猜疑心は海の底


小萩は左近の部屋で三郎次、左近と向き合い、静かに語り始める。戸は開いており、潮風がゆるやかに入り込み、香っている。夏の斬り込むような日差しが差し込んでいた。

「私は、アラナミ城の護衛剣士でした」

アラナミ城はここからひとつ山を越えた先が領地だ。同じく港が栄えた土地だが、もっぱら外国の兵器を輸入している。豊かな国と言われ、兵力に物を言わすようななりふりかまわず戦を仕掛ける国風は、近くに接する三郎次のいる朝凪城やチエナミ村を領地とする国も、少し手を焼いている。

「殿の護衛をしている時に、このチエナミ村を攻略するという謀略を聞いたのです。私はどこの国のものでもない事を、油断したのでしょう。私のいる場所でも平気で話していた」

その言葉を聞いた左近は腕を組み、すこし困ったような表情をみせた。

「やっぱりね。アラナミ城はチエナミ村によくちょっかいをかけているからね。そのたびここの国と朝凪城が追い払っているみたいだけど」

左近の言葉に三郎次も少々刺々しく反応する。

「まあ、今後の課題でもあるところだな…。で、アラナミ城の護衛してたんだろ?なんでそんなあんたが今チエナミ村にいるのさ」

三郎次は小萩の言葉に半信半疑、といった様子だ。小萩はふと三郎次を一瞥し、再び語る。

「正直、アラナミ城は壊滅寸前です。軍もまとめきれず、ほぼ部外者の私がいる間に謀略を大声で話すような具合です。豊かなどと言いますが、その分消耗も著しい国です。いえ、むしろ、消費が上回っています。私はただの護衛雇われの身。給金も貰えるかどうかわからない状況ですし、早々に、見切りをつけようと思いました。そしてその謀略というのは…」

小萩は剣士だ。勢いのある国の剣士になって名を売れば仕事は舞い込んでくるし、剣豪として名を馳せることができる。そんな野望は小萩も例外ではなかった。
小萩は声を小さくする。視線が三郎次へと向く。

「チエナミ村を超えた辺りに配置された、朝凪国の国士館に間者を送り込むのです。そして内部から、混乱させその騒動に乗じて警備の薄くなったチエナミ村を攻撃する、という内容です」
「なんだって?朝凪が?」

まさか、ここで自分の所属する国の名がでるとは思わず驚く三郎次。アラナミ城が朝凪を敵視しているのは把握していたが、そんな謀略があったなどとはさすがに知らなかった

「私はその情報を持ち出し、その朝凪の国士館へ報告をしようと思いました」

「朝凪城にアラナミの作戦を告発しようとしたの?」

左近が聞くと小萩頷いた。朝凪の国司館とはチエナミ村の国との同盟を結んだ際にできた小さな行政所だ。チエナミ村は朝凪城に物資を支援し、朝凪城はチエナミ村の防御を強化するという仕組みだ。戦う手立ての少ないチエナミ村は朝凪城の支援の下平和に暮らし、朝凪城は豊かな物資を蓄えることができる釣り合いの取れた関係なのだ。国士館には多くの朝凪城の国司と兵士が駐在している。そこに朝凪城の士官に化けたアラナミ城の間者が入り込むかもしれない、ということらしい。

「はい。情報を持ち逃げそのまま、朝凪城へ駆け込み護衛をしようと思いました」
「そうか…」

左近はなにか考えていた。そんな様子をみつつも、小萩は言葉を続ける。

「次の日の夜更け、私はアラナミ城を抜け出しチエナミ村へと向かっていました。が、彼らも私を信用していなかったようで、すぐに忍びにつけられました。そこで不覚にも深手を追ってしまい、動けずに倒れていたところを…」

小萩と三郎次の視線が左近へと向けられる。左近は目をぱちくりさせた。

「僕が来たってわけか」

三郎次ががっくり肩を落とす。

「やっかい事を引き寄せる体質だよなお前。おまけに…」

三郎次は小萩をみやる。助けられた小萩は左近に恩義を感じ、一生仕えるという勢いで忠誠している。左近が引き寄せた人も人だと呆れていた。しかし、朝凪という言葉を聞いて三郎次は胸が騒いでいる。

「なぜチエナミ村と同盟国の朝凪に駆け込もうとしたんだ?」
「チエナミの国は平和主義ですが、戦い下手でしょう?反面朝凪国は賢い。実力もありますが、変に攻撃を仕掛けたりなどしないでしょう。私にとって利益がそちらのほうがあると思ったのです」
「剣豪って結構クールなんだね」

