吉をわかばは心配した。
「利吉くんかっこいいからすぐ他の子が来てくれるわよ。元気出して?」
「いや、そういうことじゃないんですが・・・。あ、いや、それよりわかばさんはなぜこんな夜更けまで起きてるんです?」
わかばは店内の奥にある厨房を指差す。
「明日の弁当の仕込み。手間がかかってるから大変なのよ。でもきっと美味しいわよ」
「さすがですね。本当に、貴女はすごい人だ」
ため息をつくように利吉は言う。その儚げな表情はまるで子供のようだった。わかばは手を前掛けでぬぐい、利吉の隣に腰かける。
「利吉くんは一流の忍者って言われてるんでしょ?すごいじゃない」
「前までは僕もそう思ってたけどね。でも、貴女をみてそれは愚かだったと思った。今まで自分は一流、なんて言われて調子にのっていたんだ」
利吉は顔をあげてわかばをみる。
「わかばさんほどの覚悟は、僕にはないんだ」
「利吉くん・・・私を買い被りすぎよ。私は忍者にはなれないもの。私も利吉くんと同じ。忍者って大変なんでしょ?おばちゃんから聞いたことあるの。だから、落ち込まなくていいと思うわ」
わかばは利吉の顔を見返して笑う。その焼けた頬と母のように微笑む顔は、利吉の胸を締め付けた。やはり、何度思い直しても、利吉にとってわかばは特別な存在だった。
「本当に私と貴女が一緒だと思いますか?」
利吉は無意識にわかばの手に自分の手を重ねた。わかばはその手を受け入れた。利吉との距離がつまる。
「わかばさん、私はやはり貴女の前で嘘はつけません。本当は、そばにいたい。たとえ自分が忍者であろうとも。傷つけてばかりの私でも」
「それを言いに来たのね」
「いや・・・まあ、とある方からものすごい激励をされまして・・・」
気まずそうに利吉はごにょごにょ言っている。わかばは頬を少し赤らめている利吉をみて微笑んだ。
「そうねえ。・・・私はずっと一人でこの生活をしているし。でもそうなると利吉くん、一生私のそばにいなくちゃいけなくなるわよ?」
利吉はその言葉を聞いてきょとんとしていた。どうやら自分の真意は伝わっていないのだと思った。
「そのつもりです。ずっとわかばさんのそばにいます。むしろ、他の奴といないでほしいですね」
「・・・え!?」
わかばがやっとその意味に気づいて驚く瞬間に利吉は離そうとしたわかばの手を引き寄せて自分に身体をもたれさせた。わかばは戸惑って慌てたように利吉を見た。
「本気?私全然色気もないし・・・」
「さっき本気になりました。あと十分ありますから。自覚してください」
「それに色より料理なんだけど」
「知っています」
「どうして私なの?」
わかばの問いに利吉は少し考えた。出会った時はわかばに恐怖した印象が強かったはず。しかし、女性と言う概念を変えたことや、母のように尊敬し、畏怖する存在と共に利吉は強くわかばに特別視をむけるようになったのだ。しかし、その気持ちの正体はやはり利吉ははっきりとわからないままだった。
「わかりません」
「嫌い」
「はは、すみません。でも本気なのは本当です。本当に・・・あなたのことが・・・」
胸がいっぱいになった利吉はそこで言葉にするのをやめてわかばをだきしめた。わかばは利吉の想いに驚いたが、本気で自分に歩み寄ろうとしてくれる利吉に、少し気持ちを許していた。
「じゃあ、いまから仕込み手伝ってくれる?」
「・・・へ、今、ですか?」
「いったでしょう?私、色より料理なの」
ぱっと離れたわかばは照れた様子を少し見せただけで、いつもの真剣な眼差しを利吉に向けた。多少甘い展開を考えていた利吉は肩透かしをくらっていた。しかし、そんなわかばが自分は好きなのだと思った。しかし利吉はまだ彼女に向かい合って好きだと言うことは照れてできなかった。母からこどもっぽいと言われたが、言い返せないなと利吉は内心自分を笑った。
「わかりました。僕は貴女には逆らえませんから」
「じゃ、ちょっとまってて」
自室に行ってしまったわかば。少しすると手に白い布を持って戻ってきた。それを広げるとひらひらした女物のような割烹着だった。まさか、と利吉は後ずさる。
「これ着て」
「はあ?私が!?これを?」
嫌そうな顔をして身を引く利吉をわかばは睨む。
「やっぱり一流忍者さんにはこんなカッコは無理かしら」
その一言に利吉は一瞬固まる。そしてなにやらぶつぶついいつつその割烹着を手に取った。そして大きなため息をついてうなだれた。
「決めましたから。とても不本意ですけどやります」
「うふふ、利吉くんかっこいいわ」
今まで言われ慣れてきた言葉だったはずなのに、彼女に言われるとなぜか心がときめいた。惚れた弱味なのか、それとも断った際に向けられる底冷えするような冷たい視線を恐れてか、この妙な気持ちはどう言葉にしていいかわからなかった。
これは、わかばと利吉がともに歩むための一歩であると、数年先には二人の中がが噂になるのも知らない利吉は微笑むわかばの笑顔をみつめつつ、惚れた弱味にその割烹着を着込むのだった──。
飯夜叉物語 ー完ー
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