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昼になり、きり丸はある長屋の前に立ち止まる。ここは昔、きり丸と土井が同居していた長屋だ。この長屋にはたくさんの、本当にたくさんの思い出がある。
呆然と見ていると近づく人影に気づいてきり丸は振り返った。その人は当時なにかとお世話になった隣のおばちゃんだ。
「きりちゃん!おかえり。帰ってきたんだね?」
「あ、おばちゃん。ただいま。土井先生は・・・学園かな」
戸締まりされているのをみて、きり丸はしょんぼりとしてしまう。その姿をみておばちゃんは笑った。
「今朝はいたわよ。そのうち戻ってくると思うけど」
「そっか・・・じゃ、待っとこうかなぁ。うーん」
やけに悩んでいるきり丸に、隣のおばちゃんはきり丸らしくないと首をかしげた。そしてすぐにハッとしてキラリと目を光らせる。
「何かあったわね?」
「へ?い、いや、別にたいしたことじゃないっすよ」
「だってきりちゃん、普段悩まないでしょ?」
「なにいってんです。僕だって悩みますよ〜」
「やっぱり悩んでるわね!」
「いや〜ちょっとわかんないことがあって土井先生に聞きに行くだけなんです」
「わかったわ。女の子の事でしょう?きりちゃんもいい年ごろだからねえ。でも半助に聞くのはやめときなさい」
おばちゃんの「女の子の事」と言われて自然と顔が赤くなるきり丸。確かにあやめのことではあるが、女の子の事、などという感覚ではなかったため焦ってしまう。色恋と感づいたおばちゃんの瞳は爛々と輝いている。
「半助は女の気持ちにはからっきしなんだから!そんな人に恋愛の事を聞いても失敗するだけよ。おばちゃんはそこんとこ経験豊富だから任せなさい」
「あのあの・・・そうじゃなくてぇ〜」
「おや、きり丸、来てたのか?」
たじたじになっていると後ろから聞きなれた声がやってきた。振り向くと買い出しから戻ってきた土井が背負い子に食材をのせてこちらに来ていた。きり丸は後ずさりして土井の隣まで下がる。その不自然な様子に土井は首を傾げた。
「半助、きりちゃん女の子の事で悩んでるみたいよ。あんた先生ならそういうことも教えときなさいよ」
「何を言っているんですか。おばちゃん・・・」
「と、とりあえず僕は土井先生に用事があるので!」
勝手に戸を開けてきり丸は土井の部屋に入ってしまう。おばちゃんのお節介には昔からのことだが、妙に焦っているきり丸を見るとあながち本当にそういった話かもしれない。土井は隣のおばちゃんに頭を下げた。
「私じゃわからないことはおばちゃんに聞きますから」
「ええ、任せてちょうだい。ほほほ、きりちゃんも隅に置けないねえ」
上機嫌でその場を去っていくおばちゃんを見送って土井は自分の部屋にはいる。きり丸はぶつぶつと何か言いながらあぐらをかいて荷をほどいていた。
土井も食材を置き、戸を開けて風を通す。ふわりと乾いた秋風が部屋の中に入ってきた。
「どうした?おりんさんに金が返せなかったのか?」
「今日完済しました。長かった・・・」
それを聞いて土井は或る程度予想が出来た。あやめとの生活は借金と言う共通点から生まれたものだ。それがなくなれば、きっと二人の関係は変わるだろうと大方見えていたからだ。しかし土井はこちらから根掘り葉掘り聞くつもりはない。
「頑張ったな。その報告に来たのだろう?」
「うーん。半分そうなんすけど・・・半分違う、みたいな」
桶に汲まれた水を湯飲みについできり丸に渡す。それをうけとりきり丸はぼんやり言った。それは独り言のようだった。
「俺がここを出てった時、土井先生どんな気持ちだったんだろって思って」
「お前がここを出ていったとき?そうだな・・・すごく」
土井もきり丸と向かい合って座る。そして腕を組んで答えた。
「すごく?」
「心配だった」
その言葉にきり丸は妙にじーんとしてしまう。きり丸と土井の関係は他人と言うには近く、家族と言うには少し遠い、不思議な関係であったが、教え子の心配をしてくれる土井にきり丸は感動した。のだが
