「はい。誓いま――」
「呼ばれて飛びでてじゃじゃじゃじゃん!出まして来ましてミーアちゃん!」
「………………は?」
間の抜けた声はだれのものだったか。いや、たぶんその場にいる全員だ。よく通るその場違いなまでに元気な声に、目の前の2人の肩がびくりと揺れたのが分かる。かくいう僕も人のことは言えなかった。
声のしたほう――つまりミーアのいる視界の右端だったところを見上げると、至極真剣な面持ちでこちらを見つめていたミーアと目が合った。ふざけた声とのギャップにぎくりとしたが、そんな事よりなにより、コムイさんたちの前で声を発してしまった事について抗議せずにはいられなかった。
「っどうして、」
「ダメだよ。それ以上はもう、ほんとに冗談で済まされないから」
もうね、さすがに潮時なんだと思う。
するりと風に運ばれるようにして僕の座るソファの前まで降りてきた彼女が、触れられない僕の握り拳を両手で包むようにしながら言葉を紡ぐ。
彼女の身体をとおして、虚を突かれ絶句の表情から動かないふたりの姿がすこし薄っすらとして見える。
「ナイショにしてる間はまあいっかって、深く考えないようにしてたんだと思う。でも、私のせいでアレンがたいせつな仲間に嘘をつくのも、その嘘がいずれバレた時に辛い目にあうのも嫌だよ。だからもうおしまい」
真剣な表情でいた彼女が一転、楽しげに歌を歌っている時のように澄んだ海色の瞳で、けれど泣いてしまうんじゃないかと思うくらい儚げにやわらかく微笑む。
「嘘つかせてごめんなさい。自分を責めたりしないでね。キッカケは私の歌だし、今だってぜんぶ、私の意思なんだから」
「でも、」
「でもじゃない。私はバレる可能性がなかったとしてもコソコソおどおどしてるさいしょの数日間より、私の歌をアレンが聴いて笑顔でいてくれた日々を過ごせて楽しかった。それを後悔なんかしてないよ」
そんなふうに言われるとこれ以上反論できそうにない。彼女と過ごしたささやかで楽しい日々を、僕だってけっして後悔したくなんてない。これ以上問いただす事だけじゃなくて自分を責める事だって、ミーアからもらった穏やかな感情とは真逆のものだ。
けれどだからといって彼女に起こるこれからを考えると、少なくとも自分を責めないではいられない。
おそらくそれは、ミーアも分かっていたのだろう。
ふいに重ねられていた手も、彼女の視線も僕から離れる。立ち上がる動作をした彼女はそのまま半回転して、ようすをうかがっていた2人の人物の前に堂々と立ちはだかった。
もちろん、そのようすを視認できているのは僕だけだろう。それは彼らの視線がすこしもブレる事なく若干見当違いな僕の周囲のどこかしらを捉えたままでいる事から間違いない。
僕の視線に気がついたらしくばちりとふたつの視線とぶつかったので、さすがに笑みを浮かべる気にはならなかった僕は逃げるようにすこし視線を落とした。
「そういうわけだからお偉いさん。アレンの事は叱っても、罰なんかぜったいに与えないでくださいね」
とつぜん姿の見えない相手から話しかけられる心の準備はしていなかったようで、コムイさんとリーバーさんは僕からするとずいぶん大げさにもう一度肩を跳ねさせた。
「約束してくれないと、私今すぐ気ままな旅に出たくなっちゃうかも」
コムイさんが口を開きかけたのもお構いなしに、ミーアが容赦なく言葉を続ける。なにを言いだすのかと思ったら、どうやら脅しかける事にしたらしい。けれどたしかに状況を打開するのならそれしかない。
とうぜんながら僕も彼女も、進んで針のむしろに座りたいわけじゃない。
僕と距離をとれないミーアが旅に出るなんて事は実際できやしないけれど、これがハッタリだと知っているのは僕とミーアと、あとはティム・キャンピーくらいのものだ。
黒の教団の本部室長であるコムイさんに、イノセンスの可能性のある彼女をいま手放すなんて選択肢はたとえどんな法外な要求を提示されようともあり得ない。脅しとしては最上級に効果的な文句だった。
「聞いたよ。とっても貴重で、とっても大事なものかもしれないんでしょ?それを永遠に失くしてでも、アレンへの罰はぜったいにしなきゃいけない事?」
