揺るがない波紋


三郎次はチエナミ村を訪れると、いつもの賑やかな活気の中に、戸惑いの声が聞こえる。その内容は、朝凪国の国士舘で、アラナミ城の間者が捕まったという話題だった。捕まってよかったと安堵する者、アラナミの勢力が襲ってくるのではないかと不安がる者…あちこちで話題はもちきりだ。

三郎次は国士舘を目指しチエナミ村を歩いていると、顔見知りとあって思わず立ち止まり、声を出した。

「トキさん?トキさんですか?」

大通りの中、トキとよばれた三郎次よりいくらか年上の男性は、三郎次を見るなり厳しい顔が明るくなった。そして穏やかな笑みを向け、三郎次の元へ寄る。整った顔立ちだがどこか幼い眼差しが印象的だ。

「三郎次!どうして君がこんなところへ?」
「トキさんこそ、朝凪城から異動になったって聞きましたけど」

三郎次はトキの顔を見る。トキは自分より後に入ってきた朝凪城の役人だ。城では財務を主に管理していた者で、三郎次がリフレッシュ休暇をもらう頃異動になったという話を聞いていた。三郎次は普段のトキの仕事ぶりはなかなかの世渡り上手、口先の上手いやり手な人物だと密かに思っている。

「うん。その異動先がこのチエナミ村近くの国士舘なんだ」
「ええ?そうなんですか?でも、今村はその国士舘で話題が持ちきりですよ」
「ああ、その話か」

三郎次は内心動揺していた。まさかその国士舘で捕まった人物と関係があると今ここで言ってしまったら、都合が悪くなる。しらないふりをして探りを入れてみることにした。

「まぁ、ちょっとした曲者さ。君ほどの人物が気にするような事じゃない…そんなことより、三郎次くんはなんでチエナミ村にいるんだ?」
「あぁ…ここは私のお気に入りの海があるんです。チエナミ村はバカンスで来たんですよ」

それを聞くとトキは微笑んだ。ならば、とトキは手を軽く広げた。

「チエナミ村の旅籠は窮屈ではないか?国士舘を使うといい。うちは飯も美味いよ」

三郎次は願ったりな誘いだと思った。国士舘へ行くつもりだったのだ。自然な理由もできる。トキの誘いにのろう。

「いいんですか?」
「良いも何も、君は朝凪の人間じゃないか。駄目だという理由はない」
「じゃぁ、今から行こうかな」

三郎次の言葉にトキは頷いた。同僚との何気ないやり取りだ。三郎次はトキと共に朝凪の国士舘を目指した。朝凪は自分の住処とも言えるほど、近い存在だというのに国士舘へ向かう自分はまるで知らない土地へ向かうような、妙な違和感を感じていた。

─チエナミ村を抜けて一つ大きな橋を渡った後に小高い丘がある。そこにまるで砦のように作られた館。三郎次が門をくぐる。しかし、門番もおらず静かだった。不思議そうに三郎次があたりを見回す。

「誰もいない」

三郎次がそう呟くとトキは少し困った顔をした。

「国士舘はいま人手不足なんだ。昨日あんな騒ぎがあったばかりで皆城やチエナミ村へ出てるんだよ。ここにいるのは数人の見張りと女中ぐらいだ」
「ふうん…」

三郎次はゆっくり辺りを見わす。見知った顔はいないかと思ったが、なかった。トキに連れれられて一つの部屋に通される。そこは一人が住むにしては十分な広さの個室だった。特に物が置かれているわけでもない、からっぽの部屋だ。

「荷物は好きな時にでも持ってくるといい。自由に使ってくれ。今夜は一緒に飲もうじゃないか。こないだの籠城戦の話が聞きたいから」
「あぁ、わかりました。あの、昨日捕まった曲者っていうのはどこに?」

三郎次の言葉にトキは意外そうな顔をした。そんなことを知ってどうするのだといいたげな様子だったが、特に気にするでもなく答えた。

「この屋敷の離れにある井戸の傍の小屋にいるが…」
「どんな奴か見てくる」

その言葉を聞いてトキは物好きだな、とつぶやいた。それ以上は何も言う気はないらしい。踵を返して行ってしまった。その姿をしばらく眺め、見えなくなったのを確認して、小走りで三郎次は井戸のある離れを探す。水路を見つけてたどると井戸が見えた。その横に藪にかかるようにして小屋があった。前には見張りが立っていた。見張りは自分を見るなりあいさつした。