話を聞いた左近がポツリとつぶやくと、小萩は首を振る。

「しかし今は左近の為にある命ですから」

小萩はさも当然のごとく言い切る。小萩にとって左近の存在は、助けられたときから常に一番だった。剣豪を目指す傍ら、人を分け隔てなく助ける彼の行動を心のどこかで憧れていたのだろう。剣を振り回す攻撃一辺倒の自分は、ある意味弱さの表れなのだった。

「しかし、私を狙ったやつらは未だに私を監視しているようです。左近様と関わった以上、左近様も仲間だと思われているでしょう」
「じゃあ、今回襲われたのは、あんたを狙って左近の家が巻き込まれたってことかよ」
「えぇ!そうなの?」

左近は驚いたようだった。三郎次はあきれた。やはりこの友人は非常に運が向いていない。まさかアラナミ城の忍者に目をつけられていたとは。

「じゃあ、僕が最近妙に運のついていない危険な目にあってたのも、アラナミ城の忍びの仕業…」
「まあ、すべてがすべてではないと思いますが、中にはあったかもしれません」

三郎次はその言葉を聞いて頷いた。立ち上がり、小萩の傍によりかがんで、言い放つ。表情は真剣だ。左近はその様子をぽかんとみていた。

「その話が嘘か本当か知らないが、どのみちあんたは左近にとっちゃ危険だ」
「・・・」

小萩は黙って三郎次の言葉を聞いている。三郎次の内心はこうだ。さきほどの話がすべて本当なら──小萩がいることで左近はずっとアラナミ城の忍びに狙われる事になる。もともと運のついていない体質なのにこうも狙われてはいくつ命があっても足りない。そしてもう一つ三郎次の中に疑いがあった。それはその話がすべて嘘である可能性だ。アラナミ城を裏切った振りをして朝凪城に寝返えり、混乱を招く使者というのは…小萩なのではないか?朝凪城に曲者がはいるとなれば、自分も黙ってはいられない。三郎次の心は冷えるように、静かだった。

「すぐに左近から離れるんだ。ここに来た時から言ったが、俺はあんたを信じちゃいない。朝凪城に逃げ込むならなおさらだ。いっておくが、朝凪の連中は用心深い」

もし。小萩が間者なら。朝凪城は簡単にはだませない、という意味を含めて小萩に告げる。

「わかった。いうことはもっともだ。それに今は三郎次殿がいるからな。左近様をお守りしてくれるだろう。朝凪の国司館に向かうのは、今かもしれないな」

鎧の覆面からは表情は見えないはずだが、三郎次は一瞬小萩が微笑んだようにみえた。なぜそう思ったのか、わからなかった。静かに立ち上がる小萩を見て、左近は慌てて声をかける。どこかへいこうと気配を感じた小萩を左近は止めようとした。

「だめだよ。また君がケガを負ったらどうするんだ。そんなことは僕が…」
「私のことはかまいません。それに、今しかないのです。三郎次殿が帰ってしまったら、私はいつまでもこの情報を伝えられません。チエナミ村と朝凪城の平和のためにも、今行かねばならないのです」

出入口戸の前まで来た小萩は振り返り、三郎次と左近を見た。そして頭を下げる。

「今まで大変お世話になりました。では…」
「小萩さん…」
左近は出ていく小萩の背中を消えゆくまでずっと見ていた。小萩の足音が遠のく。静かになった左近の部屋。左近はしばらく黙っていたが、三郎次を見た。左近は少し、苛立たしさを感じていた。

「なんで小萩さんにあんなことを言ったんだよ」
「左近、自分がされたことを考えなよ。小萩のせいで危険な目にあってたんだ。」
「だからって彼女がいなくなったからといって落ち着くとも限らないだろ?それにアラナミ城に狙われているんだぞ。次は死んじゃうかもしれない…そんなの…」

左近は最悪の状況を想像し、蒼白する。そして三郎次を恨めしそうににらんだ。

「三郎次だって、頑固だ。ほんとは小萩さんのこと、もう疑っていないくせに」

予想外のことを言われてなぜか三郎次は顔が熱くなる。なぜ左近はそう思うのだろう。それより先に、妙な恥ずかしさを隠すためぎこちなく三郎次は言い返す。

「おい、なんでそうなるんだ。僕はお前を心配していってるんだ。そもそも僕はだな」
「ほんとお前は昔っから変わっちゃいない。ちょっとは素直になれよ」

言い返そうとしいて三郎次は口を開けたが、この声を抑えた。変な言い合いはすべきではないだろう。三郎次が黙ったのを見て、左近は立ち上がった。

「どうするんだよ」

三郎次が心配してそう聞くと左近から少しはぶてたように返事が帰ってくる。

「朝ごはんの準備」

そういえば、朝飯がまだだったのだ。二人は空腹を思い出して、おとなしく朝飯の準備を始めた。

【2】

その晩、三郎次は夜の浜辺に座り込んでいた。真っ黒な海の波は風が少し吹き荒れており、少々荒かった。空は月も星も見えない具合に曇っている。そのうち雨が降るのだろうか。暑さも幾分か、和らいでいた。