「お前は成績はわるかったし忍たま長屋でも問題ばかり起こしてたし、毎日妙なことに巻き込まれるし、そんな子がまともに一人で暮らせるもんかと心配で」
「感動を返してください」
一瞬で真顔になったきり丸。土井に冗談だ、と返される。笑えないきり丸はからかわないでください、と子供のようにそっぽ向いた。
「今しっかりしてるじゃないか。まあ、それでも騒動には巻き込まれているみたいだがな。で、それがどうかしたか?」
「えっと、・・・あやめのことなんですが、どうしようかと思ってます。あいつにはあいつの人生があると思うんです。それに弟さんのこともあるし・・・」
「そうか。あやめさんはどうおもっているんだ?」
きり丸はあやめのそぶりを思い出す。こちらに気を使っているようにみえた。・・・が反面自分と一緒にいたいと思ってくれているのではという変な期待、のようなものがきり丸にあった。そして自分は彼女とずっとこの生活ができたらいいのにという気持ちがあるのだ。
そんなわがままはあってはならない。本来なら自分も土井のように彼女を見送ってやらねばならないのだ。きり丸はそう自分に言い聞かせていた。
「わかりません。でもあやめのやりたいことを俺は応援するつもりです」
なにかをためらうような物言い。きり丸のその言葉は彼らしく思えなかった。本音を隠していると土井はすぐに見破った。土井は少し意地悪な事を聞いてみる。
「では、あやめさんが一人暮らしして、いずれ誰かと結婚して家庭を持つことも応援してるということだな?」
「えっ!?」
きり丸は土井の不意の言葉に戸惑った。あやめがいずれ結婚して、家庭持つ?きり丸は少し想像した。そして笑って土井に言い返す。
「なにいってんですか!あいつが結婚なんてできるわけないじゃないですか。あんな無愛想乱暴娘・・・」
「そう思ってるのはお前だけだ。あやめさんは評判がいいぞ。器量良しだしお前と苦労してる分、尖ったところもないし・・・現にこないだ寄ったとき、向かいの長屋の男性と仲良さげに洗濯していたし」
その言葉にきり丸の笑みは徐々に消える。ぎこちない様子で「向かいの由吉さんが?」と呟いていた。心当たりがあるらしい。
「お前が思っているより、あやめさんは魅力的なんだ。十分ありえる話だろう?」
「あいつが、一人立ちして結婚ね・・・」
きり丸は少し腑に落ちないようにあぐらをかいた膝に肘をのせて頬杖をつく。土井の言葉にきり丸はかかっていた靄がさらに濃くなっていく。まるで自分の所有物を奪われるような、きり丸にとってとても嫌な感覚がした。
(勝手に決められちゃ困る。勝手に・・・だってあいつは俺が三百文で)
とんでもない事を考えているのに気づいてきり丸は首を振った。
「うかうかしてると、ほかの人にあやめさんを取られてしまうかもしれないな?」
「とられる・・・?」
きり丸は”とられる”という言葉に反応した。もらう、の反対であるその言葉はどケチのきり丸にとってどうしても聞き捨てならない言葉だった。もちろんあやめを物のように扱うわけではないが、そのとられるという言葉以外に、彼は妙に独占欲のようなものが湧いた。
「あいつに興味あるやつがいるなんて・・・」
俺以外いないと思ってた、ときり丸は最後の言葉を飲み込む。しかし土井にはきり丸の言わんとしていることが分かっていた。彼は土井のささいな一言で自分があやめをどう思っているのかを自覚しかけていた。ほんのり頬を染めてきり丸はそっぽむく。
「おれ・・・自分のもんがとられるのは嫌だから。あくまで、そういうことですから」
「そうか。お前らしいな」
素直に認めようとしないきり丸のひねた態度に相変わらずだと苦笑いする。きり丸が自分の気持ちに正直にならねばならないのも、時間の問題だろうと思った土井は彼をからかうのもそこそこにして、土井はそうだ、と腕を組んだ。彼は「花園屋を知っているか」とおもむろに聞く。
「知ってますよ。僕の住んでる町からそれなりに近いんです。変に儲かってたみたいですけど」
「この間出張の帰り、お前の所へ行こうとしてその花園屋を見かけたが、変に華やかな割には人気が少ないのが気になってな・・・しかも店内に入る人は男が多い」