コムイさんの表情が強張ったのが分かった。苦々しい顔をしてふうと細く息を吐いたかと思うと、右手の親指と人差し指で目頭を押さえる。
避けるように押し上げられた細いフレームの眼鏡がかちゃりとちいさな音を立てた。
「イノセンスらしき存在を無事保護できていただけありがたい……という事に、ひとまずしておこう。アレン君にはもちろんあとでじっくり話を聞かせてもらうけど、上層部には発見の経緯は言わないし、隠しておくためにはこれについては最小限の者のみの秘密にすると約束しよう。さあ、ミーアちゃんといったね。勘のいいだれかに勘づかれないうちに、君には取り急ぎヘブラスカのところに……」
「コムイさん。僕からもひとつお願いがあります」
まさか要求が僕の事ひとつだとは思っていないだろうに。むしろここからが本題だといってもいい。
いたずらに先を急ごうとするコムイさんに僕はあわてて待ったをかけた。そして僕もまた、その反応を待たずに言葉を重ねる。
「ミーアの処遇を決めるとき、かならず僕を通してください。僕が納得できなければ、ミーアに手出しさせません」
たとえば彼女の魂とイノセンスとを安全に切り離せる確証がもてるまでは保留にしてくれるのが一番いい。余裕なんて微塵もない戦争のさなか、難しい事は百も承知だ。
「ミーアからイノセンスをとったら、彼女は死んでしまうかもしれません!」
もともと静かだったその場が痛いくらいの静寂で静まりかえり、部屋の温度が下がった気さえする。
どうしても無理だと跳ね除けられたとしても、最低でも適合者が見つかるまでだとか、そのくらいの時間稼ぎはぜったいにしてみせる。
時間さえできたなら、彼女の人柄をみんなきっと好きになる。彼女を危険な目にあわせる事をコムイさんだってぜったいに回避したいと思うはずなんだ。
「幽霊じゃない、生きているんです」
リーバーさんが息を呑むのが分かった。
眼鏡の奥のいつもより細まった視線に対抗していると、なぜだか申し訳なさそうな顔をしたミーアが視界の端に映る。なにか言いたい事でもあるのかと思ったけれど、僕やコムイさんに視線を向ける彼女の口元は閉じたまま開かれる気配はちっともない。
そのかわりにとでもいうかのように、今度こそコムイさんが口を開く。静かに発されたのは僕の欲していた答えとは違ったけれど、その声色は温度を取り戻していた。
「それが、隠していた理由かい?」
コムイさんとかち合う視線を外さないままでうなずくと、緊張が解れるようにその表情がふっと解けた。
「アレン君らしいね」
その言葉の真意はというと、つまり――
たったの一言で事態が好転した事を察する。
「じゃあ……!」
「ああ。さっきの約束に加えて、イノセンスだった場合でもヘブラスカにすぐに取りだすように指示はしない。おそらくそれができるのは、ヘブラスカの他にいないだろうからね。イノセンスでないならよし。でももしそうだったなら……アレン君も交えて、それから考える事にしよう。これでいいかい?」
これが出来うる限りの譲歩だと、そうコムイさんの目が訴えていた。となりに視線を移すとミーアが僕を見て頷く。その顔は和らいでいて、彼女もおなじ事を考えているのだと分かった。
勢いよく返事をした僕につづいてミーアがお礼を言った。
「黒の教団のお偉いさんが話の分かる優しい人でよかったね」と冗談めかして笑った彼女と立ち上がって音の鳴らないハイタッチをする。事の成り行きを見守っていたリーバーさんも安心したように肩の力を抜いた。
「僕だってこの戦争のせいで辛い目にあう人は可能な限り減らしたいと思ってるからね。なによりもアレン君との会話で、君が心根の優しい子だって事は十分すぎるくらいに分かったよ」
そんな子を無碍にはできないよ。
困ったように眉を八の字にして笑うコムイさんは、山ほどの書類が乗っているのも構わずに執務机のうえに脱力したふうに腰を下ろした。ひとつの白い山が崩れたと思うとその先のもうひと山が押しだされるようにまた崩れる。
リーバーさんがショックを受けたように声を荒げたけれど、コムイさんに文句を言う事はしなかった。
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