『本当は彼女を追いかけたいけど…僕を狙ってくる奴の目的も気になる』

昼の間、薬草を加工しながら左近はそう言った。どうやら左近なりに調査をするつもりだろう。三郎次は黙っていた。頭の中で朝凪城へ向かった小萩のことを考えていた。それが今もずっと続いている。心のどこかで迷っているような気持だった。

(あいつ、無事に朝凪城へついたんだろうか。ケガとかしてないだろうか)
「…て、そんなこと思ってどうすんだよ。今に見てみろ…きっと間者とばれて朝凪城に捕まってしまうにちがいない」
そうなってしまったらどうしよう。思ってもみなかった気持ちが湧き出てくる。自分の思う気持ちがまるであべこべだ。
今朝、買い出しの事を思い出す。隣にいた小萩は普通の娘だった。料理が好きな姿、帰りに分けてくれた食事。できた女性だ、と三郎次は思う。そして何より、左近を一番に考えていた。心が締め付けられたようだった。

でも、自分の判断は忍びとして間違っていなかったはずだ。彼女がアラナミ城の護衛だったら、猶更油断はできなかった。

「…仕事でもこんなに考えない」

頭に小萩の微笑みがちらついて考えが鈍る。大きな波の音で、三郎次ははっとした。

「今心配なのは左近だ…。ちゃんと守らないと」

ぽたり、と雨のしずくがほほに落ちる。どうやら小雨が振り出してきたらしい。ひとつの雨が海の中へと飛び込んでいく。ぱたり、と微かな音を立てて、その深い海の底へと、交わってに消えていった。

 ─翌朝、起床した三郎次は戸を開ける。朝の夏の日差しが差し込んできた。同時に湿気を感じる。空は快晴だが、草花には露が照らされていた。夜中に一雨降ったようだった。左近は畑の薬草の手入れをしている。朝はいつもと変わらない時間だった。
 事が動いたのは昼過ぎだった。チエナミ村から帰ってきた左近。彼は走って息を切らしていた。なにかあったのだと部屋にいた三郎次は傍に駆け寄る。左近は一息つくと、不穏そうな表情のまま三郎次に言った。

「チエナミ村の国士館で、アラナミから来た曲者が…捕まったらしい」

左近から聞いた言葉に三郎次は胸騒ぎがした。

「まさか…小萩が」
「わからない。けどその可能性が高いと思う。三郎次…君は本当に小萩さんが、アラナミ国からの間者だと思う?」

左近がまっすぐに三郎次をみつめる。三郎次はとっさに答えなかった。左近は一瞬悲しげな表情で顔をうつぶせた。そして淡々とつぶやく。

「僕は…チエナミ村にもう一度行くつもり。情報が足りないんだ。もしかしたら、他になにか…陰謀があるかもしれない…」

左近は荷物を部屋に下ろし、近くに置いてあった笠を被り紐を結んだ。そして、何かを託すようなまっ直ぐな瞳で三郎次を見た。

「三郎次…またな」
「左近、まてよ!一人で言ったら、あいつが…」
「小萩さんに怒られるって?…じゃあ、三郎次が確かめないとね」
左近はそう言い残してその場を出て駆けていった。遠くなる背中を見送って三郎次は呆然した。しかし、呆けている場合じゃない。小萩が捕まったかもしれないのだ。それは、三郎次のそうなってほしくないと心のどこかで願っていた結果だった。

「ほんとにアラナミの間者だったのか?小萩が…」

左近を頼む、と言った小萩の姿を思い出す。その左近も真実を確かめに出ていった。自分は、何もせずにここにいる。なにをやっているのだと、自分を叱咤する。そして左近が去る前に言った一言を繰り返す。

”他になにか…陰謀があるかもしれない”

そうだ、自分は朝凪の人間なのだ。真実を確かめるのは容易い。小萩の事をもっと知らなければならないのだ。いや…知りたいのだと思う。もう一度あの顔を見たいと思うのは、一体どういう気持ちなのかわからなかったが、三郎次は、小萩に会いに行く決心をした。

念のためいくつかの忍具を荷物にまとめて、戸を閉める。左近の後を追うようにして、三郎次も真夏の強い日光の下を駆けていくのだった。





- 5 -

*前次#


ページ:





top