一般的にきらびやかな小間物屋は女性に人気である。土井が微かな異変を察知して様子を見ていると所々女性がやってくるが店内に入るのは男が多いらしい。女性は店内に入ってもすぐに出て行ってしまう。ますます怪しいと思った土井は客のふりをしてその花園屋へと向かった。すると店の奥からすっと姿を現したのは妙にきれいな着物を着こんだ肌の白い美女。その雰囲気といでたちを見て土井はすぐにここがどんな場所であるかを察した。土井は中の商品を見ないかと声をかけられたがきっぱりと断って去ったのだった。
「げえ、やっぱりろくでもない店だな。あいつを近寄らせなくてよかったぜ」
「そうなのか?」
土井はきり丸の言葉に反応を示す。きり丸はさきほど花園屋に二人で寄ったこと、あやめが勧誘されていたことを話すと表情を曇らせた。
「それはまずいな。今あやめさんは自立しようといわば仕事を探している状態だ。もしその花園屋に興味を持っているのだとしたら・・・今ごろ・・・」
考えすぎかもしれないがその予測は妙に現実味を帯びたように感じた。昔から土井の予測はよく当たる。きり丸は念のためにもう一度花園屋を調べてみようと思いおもむろに立ち上がった。土井も同じく立ち上がる。二人は口に出さずとも同じ思いだった。
”あの店に行くことは彼女ならありえる”
自立心の強い、世間知らずなあやめなら十分ありえることだと思っていた。二人は荷物を持ち足早に長屋を出ていった。
一方そんな二人の予想通り、あやめはきり丸と通った大きな小間物屋である「花園屋」へとたどり着いていた。店前に人の気配を察した花園屋の番頭である池郎は顔を出してその人物を見てはたと思う。さきほどカエデと共に見た女だと思ったのだ。あのときは男と一緒だったが今は一人で来ているらしい。男は愛想笑いを作りその女のもとへと行った、
「どうも、さきほどのお嬢さんですね」
「あぁ、はい。前に来たときに話していたことが気になって。一人で来たんです」
なにも知らないカモが寄ってきた──男は心のなかでほくそ笑む。ここに来る女は騙されてくるか、金ほしさに自分を売る者だけだ。
「私、自立したくて。ここで働かせてもらえたら一人立ちできるかもしれないと思ったんです」
「そうかい。来てくれるかい。給金はうちは他と比べ物にならんよ。すぐに金がたまると思うよ」
池郎はあやめの手首を乱暴に掴む。その物のように扱う男の仕草は以前あやめは感じたことがあった。町で売られた時と同じ扱いだった。腕を払ってあやめは池郎をにらむ。
「あのっ、いきなりなんですか」
「いきなりもなにも、うちで働きたいんだろう。なら君は今からうちの商品だ」
「商品って人をモノみたいに・・・」
言い返していると奥からやって来たのはカエデだった。美しい着物姿に艶やかな出で立ち。彼女は池郎をみてため息をついた。
「池郎はすぐに事を持っていこうとするから逃げられるんだよ。アンタ、ここがどういうところだかしっているの?」
切れ長の瞳に見つめられてあやめは二人をにらんだ。
「小間物屋じゃないことはさっきわかりました」
「ほら、説明してない」
池郎は舌打ちする。そして手首を離した。
「おまえの言う通りここは小間物屋じゃない。もうわかっているんだろう。てっとりばやく金がほしいならここが一番だ」
「さいってい!そうやって騙して足元みて、女の人を集めてるんでしょう!」
「本当にあの男のいった通りだな・・・」
噛みつかん勢いで池郎をにらむあやめ。カエデは黙ってみている。その眼差しはじっとあやめに向けられていた。そしてふっと言葉を呟いた。
「あんた、ツレにはここのことをいったの?」
「ツレ?きり丸のこと?あいつはここはやめとけって・・・」
そういってあやめはきり丸はここの店の正体について実は知っていたことをようやく理解する。カエデはその言葉を聞いて池郎に言いかけた。するともう一つの足音が聞こえてくる。
「あ〜すみませぇん。ちょっといいっすか」
そういって入ってきた人物をみてあやめは驚く。それはきり丸だった。きり丸はあやめの顔をみるやいなやほっとしたようだった。そしてすぐに呆れたようにあやめをにらんで手を組んだ。