「あなたは本城にいる池田殿では?」
「はい。昨日来た曲者はここですか?」
「はい。あのアラナミ城から来た曲者だそうで」
「少し離れててくれないか?問いただしたいことがいくつかある。あまり聞かれたくない」
「は、はい」

そういうと見張りは恐縮するようにその場を離れた。三郎次の功労はいたるところで響き渡っているらしい。三郎次はそっと戸を開けた。光の入らない部屋は薄暗く、夏の日差しが照りつける外とは違いひんやりとしていた。その部屋はいろんな小道具や廃材が投げ入れられているようだ。その奥にぐったりしているなにかを見つける。三郎次が目を凝らすと、華奢な女性の姿に見えた。三郎次は走り寄り、その正体を確かめるために相手の身体をそっと起こした。

「小萩?小萩か?」

小萩はゆっくり顔を上げて三郎次の顔を見た。顔色が悪い。この暑いなか、密室に飲まず食わずなのだろう。半面身体は冷えていた。小萩は鎧を解かれ、薄手の上着と袴の姿だった。

「三郎次、殿ですか…。なぜ…ここへ?」
「あんたを探しに来たんだよ…!なんたって捕まっているんだ?アラナミ城の策略を告発しにきたんだろ?」

小萩はその言葉に苦渋の表情を浮かべた。顔がうつむく。

「はい。昨日、私はここに行きました。そしてここのまとめ役人をしているトキという男に、アラナミ城がこの国士館に間者として紛れ込んでいると、伝えたのです」

…が、すでに手遅れでした。そう小萩は力なくつづけた。

「トキは私を捕まえました。私が間者そのものだと言い、ここに拘束されたのです。三郎次殿、これがどういうことか、わかりますか?」

三郎次は小萩の言いたいことをすぐに察した。小萩はトキこそがアラナミ城の間者であるというそうだ。すでにこの国司館はアラナミ城の間者であるトキに支配されているのだというのだ。まさか、と三郎次は思った。

そんな三郎次の言いたそうな表情を見て、小萩はふと笑った。

「まさかあの男が?と言いたそうですね。三郎次殿は朝凪城の忍び。そう思うのも無理はない。まして、怪しい私のいう事など…」

悲しそうな笑みに見えた。三郎次は朝凪城にいたときからトキの働きぶりや人柄を知っている。小萩の言ったことはにわかには信じられない。そう思った。しかし、と三郎次は首を振る。左近が確かめろと言った。ならば、もう迷うことはない。

「信じる。あんたの言うことを。僕は…もう決めたんだ」
「三郎次殿?…どうして。貴方は朝凪側でしょう。アラナミにいた私の事なんて」
「朝凪だろうが、アラナミだろうが、裏切者だろうが、間者だろうが、…なんだっていい。俺は、あんたを無視できないんだ」

三郎次の言葉に小萩は目をぱちくりさせている。その様子に三郎次は焦った。小萩を見つめるのが恥ずかしくなって視線を逸らす。

「別に、変な意味じゃない」
「…うん。ありがとう」
しかし…と三郎次は思う。トキが本当にアラナミ城の間者なら真相を知ってしまった小萩を逃すことなどしないだろう。トキを問いただすならなにか証拠が必要だが…。そんな自分の考えを察したかのように小萩は答えた。

「アラナミの者なら合言葉がある」
「合言葉」
「ああ…”なまこ”だ」
「…なまこ?」

そこまで話して三郎次は小萩から離れた。小屋の外からトキの声がしたのだ。

「三郎次殿、もうよいでしょうか。間者に思い入れをされても困りますからね」

トキは三郎次が小萩を気に入ったのではないかと見に来たらしい。とっさに小萩と視線を交わし、三郎次が離れて戸の傍まで来る。戸が開かれ、まぶしい夏の日差しが入った。

「変なこと言わないでください。好みじゃない」
「おや、安心しました…。明日、あの女を朝凪城に連れていき、収容しますので」

トキの顔をちらりと三郎次は盗み見る。自分がトキだったらどうする?自分の素性を知るものがいつまでもここにいては不安だ。慎重なトキはすでに何人かの仲間をこの国士館に連れてきているだろう。…チエナミ村を襲う作戦を早めるのではないか?そうなると、仲間との連絡は取るはずだ。