「やーっぱりここにいたな?おまえの考えていることは俺にはちゃーんとわかるぜ」
「きりまるっ!聞いてよここ、とんでもない所なのよ」
「やっと気づいたのかよ・・・お前ってほんと世間知らずだよな」
「いま私を馬鹿にしてる場合じゃないでしょう!」
「馬鹿にしてる場合だ!俺に言わずに勝手に仕事なんか探そうったってうまくいきっこないんだ」
「なんですって。私だってそれぐらいできるんだからっ」
きり丸とあやめが言い合いを初めてしまい蚊帳の外になってしまった池郎とカエデ。二人に遠慮するように池郎は声をかけた。
「あの〜、痴話喧嘩なら結構ですんで・・・」
「誰のせいよ!」「あんたがこいつに変なことをいったのが発端なんだ!」
「ひい」
二人して怒られてしまった池郎はカエデのそばに隠れる。客人に気圧される番頭をみてカエデは肩をすくめた。
「なにおされてるのよ。池郎、どうするの。この子を取るの、取らないの」
「こんな食えない女いらないよ。あんた、持って帰ってくれ!」
言い合いをしていた二人が池郎の言葉を聞いて黙りこむ。そしてカエデは冷静にあやめに「どうする?」と聞いていた。あやめは考える間もなく「帰る」と一言言った。その言葉に池郎はほっとする。
「じゃあさっさとお引き取りください・・・」
「でも、この店は放っておけないわ!だってそこの女の人も騙されて雇われてるんでしょ」
カエデははっと顔をあげた。あやめは不当な商売をしているこの花園屋の実態を知って無視することはできなかった。それはきり丸も同じ気持ちだった。
「でも仕方ないことよ。私はあんたみたいに守ってくれる人なんていやしなかったし。これはばかなあたしの結果なのよ」
「カエデ」
しんみりと心情を語るカエデをみんなは見つめる。しかしそのなかでもきり丸はいつも通りだった。
「悪徳商売は取り締まられるのが常識だ。花園屋さん」
「どういうことだ?」
池郎はやけに冷静なきり丸へと視線をやる。女性をつかって儲けようなど人道の外れた行為はきり丸は大嫌いだった。きり丸は池郎をするどい目付きで睨んだ。
「ここの商売のこと、ざっと調べて役人に伝えておいたぜ。ここの大名は良識のある真面目なお方だからな・・。間違いなく取り締まられるぞ」
「嘘だ。そう易々役人が動くわけないだろう」
きり丸は忍び。城相手に契約を持ちかけるフリーの忍者である。この町に住み始めたのもこの領内を管轄する大名と面識があってのこと。この国の大名は町の平穏を脅かす不埒な輩をみすみす見逃さないと常日頃唱えるほど誠心誠意で真面目な大名だ。
「きり丸、やってるか?」
そこからやって来たのは土井。彼は一枚の書状を手に持っていた。きり丸はまってましたと笑顔を向けた。
「花園屋、女性を騙し、小間物屋を装いこのような不当な商売を行うのは危ないぞ」
そういって土井は池郎に書状を渡す。それを受け取り開き、黙読して彼は血相を変えた。
「これはこの国の守護大名の直接の取り抑えの書状ではないか!なぜお前のようなやつが・・・」
「俺みたいなやつってどーゆうやつだよ」
慌てた池郎はこの者達は只者ではないと察した池郎は、この書状の通りであればもうすぐ役人の武士がこの店を差し押さえて来るだろうと思った。今すぐにこの町を去らねば捕まってしまうと男は急いで奥へと行ってしまう。
「さて、無事に逃げられるかな」
土井はその様子を楽しんでいるかのように呟く。彼の様子からしてもう既に手は打ってあるようで男に逃げ場は無いようだった。きり丸達と関わってしまったのが運の尽きである。
「そうか、ここももうお仕舞いなんだね」
「おねーさん・・・」
カエデは力が抜けたように呟く。彼女は被害者である。つよく処罰は無いだろう。カエデはあやめへと顔を向けた。
「あんた、その人大事にしなよ。あたしも、これからそんな人を見つけなきゃね」
カエデはその化粧に似合わない素朴な笑みを三人に向けていた。
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