うまくいけばすぐにしっぽはつかめるかもしれない。

トキの作戦を阻止しなければ。そう決心して、三郎次はいつもの調子に直りトキと共にその場を離れた。

【2】

その晩、三郎次はトキと夜空を見ながら縁側で話していた。酒もはいりつつ、食事をしながら三郎次はトキと談笑する。しかし三郎次は飲むふりをしながら酒をみえないところで流していた。

「…というわけで、その情報を持ち帰ったわけです」

三郎次が話し終えるとトキは感心した様子だった。

「さすが三郎次。忍び天晴だ。それは大層、城主も喜んだだろうな」
「まあ、おかげでこんな休暇をもらえましたしね」

そういうとトキは奥の女中に声をかけ呼び寄せた。

「おい、彼にもっと食事を。ねぎらってやらねばな」

「ありがとうございます」

まもなく食事がはこばれてくると、入れ替わるようにトキは立ちあがった。三郎次をみて笑顔で言った。

「いやはや…もっと話したいところだが、少々この後軽い打ち合わせがあってな。君はここでゆっくりしていてくれ。私はすぐもどるから」

その背中を見送って三郎次は立ち上がる。トキの後をつけようとおもったのだ。縁側からはなれて三郎次は外を回る。そして気配を消した。
 トキの足音は無警戒だった。その音を頼りに後をたどっていく、そしてとある部屋の前で声がした。三郎次は外で声がするその部屋にぴたりと張り付く。戸から声が聞こえてきた。

「海」

とトキがいうとどこからか「鼠」と声が聞こえた。そして重いものを引きずるような物音と共に、トキの気配は消えていったのだ。三郎次はそのやりとりを頭で繰り返す。

(海と鼠…なまこ?)

海と鼠でなまこと呼ぶ。三郎次はこれがアラナミの合言葉だと思った。そしてトキはその合言葉をつかいどこかへ消えていった。三郎次は真相を確かめるべきだとその部屋に忍び込んだ。そして誰もいない暗い部屋の中で一人、「海」と言う。

「鼠…」

そういうとどこからともなく音がして空気が流れ込んできた。それは大きな大人が一人はいれるような壺。その上に載っている石が動いたのだ。三郎次が壺を覗き込むと底のない闇が見えた。三郎次は迷うことなくその壺に足から飛び降りた。いや、滑ったのだ。

「…っと!!」

勢いよく身体が滑り降りて、着地するとそこは地下道だった。見張りの男が明かりの灯を手にしてこちらを見ている。上に聞こえないようにするためか、男はひそやかに三郎次に聞いた。

「見ないものだが、新入りか?」
「…あぁ。トキさんにアラナミ城で声をかけられた。今日ここに着いたんだ」
「そうか。では作戦については知っているのだな?」
「…チエナミ村を略奪する話か?」

三郎次の身体はこわばっていた。やり過ごせなければトキにも後をつけてきたことがわかってしまう。そうなるとこんな場所では袋叩きだ。懐のくないのありかを意識した。

「そうだ。トキはこの作戦の筆頭者だ。お前も新入りなら悟られんようにな」
「わかった。トキさんに話したいことがある。どこにいる」
「トキなら例の怪しい奴を尋問してるよ」
「…わかった」

怪しい奴…はて、そんな人物がいるのか。トキの作戦に気づいた朝凪の者だろうか。この先に行けばトキがいる。もう引き返すことはできない。しかしトキも言い逃れはできないはずだ。対峙することになるかもしれないと、三郎次の頭は冴えていく。窮地になればなるほど三郎次は冷静になっていくのだ。

細い地下道を通ると粗末な木枠で作られた扉があった。そこから声がする。一人はトキの声、もう一人は…左近の声だった。


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